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◇以下の文章は、私の故郷である北海道網走郡美幌町と、ニュージーランド国:ワイパ地区・ケンブリッジ地域との姉妹都市提携に関するプロセスを書き述べたものです。そして、最後の部分に、私がケンブリッジ地域評議会で行ったスピーチ原稿、姉妹都市提携決議の翻訳、美幌町長への文書の翻訳、さらには、そのことを美幌町民へ伝えるために書いた経過報告(地元新聞に掲載)を掲載しました。姉妹都市提携に関しては、数多くの人たちの助力によって実現できたことを感謝しています。なお、掲載に際してはプライバシー保護の観点から、必要な修正を加えております。


町民歓迎夕食会(美幌にて) 友人のマーレィと、ジョン(ワイパ地区・首長) 姉妹都市調印式(北海道網走郡美幌町にて)
町民歓迎夕食会(美幌にて) 友人のマーレィと、ジョン(ワイパ地区・首長) 姉妹都市調印式(北海道網走郡美幌町にて)

『夢を現実に −姉妹都市提携への道程−』

(『北海道ソーシャルワーカー協会:機関誌』1997年5月刊行:掲載)

◇今年の1月下旬に、ニュージーランドの北島にあるケンブリッジに於いて、美幌町長・町議会議長らの臨席のもと、私の故郷(ふるさと)である、網走郡美幌町とケンブリッジとの間で、友好姉妹都市の仮調印式が行なわれました。ちなみに本調印式は、美幌町開基110周年のイベントとして、今年の10月に美幌で行なわれることになっています。ケンブリッジが美幌との姉妹都市提携を議決してより4年半になります。私にとっては長い道程(みちのり)でした。

◇今回、本協会の機関誌に於いて、こうした執筆の機会をいただきましたので、このプランの提案当事者として、これまでの歩みを簡単に振り返ってみたいと思います。

◇さて、私は1992年7月から1ヵ年間、在外研究の機会を得て、ニュージーランドのハミルトン市にあるワイカト大学に滞在しました。目的は、ニュージーランドの特別教育と福祉、とりわけメインストリーミングについての学びを深めるためでした。しかしそこで知ったのは『インクルージョン(INCLUSION)』という新しい概念でした。これは従来からのノーマラィゼーションを越える、すぐれたコンセプトです。ニュージーランドにおけるインクルージョンの実際については、この機関誌でも簡単にご紹介をいただいた、拙著である『羊の国で学んだこと −ニュージーランドの特別教育と福祉−』(学苑社 1995年)に述べてあります。その後、ここ数年間でわが国にもインクルージョンの考え方が急速に浸透しはじめ、それは、たとえば知的ハンディキャップ児(者)の権利擁護団体である『全日本手をつなぐ育成会』が、昨年『育成会21世紀プラン:インクルージョン戦略』といった宣言を組み立てるまでに発展してきました。1995年秋に開催された日本社会福祉学会の分科会で、私がニュージーランドにおけるインクルージョン研究を報告したときには怪訝そうなまなざしを向けられたことを考えるとき、こうした展開をとても嬉しく思っています。

◇ここで、インクルージョンについて簡単に説明を加えておきたいと思います。『インクルージョン(Inclusion)』という用語は、教育界を中心として、ここ数年間で急速に広がってきた概念です。そして現在、世界の教育界はこのインクルージョン体制づくりに向けて急速に動きつつあります。これは、インテグレーション(Integration)やメインストリーミング(Mainstreaming)を通してのノーマラィゼーション(Normalization)の実現、といった方向性の集大成ともいえる実践論理です。

◇インテグレーションが『統合教育』と訳されるように、そこには適応主義的な評価基準がベースにありますし、また次のステップであるメインストリーミングもその弱点を克服できてはいません。それに対して、インクルージョンとは「本来的に、すべての子どもは特別な教育的ニーズを有するのであるから、さまざまな状態の子どもたちが学習集団に存在していることを前提としつつ、学習計画や教育体制を最初から組み立て直そう。」といった論理構造を有しています。文字どおり「すべての子どもたちを包み込んでゆこう」とする理念です。そして、こうした流れを受けて、前述した『全日本手をつなぐ育成会』の組織名称も、すでに昨年『INCLUSION JAPAN』と、その英語名称が変更されました。

◇このように、インクルージョンは教育界を中心に広がってきましたが、福祉の分野においても同様に取り組みがなされつつあります。しかし、そのためには社会体制や国家構造そのものの改編と連動せざるを得ない、といった関係上、具体的実現には困難な点が数多くあります。すなわち、インクルージョン体制を積極的に推進しつつあるニュージーランドの場合は、@多民族・多文化国家として安定した歩みをなしてきた国である A高度の人権意識を有する国である B環境保全に細心の注意を払っている国である C人口が360万人程度の規模であるため、変革が容易である D学歴主義を強く指向する国ではない、等々の国全体としての方向性のなかで、インクルージョン体制づくりが進展しつつあるのです。その点において、残念ながらわが国の場合は、インクルージョン体制づくりのための、さまざまなハードルが非常に高い国である、と言えます。

◇さて、かねてより私は、美幌町がスコットランドのインバネス市との姉妹都市提携を願って、町長を中心とした町行政当局主導でさまざまな働き掛けをしてきたことを地元新聞等を通して知っていました。ご承知のように、美幌峠からは壮大な屈斜路湖を眺めることができます。そこで、だれかが「クッシー」なるモンスターを考えだし、さまざまな観光グッズ(菓子類・歌・踊り)が出現しました。いわゆる「町おこし」ということです。そこで次には、いわばモンスターの老舗であるネス湖の「ネッシー」との交流を求めだした、ということです。しかし10年近くの熱心なアプローチにもかかわらず、その試みは成功しませんでした。英国におけるスコットランドの置かれている状況を推量したり、実際に現地へ行けば即座にその状況が理解できることですが、気位の高いスコットランドの、それもハイランド地方の中心地であるところの、古色蒼然とした佇(たたず)まいを感じさせるインバネスと美幌とでは、モンスター以外には交流すべき接点が見いだせません。美幌の関係者たちの気持ちは理解できますが、これでは姉妹都市を願うこと自体が無理です。そうした状況を知った私は、それならば最高の姉妹都市の相手を、愛するふるさとに提供してみよう、そう考えたのがハミルトン市に隣接している、ニュージーランドを代表するかのような清楚で美しい街であるケンブリッジとの姉妹都市提携の発端でした。

◇ところで、単なる観光旅行による訪問や、民間団体による交流を越えて、自治体レベルでの公的な関係を締結しようとするからには、相互の公益がそこに明確に存在することが前提となります。すなわち、どの国のどの都市と公的(姉妹都市)関係を締結するかは、単なる思い付きや偶然、などといったレベルであっては決してならないからです。ご承知のごとく、今や世界情勢はそうした悠長な段階にはないのです。

◇永らく官僚主導型の中央集権主義によるところの、保護主義(護送船団方式)的な国家運営を行なってきたわが国では、地方の小規模自治体には、単なる民間交流を越えて、海外の都市と独自に自治体外交を行なう、などといった役割は課せられてはいませんでした。しかし情報化時代の現代では、特に湾岸戦争以後、世界中がリアルタイムでつながり、さらにはソ連の崩壊過程を通して、地球全体が運命共同体であることを、今やだれしもが理解できるようになりました。すなわち、これまでのような、東京を経由して「二番煎じ」的に世界の情報や文化をつかむ時代は、もはや足早に過ぎ去ったのです。したがって、インターネットを代表例として、今日では、いかにして世界から必要な情報を直接キャッチし、独自の行政方略を組み立て得るかが地方の小規模自治体に課せられた責務ともなってきたのです。地域福祉論を考えるうえでの基本的なフレームも、ここにあります。

◇さらにやがては、行政改革への道筋の中で、道州制もしくは連邦制への模索が始まるのと同時に、広域行政への流れがさらに加速化するであろうことは疑いのないところです。そうした近未来予測のもとで、各市町村自治体がより重要な位置を占めるためには、世界の動きを迅速にキャッチすべく独自の情報ルートを確保しておくことがきわめて重要であろうと思われます。そのためには、当然のことながら、どの国のどの都市と提携を結ぶかが重要となってきます。その点、幸いにして行政改革で注目を集めつつあるニュージーランドは広域行政制度を採っている国で、ケンブリッジは人口約3万7千人を抱えるワイパ地区に属しています。そして、その地区に議会があり、首長がいます。さらには各地区にもそれぞれ独自の地域評議会がある、といった構造になっています。これはちょうど、北海道におけるところの、支庁と市町村との関係に類似しています。

◇さらに幸運なことに、既にケンブリッジはオーストラリアに1つ、米国に2つの姉妹都市(アリゾナ州およびカリフォルニア州)を有しています。したがって、美幌がケンブリッジを通して、そうした既存の姉妹都市間のネットワークを活用しない理由はありません。とりわけ、美幌の基幹産業でもある農産物問題等を考えるうえで、同じくそれを基幹産業としているケンブリッジが位置しているワイカト地方や、ケンブリッジを通して、米国の姉妹都市からの情報を得るルートを確保しておくことは、中央集権体制がかなり強固に残っているわが国の政治経済体制下において疲弊しつつある地方自治体(むろん美幌も含まれる)が生き残るうえでの、きわめて重要な自己防衛策であろうとも考えます。

◇加えて、福祉国家としての長い伝統を有するニュージーランドは、福祉はむろんのこと、女性への参政権を世界で最初に確立した国としても知られているごとく、世界有数の人権国家です。さらには先住民族であるマオリ族との共存共栄を指向しようとする多民族・多文化国家として着実な歩みをなしている国でもあります。ようやくにして「アイヌ新法」が制定されようとしているわが国の中でも、とりわけ当事者地域である北海道にとって、ニュージーランドとの交流は、それゆえ大きなメリットがあるものと判断されるのです。

◇さて、アプローチから数ヵ月といった驚くべきスピードで、ケンブリッジは美幌との姉妹都市提携を決議してくれました。私はそのことを喜び勇んで美幌側に伝えました。私は最初、「美幌は長い間、姉妹都市を願っていたのだから、大いに喜んでくれる筈だ・・」そう思っていました。そして「ケンブリッジに関しては、相手側が正式に姉妹都市提携を議決し、外交手続きを踏んで正式提案をしてきている以上、町益を損なう話でない限り、執行機関である行政側が、議決機関である議会の承認を得て、時を置かずに調印をすれば良い。知性的な集団が理性的に判断をすればケンブリッジに関しては反対すべき理由などない筈であるし、それと同時平行で今後の交流の在り方をジックリと検討してゆけば良い。」そう単純に考えていました。しかし事柄はそう簡単ではなく、その結果、その後、数年間にわたって、私にとっては、まさに「身を引き裂かれるような」辛く悲しい日々が続くことになってしまいました。理由は、「慣例・減点・後追い」行政の実態であり、お定まりの首長と議会との軋轢(あつれき)問題でした。当時のある役場の幹部からは「外国のまちと姉妹都市を結ぶなんて、雲をつかむような話だ・・」と言われてしまうような始末でした。さらには「町外在住者が余計なことをするな!」「何か別の目的があるのか・・」といった雰囲気さえも伝わってきました。人間の悲しさを感じる日々が続きました。

◇そうした、いわば八方塞がりのような状況が続きましたが、クリスチャンである私にはある確かな見通しがありました。ケンブリッジへのアプローチを開始した頃、私はケンブリッジの街角(教会・高齢者ホーム・学校など)に立って、美幌との交流を具体的にイメージしながら祈ったのです。その結果、「このプランは美幌とケンブリッジ双方の住民にとってプラス以外のものはない。したがって、神様は必ずこのプランを成功に導いて下さる筈だ!」といった確信を得ていたからでした。そしてそれは、ケンブリッジ側の担当者であったゲイル・トゥロートンさんや、マーレィ・マックスウェル氏も同じ想いでした。それに加えて、地元新聞紙がこのことを詳細かつ好意的に、粘り強く掲載し続けてくれました。

◇さてその後、相互交流は順調に進展をみせ、『美幌=ニュージーランド友好協会(会員数50名)』も設立され、人口2万5千人あまりの美幌町で、ケンブリッジを訪問した人の数は、すでに百名を越えました。この4月からは、相互交流で親しくなったケンブリッジハイスクールに、美幌高校の英語教師が職を辞して日本語教師として赴任しました。さらには余談ですが、拙著を読んだ、神奈川県のある養護学校の教師も、同じくこの4月に職を辞してニュージーランドに渡ってゆきました。当事者として、大きな責任を感じます。

◇最後に、感謝なことに、ここ数年、美幌はケンブリッジとの交流のために、年間一千万を越える予算を計上してくれています。しかし広域行政のケンブリッジの国際交流予算は、わずかに数万円です。そこで私は、一年前に、低所得者や高齢者、さらには機能制約状態を有する人たちが美幌を訪問するための資金サポートを目的とした『ラブリー・ファンド』の創設を提案し、受け入れられました。ニュージーランドの場合、金利が10%程度はつくため、その利息運用でサポートしようと考えたのです。そのための原資とすべく、私が提示した最終総額は、私自身が手にしたこともないような金額でした。しかし何とか10年間で積み立て可能と判断し、昨年夏に第一回目の献金を行ないました。その後、この4月からの私自身の転任に伴って、退職金が支給され、それは私の予想をはるかに超える額でした。そして、それをニュージーランド・ドルに換算すると、何と最終総額ほぼピッタリの金額となったのでした。感謝でいっぱいでした。

◇国際交流というと、何か浮ついたイベント的な感じがすることがあります。しかし、国際交流はハートです。言葉が滑らかに運用できることが、そのまま心がつながることには結びつきません。それは英語の運用能力の低い私自身がつかんだ感触でもあります。そして、そのことは美幌とケンブリッジの人々も同じ感触ではないかと思うのです。美幌の文化講座(陶芸)で学ぶお年寄りの人々が、ケンブリッジの人たちへ「カラダ」で話し掛ける姿を眺めながら、私はそこに素朴なる福祉の在り方を垣間見たような気がしたのでした。


『ケンブリッジ便り』
(『地元新聞紙』1994年07月:掲載)

◇真冬(と言っても、それほど寒くはないのですが)のケンブリッジから、暑中お見舞いを申し上げます。

◇オークランド空港からレンタカーを運転して、半年ぶりに懐かしのハミルトン市に着いて1週間が経ちました。今回はワイカト大学の学生寮に滞在しながら、9月初旬までの間、ミッチェル教授との共同研究を継続します。まさに勉強づけの日々です。まるで学生時代に戻ったような気分です。

◇さっそく大学に行くと、「マサハルが帰ってきた!」とばかりに、学科のスタッフたちが次々と笑顔で迎えてくれました。私が使う研究室も準備されており、早速、滞在中の研究計画の打ち合せを行ないました。また私のために、日本語で動かせるようにパソコンのプログラムも調整してくれました。さらには学科長が「マサハルがくつろげるように、みんなで配慮してほしい・・・・」といった内容の文書を学科のスタッフたちに配布してくれました。妙な話ですが、他国へ来て「人の情(なさ)け」を感じる日々です。

◇実は、こちらへ来る1週間前に、例のごとく、過労とストレスとが原因で、内視鏡の検査を行ない、その時にもらった胃の薬を持ってきたのですが、どうやらここにいる間は、あまり利用価値がないようです。外国に一人でいながら、それほどリラックスした気持ちになります。もっとも言葉の面では相変わらず苦労していますが・・・・

◇さて、間もなく美幌から4人の中学生たちがやって来ます。そして、その準備もほぼ終わりました。ですから、どうか安心してケンブリッジへ来てください。この計画は、美幌とケンブリッジ双方の希望を取り入れながら立てた計画です。キット充実した交流となるに違いありません。感謝なことに、私は今回、相互のやりとりのお世話をさせていただきましたが、その仕事をしながら「美幌とケンブリッジの子どもたちは幸せだなあ・・・・」と思いました。役場の企画調整課の皆さんと、ケンブリッジハイスクールの協力によって、この計画が実現したのです。それらの人々の努力を忘れてはならないと思います。

◇先週末には車を走らせて、近くのワインガロ温泉へ行き、野外の温泉にユッタリとつかりました。近くの丘ではヒツジがノンビリと草を食べています。やわらかな冬の日差しのなかで、雲がユックリと動いてゆきます。人々の優しさと、自然の豊かさ。これが何よりです。もっと多くの美幌の皆様にも、この恵みをお分かちしたい。心からそう思うのです。


『さらに大きな夢を』

(『地元新聞紙』1997年10月:掲載)

◇今、私の手元には、この5年間あまりにわたってケンブリッジや美幌の関係者たちとの間でやりとりを行なった、膨大な量のフロッピーディスク10枚が残されています。

◇最初は私一人の心の内だけの小さな小さな夢であったケンブリッジとの友好姉妹都市提携が、関係者たちの言い尽せぬご尽力の数々によって実を結び、夢が現実のものとなりました。そして友好姉妹都市調印を経て、今や小さな夢が、多くの人々と共有すべく大きな夢ともなりました。感謝でいっぱいです。そこで、今回、貴重な紙面をお借りして、今後の展望について簡単に述べてみたいと思います。

◇さて、私が美幌との交流先としてニュージーランドのケンブリッジを選んだのにはいくつかの理由があります。その大きな理由の一つが、ケンブリッジ周辺を含むワイカト地方が農業・酪農を主体とした地域である、といった点です。つまりは田舎である、ということです。今も昔も多くの若者たちに共通した傾向は大都市圏への憧れです。ニュージーランドとて例外ではありません。米国やオーストラリア、そして人口百万人を抱えるニュージーランド最大の都市、オークランドへ移り住もうと願う若者たちが数多くいます。

◇しかしその一方で、第一次産業が盛んなこの国では、後継者不足にさほど悩んでいる様子はありません。私の知るかぎり、第一次産業従事者たちの多くは誇りを持って仕事に励んでいます。これはニュージーランドが伝統的に貧富の差を薄くし、平等主義国家を造り上げてきたことによるものと思われます。そのため「大きくなったら農業・酪農従事者になる!」と、胸を張って答える若者たちが多くいるのです。ですから、私は美幌の若者たちがケンブリッジと交流することによって、美幌で生活することに誇りを持ってほしいと願ったのです。逆に、もしも美幌が大都市圏との交流を願ったならば、それは美幌の子どもたちに「都会はいいぞ。早く美幌を捨てて都会へ行け!」と勧めるに等しいのです。

◇田舎はそれに相応した誇り得る文化があるのです。温泉設備を造ればヒットするのです。情報・先端関連の教育産業は成長が困難なのです。逆に、福祉関連の教育産業ならばヒットするのです。都会の文化を美幌に移し替えても無理なのです。ニュージーランドは「偉大なる田舎国家」です。開拓精神に溢れ、ユーモアに富み、大地にしっかりと根をおろした、粘り強い人々が多いのです。だから私はこの国を美幌に紹介したのです。

◇福祉関係の調査活動のためにニュージーランドにしばしば出入りを繰り返している私が何よりもホッとするのは、たとえ英語の運用能力が低くても、日常的に嫌な想いをしたことが一度もない、といったことです。第一外国語が日本語でもあるニュージーランドでは、むしろ「自分が日本語を話せないので申し訳ない」と言われることさえもあるのです。そして、もしも私が英語の運用能力が高かったならば、ケンブリッジとの交渉は難しかったのでは、と感じます。たどたどしいがゆえに、その必死さが、かえって相手側に好感を与えたのでは、と思えてならないからです。まったく何が幸いするかわかりません。

◇さて、いわゆる受験英語を中心としたわが国の英語教育も、徐々に実践的な学習の習得に力を注ごうとしています。したがって近い将来には、若者たちの多くが実践的な英語の運用能力を身につけることになる筈です。さらには、日本人の日本語教師が不足しているほど日本語教育に力を注いでいるニュージーランドも、やがては日本語でコミュニケーションが可能な若者たちが育ってきます。そうなると、英語でのコミュニケーションを主目的とした交流プログラムも変わってくることになります。すなわち、語学交流から文化交流へと変化してゆくのです。そして、それこそが本質的な国際交流なのです。

◇美幌はケンブリッジと文化交流を主体として交わるべきです。語学交流はあくまでも付随目的として位置付けるべきです。英語が事実上の世界標準の言語となりつつある現状では、将来とも、言語面で多少不利であることには変わりがないものと思われますが、ポケット翻訳機の機能がさらに進化すれば、通訳者を介することなく、ボタン操作のみで、伝えたいことのおよそは音声で翻訳機械が代行してくれます。ちなみに、これは私のように福祉領域で仕事をしている者にとっては、すでに身近なシステムとなっています。すなわち、自動点訳機や点字の自動翻訳機、パソコンの音声入力や画面文字の音声による読み上げ、等々のシステムのことです。これを専門用語では「テクノエイド」と称します。

◇「ボンサイ」「カラオケ」「イケバナ」、これらはそのままニュージーランド英語として使われています。「ナシ(梨)」もそうです。日本食もブームに近い状態です。ですから、ものおじせずに美幌の文化をケンブリッジに紹介してください。ただし、酩酊者は嫌われますし、また建物内は全面的に禁煙ですので、くれぐれも分煙にご注意ください。

◇さて、私は今回の美幌への訪問団六名の成田空港での出迎えから、関西国際空港での見送りまでの1週間を完全密着で同行しました。疲れましたが、とても楽しい日々でした。東京での夕食会のときでした。皆を代表して、ヒューイット首長が私にプレゼントをくれました。ウールの手編みセーターでした。ゲイルさんが楽しそうに笑いながら説明を始めました。「毛糸を選んだのが○○で、デザインを決めたのが○○、腕の部分を編んだのが○○で、前の部分が・・」と続きました。実際に計ったわけでもないのにピッタリでした。私がニュージーランドに夢中なのは、こうした心のあったかい人々が多いからなのです。

◇私はこの数年間、美幌の子どもたちがケンブリッジへ行けば現地で出迎え、美幌へ行けば同行し、といった働きをしつつ、マックスウェルさんらと協力してケンブリッジ側の交流体制を組み立てることに心を注いできました。ニュージーランド学会の人からは「経済的にとても相手側が持たないで失敗するケースが多いので、注意して交流した方が良い。」との助言も受けていました。事実、黙っていてもひっきりなしに、日本をはじめ、世界各国からの訪問者が訪れるケンブリッジは、特に国際交流予算などといったものは無いに等しい状況です。美幌との交流のための基金を設立する必要性を感じました。

◇ゲイルさんたちは、かねてより私がケンブリッジに中古住宅を購入する願いがあることを知っていました。そこで私はこれに相当する資金を献金して交流基金とすれば、ケンブリッジの人々の心の中に、数多くの「見えない家」を得ることができる、と考え『ラブリーファンド』を設立しました。これだとケンブリッジ側のプライドを傷つけることもなく、また10%程度も利息が付きますので、利息運用によって交流資金が調達できると考えたのです。主として福祉的配慮を必要とする人々が美幌を訪問するための基金です。

◇むろん個人の力には限界もあり、また美幌側の計画に必要以上に介入することは避けるべきですが、私の当面の目標は、ケンブリッジ側の組織づくりをより強固にすることと、将来、多目的利用の『美幌交流センター』をケンブリッジに設立することです。ケンブリッジを訪れた人々が、それを通して美幌の良さを知るに違いないからです。私はケンブリッジに美幌を透かして見てきました。ケンブリッジに対することは、私を育んでくれた愛する美幌に対することだと思ってきました。さらに微力を重ねたいと思っています。


『ケンブリッジ通信』

(『地元新聞紙』1999年10月:掲載)

◇今年もまた早春のニュージーランドへ出掛けてきました。今回は3週間ほどでしたが、ニュージーランド各地を精力的に動き回り、充実した調査活動ができました。

◇私が毎年、ニュージーランドで熱心に調査活動に取り組んでいるのは、ハンディキャップを有する人々への地域支援の実態を調べることです。特に、国内でまだ数ヶ所残存している大規模収容型福祉施設(これをコロニー型施設と言います)の完全閉鎖へ向けてチャレンジし続けているこの国の姿は感動的ですらもあります。姉妹都市であるケンブリッジが属するワイパ地区にもそうした施設(トカヌイ・ホスピタル)がありましたが、すでに昨年三月に完全に閉鎖されました。そして、グループホームを主体として、施設から地域へと移り住んだ人々への「人間らしい生活」の支援をめざしているのです。まさに世界最先端に近い取り組みです。

◇さて、昨年は南島に滞在していたため、北島に行く機会がなく、2年ぶりにケンブリッジを訪れました。まるで美幌に戻ってきたかのようなホッとした気持ちになりました。これまでもう何十回も訪れた街です。2年前と較べてショッピング店舗も増え、ますます「清楚で美しい街」に磨きがかかったような雰囲気がしました。とりわけ、図書館とドッキングして新築移転したワイパ地区ケンブリッジ支所オフィスに隣接して、ニュージーランド各地に数多くの店舗を持つ「ウェハウス」という大型ホームセンターが新規開店し、大勢の人々で賑わっていました。

◇今年から美幌との交流が始まった聖ペテロ学園へ挨拶に行った後に、役場を訪れ、担当者のサンドラとしばらく話をしました。彼女とは時折、電子メールでやりとりをしています。その際、日本の大学に留学したことのあるスタッフも紹介されました。その後、マーレィ・マックスウェル氏の家で夕食をご馳走になりながら歓談しました。今回の配置転換で、美幌との交流担当業務から離れたことを残念がっていました。姉妹都市調印に際して私の招待で美幌を訪問したゲイルさんが、地域評議会議員選挙で惜しくも落選したことも知りました。彼女は今、息子夫婦のいるスイスに行っているとのことでした。

◇ところで、かつて私はケンブリッジに中古住宅を購入する計画を持っていました。しかし、もしもこれに相当する金額を美幌との交流資金として提供すれば、ケンブリッジの人々の心の中に「目に見えない家」を得ることができることに気づき、3年前に『ラブリー・ファンド』という基金の設立を申し出ました。国際交流のための予算がほとんど設定されていないために、美幌を訪問したくてもできないのが実情だからです。そこで、この国の銀行の5%を超える預金金利を活用して、それを美幌訪問のための補助金として提供しようといった計画でした。

◇5年間で10万ニュージーランド・ドルの積み立てプランでしたが、私個人にとっては正直、かなりの負担額でした。しかしこの程度の基金総額がどうしても必要でした。その後、前任校からの退職金を充てることができたりもして、先日、最後の送金を終え、ついに総額10万ドルを超える基金を積み立てることができました。ちなみに、この金額は、この国の人々の平均的な年収の2〜3倍にあたります。

◇この基金の運用については、ケンブリッジの姉妹都市委員会に、その使途方法を委ねています。しかし私としては、主として経済的に負担が強い人、それに高齢者やハンディキャップを有しておられる人々が美幌を訪問するための助成金として用いてもらうことを申し出ています。そして、そのことは福祉作業所の職員にも伝えてあります。やがて本当に美幌訪問が実現すれば素晴らしいだろうなあ、と思っています。

◇さて、書籍の値段が高いせいもあってか、ニュージーランドの図書館は、どこも利用者主体の運営がなされ、住民たちの利用度がきわめて高いのが特徴です。クライストチャーチの市立図書館ではインターネットも利用できますし、ウェリントンの市立図書館などは、館内に喫茶店すらもあります。また「ラージ・ブックス」と言って、文字の大きな書籍や、「トーキング・ブックス」と言って、ちょうどレンタルビデオのようなケースの中に、その本の内容がカセットテープに録音されている書籍類が数多く揃えられています。

◇そこで、今回も美幌図書館にニュージーランドから十数冊の書籍を送らせていただきましたが、逆に、日本語学習が盛んなニュージーランドへ、日本の書籍を送ることをケンブリッジ図書館側に申し出て快諾されました。これからコツコツとケンブリッジに送り続けるつもりです。新たな貢献への目標ができて、とても幸せを感じています。

◇多文化・多民族国家でもあるニュージーランドは、異なる民族や言語が共存している国です。そうした日常的な状況下における美幌との交流なのです。ですから、どうかケンブリッジとの交流を、長い目で温かく見守ってくださるように願っています。そして今後、多方面での「草の根交流」が拡がることを期待しています。


美幌の姉妹都市として「ケンブリッジ」を推挙する理由

1993年3月10日(水)に、ファクシミリで地元新聞紙へ送付。その後、同紙に掲載。    

@美幌と比較して、ケンブリッジが適性規模の町であること(人口約1万1千人)。

Aケンブリッジはニュージーランドにおける「ファームステイ」(牧場滞在)の中心地としても知られるように、ケンブリッジは「清楚で美しい町」であり、世界各地からの訪問客が訪れる街である、ということ。

Bケンブリッジはニュージーランドの玄関口であるオークランドから車で3時間程度(150キロ)のところに位置しており、日本からのアクセスが便利である、ということ。またケンブリッジから車で10分のところにはハミルトン空港(ジェット機が発着)があり、それを利用するとオークランドから30分であり、またハミルトン空港からはウェリントン(首都)やクライストチャーチ(ニュージーランドを代表する観光都市)へ直通便が飛んでいるような便利な場所である、ということ。

C北島の代表的な温泉保養地であり、マオリ文化の発祥の地であるロトルアへ車で1時間の距離(75キロ)であること。同じく、ニュージーランドの代表的観光ポイントである「ワイトモ洞窟」(「世界の8不思議」と言われる「土ボタル」が見られる)まで1時間以内(60キロ)の便利な場所に位置しているということ。

Dロトルア同様、「マス釣り」で知られる「タウポ湖」まで2時間(100キロ)であり、ロトルア&タウポでは、釣りの他に、《ジェットボート&乗馬&パラグライダー&ラフティング(ゴムボートで渓流を下る)&バンジージャンプ&ヨット&アブセーリング(岩登り)》等の、各種アウトドア・スポーツが堪能できる地域である、ということ(ちなみに、これらのいくつかはケンブリッジでも可能である)。

Eケンブリッジ周辺にはゴルフコースがいくつもあり、日本の10分の1程度の料金でプレーができること(しかも大変すいている)。

F南半球であるため、美幌が厳寒期にこちらでは水泳ができ、また美幌が夏の時期にはケンブリッジから車で2時間のところにある、北島を代表する「ファカパパスキー場」で本格的なスキーを楽しむことができる(シーズンは7月中旬〜10月中旬)、ということ。

Gオールブラックスでも知られるように、ニュージーランドはラグビーの本場であり、各地に数多くのラグビーチームがあり(ケンブリッジにもある)、ラグビーの盛んな美幌にとって有益であろうと思われること。

Hニュージーランドは世界有数の福祉国家であり、美幌の福祉を考えるうえで有益と思われること。

I同じく、ケンブリッジ・プライマリースクール(ケンブリッジ小学校)は「メインストリーミング教育実践」(一人ひとりの子どもが、その子なりに位置づく教育実践)で知られている学校であり、ハンディキャップを有した子どもたちの教育問題を考えるうえで有益であろうということ。

Jニュージーランド国民は大変な親日家であり、また日本語が第一外国語であるため、日本からの訪問者が歓迎される、ということ。またそれに伴い、日本語教師を数多く求めているということ。したがって、交換留学生をはじめとして、各種の交換プログラムの実施が容易であろうと思われること。

K現在、ニュージーランドへは成田の他、名古屋&大阪空港からの直航便(オークランドまで10時間半)が就航しており、女満別からのアクセスに大変便利であるということ。ちなみに、大阪&名古屋空港は、成田空港に較べ、市内にも近く、また国内線と国際線との乗り継ぎが非常に便利な空港である。

Lニュージーランドは治安が良く、医療設備も整っており、また水もそのまま飲め(実は、このことが意外に重要なことである)、日本と同じく島国であり、さらには地図をみると、ケンブリッジはちょうど美幌と同じような地形にある、ということ。

Mニュージーランドは平等意識が浸透している国であり、女性の社会的地位も男性と同じである(ニュージーランドは世界で最初に女性への参政権を確立した国)。また先住民族であるマオリ族や、南太平洋諸国からの移住者たちとの共存がスムーズになされているところの世界有数の人権国家であり、同じく先住民族であるアイヌ民族の問題を考えるうえで有益な示唆を与えてくれる国家である、ということ。

Nケンブリッジから20キロ離れたところに、人口10万のハミルトン市があり、ショッピング等に便利であるということ。ちなみに、ハミルトンには「ルアクア農業センター」(美農の数倍の敷地面積)があり、農業問題を考えるうえで有益と思われること(ちなみに、この国の主要産業は農業・牧畜業である)。さらには、総合大学であるワイカト大学(学生数、約1万人)およびワイカトポリテクニック(高等職業学校)があり、語学研修をはじめとして、各種の研究や研修に便利であるということ。


The Reason I recommend BIHORO as a Sister-City of CAMBRIDGE

(1) Bihoro is a good-sized scale town for Cambridge with a population of approximately 25,500.

(2) Bihoro is a lovely town having many places of scenic beauty, especially “Bihoro-Pass", so over a million tourists visit Bihoro a year.

(3) Bihoro is fifteen minutes drive from Memanbetsu-Airport. You can fly direct from Memanbetsu-Airport to Osaka International Airport, which is on the Auckland-Airport direct line. Osaka is a good alternative to Tokyo for arriving in Japan as it is next to the famous ancient capitals of Kyoto and Nara, major tourist destinations for every visitor to Japan. Memanbetsu-Airport will also be put on theNagoya- Airport line in the very near future, and Nagoya also has direct flight to Auckland.

(4) Bihoro is located at the centre of “Akan-National Park" and is quite convenient for visiting many beautiful tourist spots. Akan-National Park is one of the famous sightseeing areas in Japan.

(5) In the suburbs of Bihoro, there is an area where an aboriginal culture, the AINU people lives. (Most of the “AINU" people live in Hokkaido especially in the east which includes Bihoro.) Many people have noted similarities between the AINU culture and the MAORI culture, for example a strong oral tradition and some handicrafts. I think this makes Bihoro a special town for cultural exchange.

(6) Bihoro's main industries are rice-growing and dairy farming, so Bihoro is a beautiful and quiet rural town similar to Cambridge.

(7) The people of Bihoro are very warm and friendly and open to cultural exchange. English is their first foreign language and they are keen to welcome visitors from New Zealand. Many native English speakers are needed as English teachers so the possibilities for exchange programs, working holidays and so on for our young people are limitless.

(8) Bihoro has had a strong desire for a Sister-city international exchange for some time. They have a strong belief in exposing their young people to different cultures so they grow up with a spirit of international co-operation. Thus there is a very high chance of successful exchanging.
*A Private organization “Bihoro International Friendship Club" has already expressed that they would back this exchange program up.
*“Bihoro International Friendship Club" has sixty members.

(9) Japan is located in the Northern Hemisphere, so the season is contrary between Cambridge and Bihoro.
*Bihoro has much of snow in Winter. Therefore you can enjoy winter sports at Bihoro in your Summer Holiday season, and summer activities such as boating, fishing,and hiking in your winter so the seasons are reversed. Bihoro has a lot of snow in winter and good facilities for skiing and skating. There is also a small Snow Festival similar to the famous but crowded Sapporo Snow Festival. Accommodation is no problem as we have a good range of alternatives from Youth Hostels to Japanese inns to the Grand Hotel, and of course with Sister-City Relations there is always the Home-Stay alternative.

(10) Japan has an excellent record for public safety and health. The medical services are reliable and accessible and it is well known that it is a safe country to live or travel in. In Bihoro we take pride in the cleanliness and safety of our environment. It is very important to be able to drink fresh tap-water and to enjoy good fishing from the lake and rivers, and our children can walk, bike or ski safely around the town. We feel we have all the advantages of a small country town as well as the convenience of a bigger city only half an hour's drive away. I think the landscape and environment of Bihoro and it's relationship with Kitami is very similar to Cambridge and it's proximity to Hamilton.

I have trawelled all around the New Zealand and I believe Cambridge is the best town in New Zealand. Bihoro is my home town, so of course I think it is the best town in all of Japan! What better way to enter into a Sister-City Relationship, than between two best towns!!


1993年4月8日(木曜日) 

美幌新聞社  ○○○○ 殿 
               
 このファクシミリは、美幌町役場(○○氏)&国際交流推進委員会(○○氏)&美幌新聞社(○○氏)各氏に対して、同じ文面をもってお送りいたします。

 さて、昨夜の議会に於いて、ケンブリッジ地域評議委員会が、美幌との姉妹都市提携を承認する議決をいたしました。そのことを感動をもって報告させていただきます。これで長年、姉妹都市提携を模索してきた美幌町にとって、姉妹都市関係を提携すべき世界中の国々のなかでベストに近い国であるニュージーランドの、さらにその中でもベストに近い町であるケンブリッジと姉妹都市関係が提携できることになりました。以下、決定事項の翻訳文を記します(原文は同時にお送りします)。


             議題:日本の姉妹都市提案−北海道・美幌

                                 1993年4月7日
    発:ケンブリッジ地域評議会・会議

    〈決議事項〉   

    『アレン議長によって提案され、ロダー議員によって(その提案が)支持された。』

    『(そのことに関し)、ケンブリッジ地域評議会は、満場一致をもって、日本国
     北海道美幌町と姉妹都市関係を結ぶことを決定する。』 
                                〈通過した〉

    ケンブリッジ・マネージャー(責任者) M・W.マックスウェル
    セクレタリー(書記官) ゲイル・トゥロートン


◇ここで会議の様子を若干説明させていただきます。昨夜、7時過ぎから始まった地域評議会(以下、議会と略称)で、最初の議題に美幌との姉妹都市提携が提出されました(5〜6名の傍聴人がいました)。私が各評議委員に配布したのは、送っていただいた美幌のパンフレット(先に何人かに渡してあったパンフレットも、既に当日までに各評議委員が閲覧していたようでした)、そして日本古来のハンカチ、および手作りによる人形、そして本日、お送りしたスピーチ用の英文原稿(美幌向けに作成した「ケンブリッジを推挙する理由」の日本文も含む)でした。

◇最初にマオリ語で挨拶をしますと「オ〜ッ!」という声があがり、たちまち好意的な視線が向けられたことを感じました。続いてパンフレットにそって、約15分間の「ケンブリッジが美幌と姉妹都市を提携するメリット」についてスピーチを行ないました。その中で、マオリ語と日本語の発音が似ていることを証明するために、マオリ語でニュージーランド国家を歌いました。歌い終わった途端、大きな拍手に包まれました。その後、委員からの質疑応答が5分ほどあり、議長である町長が採決に入りました。「アグリー(賛成?)」と問うと、各委員が「アイ(マオリ語でイエスの意味)」と即座に応答しました。次に「アゲンスト(反対は?)」と問うと、無言でした。すなわち全会一致で美幌とケンブリッジとが姉妹都市を提携することにケンブリッジ議会が同意をしたのです。

◇その後、町長から「美幌はケンブリッジにとって、4番目の姉妹都市になる」ことを告げられ、「もう一度、国家を歌ってほしい」との要請を私にしました。そこで再びマオリ語で歌いますと、今度はさらに大きな拍手が沸き上がりました。そして、ある評議委員が議会を代表して、私に歓迎のスピーチをし、ワイカト・ラグビーチーム(昨年、国内大会で優勝したチーム)のユニフォームとソックス、それにオールブラックスのネクタイ、およびケンブリッジの歴史を記した豪華な本を贈呈してくれました。そのときに、地元の新聞社の人がその様子を写真に写しました。

◇最後に私が謝辞をのべ、「日本では多くの場合、決定まで小さな会議をいくつも経ながら最終的に決定がなされるので、しばらく待ってほしい・・」とお詫びをしつつ話すと、皆「待っているから!」と、やはりほほ笑みながら応えてくれました。

◇以上が、昨夜の議会での出来事です。私は「もしも決定がなされた場合は、美幌町役場および議会の同意を得るために、この決定に関する公文書を発行してほしい」旨を、予め伝えてありますので、後日、その証明書が発行されたならば、ただちにお送りいたします。したがって今回お送りしたのは、正式な公文書の発行が後日となるために、それまでの準公文書です。しかしこれとて、町長の了解を得たところの、責任者の署名もある正式な決定文書です(本日、ケンブリッジへ行って作成してもらいました)。

◇ケンブリッジはわずかの情報で、美幌との姉妹都市提携を決定してくれました。それにはさまざまな要因が働いています。日本がニュージーランドにとって、大変重要な役割を果たしつつある国であることを各議員が理解していること。議員のなかにも日本や北海道に行ったことのある人がいて、この提案をサポートしてくれたこと(ある議員は、質疑応答のなかで「美幌の高校生とケンブリッジの高校生とのラグビーの試合ができることを楽しみにしている」と語ってくれました)。さらにはこの件に対して、担当者であるところの、ミセス・ゲイル・トゥロートンをはじめとした、ケンブリッジの担当者たちが実に献身的に協力してくれたこと(私のスピーチ原稿を、ニュージーランドの人たちにより効果的にアピールできるようにと、詳細にチェックしてくれた友人の協力もありました)。そして何よりも、美幌がそれらにも勝るほどの魅力があったこと、等です(ゲイルさんを最初に美幌へ招待すべきだと思います)。

◇日本の流儀としては「先ずはお互いを深く知り合ってから、その後に調印をしましょう。」といった流れです。しかし欧米でもそうですが、この国も「契約社会」です。ですから「お互いに利益があり、信頼し合える関係ならば、キチンとした契約書を取り交わし、そのうえで交流を深めましょう。」というのがベースです。日本(あるいは美幌)の流儀を押し通しては国際交流は成り立ちません。ここが大変重要なポイントですので、真剣にご考慮ください。半年間、ケンブリッジは無論のこと、国内各地を詳細に調査したうえで、私がケンブリッジに対して具体的にアプローチしてから僅か3ヵ月でした(余談ですが、会議が始まる前の町長との雑談で、ケンブリッジが属している地域であるワイパ地区の人口を約37、000人である、と即答できたのも、こうした予備調査を綿密に行なっていたからでした。そのとき町長は驚きの表情をみせました。そして、その他の質問や数字等も容易に答えることができました)。この間、上記のごとく、関係者たちの必死の努力がありました。しかし逆に、3ヵ月もあれば決定可能の事項ということです。今、ケンブリッジは美幌の対応を「一日千秋の想い」で待っています。その返答までの期間で、美幌のケンブリッジへ対する誠意をつかもうとしているのかもしれません。

◇昨夜の議会が始まる前に、議長でもある町長が「先日も、福岡県のある地域の議員たちがこの町を訪れた。」と話してくれました。また、千葉県のある市の高校では毎年、高校生たちを短期留学生としてこの町へ送ってきています。ケンブリッジはこうした魅力的な町なのです。そうした流れ(実績)を飛び越して、姉妹都市としての権利を今回、美幌がつかんだのです。しかも既に北海道から九州まで姉妹都市関係を結んでいる市町(この国の)と較べても、ケンブリッジはベストに近い町なのです。美幌町民にとって「姉妹都市」としてのケンブリッジは、小樽にも苫小牧にも、浦和にも箱根にも、そして倉敷にも福岡にも胸を張って自慢できる町なのです。繰り返しますが、タイミングとスピードこそが、今後の交流を円滑に進めるうえでの重要なポイントです。

◇なお、まだ当分の間、ケンブリッジへの連絡は私を通してほしいことを担当者から伝えられておりますので、どうぞ遠慮なく私をご活用ください。そのために必要であれば、自宅にファクシミリを設置します(大学だと、受け取りに時間がかかるためです)。それでは、とりあえずこれで失礼をいたします。なお、昨夜、議会で閲覧していただいたケンブリッジを写したアルバム、および今回、お送りした資料等は別便にて役場宛てに送付いたします(過日、美幌新聞社宛てに送付したビデオテープ等が届いていたとしたならば、それらもご参考にしてください)。どうか今回の、ケンブリッジの美幌へ対しての「篤き想い」を無にしないよう、「可及的速やかに」組織決定を行なっていただけるよう、強く願って止みません。それではこれで失礼をいたします。


                                01−80−03
1993年5月27日

日本国北海道美幌町
美幌町長 ○○○○ 殿


親愛なる ○○氏へ

美幌−ケンブリッジ−姉妹都市関係

 日本国・美幌町が私たちの姉妹都市になって下さるよう要請できることは、ニュージーランド国・ケンブリッジ町を代表しての私の喜びとするところです。

 ケンブリッジは、あなたが確かにお聞きのように、国道1号線沿いに位置するところの非常に美しい町であるとともに、また非常に広大な農業地域の中心地です。農場は、主として乳牛、食用牛、羊、それに小量の園芸および果樹園をともなった馬飼育場です。

 ケンブリッジは非常に大きな古い木々によって注目されており、また「木々の街」としての評判(名声)を受けるに値する町です。

 (ケンブリッジの)人口は10、539人で、(その中には)5千人の農業従事者たちがいます。ケンブリッジは総人口37、016人を擁するところのワイパ地区と称される広域地区の一部にあり、そして私はこの全ての地区(ワイパ地区)の首長です。

 私はケンブリッジに関して新しく作成された資料をお送り(同封)します。その資料は、貴殿にこれらに関するあらゆる有益な情報をお伝えできることでしょう。

 私は準備が整われ次第(ただちに)、貴殿および町役場の職員たち、それに児童生徒たちにお目にかかれることを楽しみにしております。○○氏はこの姉妹都市接触の話をもたらせ、その実現のために非常に熱心に働いてこられました。彼は生れ故郷である美幌を非常に愛しておられ、私たちが姉妹都市として非常に円滑に協力し合ってゆけるであろうことを確信しておられます。そしてケンブリッジの人々は、彼に対し、いつも感謝をすることでしょう。

 私はケンブリッジ地域評議会が、既に「我々は日本国・北海道美幌町と姉妹都市を結ぶべきである。」と決議したのと同様の、貴殿からのご返答(もしくは、「同様の議決書の返答を貴殿よりいただけること」)を楽しみにお待ち申し上げております。

敬 具

ニュージーランド国
ワイパ地区評議会
首長 ブルース・バークェスト

『ケンブリッジとのこと(上)』

◇本紙をお読みの皆様は、今回の突然のケンブリッジ町との姉妹都市提携の記事にさぞかし驚かれたことと思われます。静かな暮らしを満喫されておられる町民の皆様や関係者の人たちを驚かせるような結果となってしまった責任を強く感じています。そこで本紙の特別のご配慮により、この間の事情を報告させていただく機会を得ましたので、これまでの経過を簡単に報告するとともに、このことが今後、良き方向性をもって進められてゆくためのご助力をいただきたく、この原稿を書かせていただいた次第です。

◇さて、本紙の私の連載を注意深くお読みの方は、私がニュージーランド(以下「NZ」と略称します)と深い交流をすべきである、と繰り返し述べてきたことをご理解いただけるかと存じます。そのことを最初に述べたのが、昨年の10月20日発行の文章でした。そして11月3日には、間接的ながらケンブリッジをイメージした姉妹都市提携の文章を書きました。私のなかには「これまで美幌は長い間、海外との姉妹都市提携を具体的に願ってきたのだから、キット何らかの反応がある筈だ....」との期待がありました。しかも「既に何度も訪問団を派遣して姉妹都市提携の申し込みを公的に行なってきたのだから、当然、町としての姉妹都市提携に関する基本理念や具体的な取り組み方についても組織決定がなされている筈であり、特にその場所以外には提携を考えない、といった特別な理由がないのであれば、提携先の国としてベストに近いNZは問題ないであろう....」との読みがありました。しかし具体的にはどこからも反応がなく、年を越しました。

◇その間、私はNZ各地を旅行しながら、美幌にとって姉妹都市として最もふさわしい町を探してきました。その結果、最初から「これはステキな街だ!」と思ってきたケンブリッジ町がやはり最適である、との結論に至りました。そうした矢先、本紙の新年特集号で国際交流推進委員会の杉原会長のインタビュー記事が掲載され、美幌の交流先にNZも候補として挙がっていることを知りました。そこで私はいよいよケンブリッジにアタックをしてみようと決心しました。

◇しかしそうは決めてはみたものの、公務員時代を含めてこれまで20年以上も組織人の一人として歩んできた私としては、当然、まず最初に行政側の意向を確かめるのが常道であると考えました。しかし昨年に引き続き、今年の1月にもスコットランドに公式訪問団を派遣して姉妹都市提携の申し込みを行なった、といった経緯を考えたとき、町側から「ケンブリッジと交渉しても良い」との確認を得るには、少なくとも私のNZ滞在中は無理であろう、と判断しました。そこで私が帰国するまでに、何らかの道筋がつけられるだけでも良い、と考えました。むろん、次回に述べてゆくように、まさかこれほどまでスピーディにケンブリッジ側が決断を下すなどとは、本当に夢にも思ってはいませんでした。

◇しかし決断と同時に、これから自分がしようとしていることを考えたとき、ためらいの気持ちが起こりました。最大の理由は、毎年1ヵ月程度は美幌に帰郷してきた自分ではあっても、美幌町民ではない自分が、だれからも依頼されたわけでもなく、したがって何らの公的・私的権限も有さないままで、こうした公共性の強い事業に勝手に着手しても良いのだろうか、との懸念でした。さらには私自身の中にも、限られた滞在期間で行なうべき研究課題が山積しているのだから、他のことにエネルギーをとられたくない、との人間的な想いもありました。そのため、連絡先の電話番号のメモを見ながら逡巡(しゅんじゅん)の日々が三週間続きました。しかし私には「美幌の良さをキチンと相手に伝えるならば、必ずや世界中の都市が、われ先にと美幌との姉妹都市提携を願うはずだ!」との燃えるような確信がありました。「もしも成功すれば、この国との深い交流は、美幌の将来にとって計り知れないほどの町益があるのだから、たとえ失敗したとしても試みてみるべき価値がある。」研究者の一人としてそう決断し、実行に移すことにしました。

◇二月の初旬に、ケンブリッジの国際交流団体の代表者であるナンシー・デーヴィスさんと話し合いの時を持ちました(そのとき初めて本紙へ、ケンブリッジと接触する、との簡単な連絡をしました)。彼女は目を輝かせながら「それはいいプランだ!」と私に語りました。しかし「自分は近いうちに休暇でロンドンへ行き、帰国は5月の予定だ。でもこの話は町の担当者に話しておくから....」と私に告げました。私は「この話は5月までお預けか....」とガッカリし、それからしばらく時が過ぎました。しかし念のために美幌新聞社にお願いして、美幌に関するパンフレットを送ってもらい、備えることにしました。
『ケンブリッジとのこと(中)』

◇三月初旬のことでした。ナンシーさんからの連絡もなく、しかたなくケンブリッジの町役場(タウンセンター)へケンブリッジに関する資料をもらいに行きました。すると「あなたが美幌との話を持ってきたプロフェッサー八巻か?」と聞かれました。それが担当者のゲイル・トゥロートンさんでした。そこで町役場の幹部を含めてしばらくの間、話し合いの時を持つことができました。皆「いいことだ、是非やろう!」と口々に言うのです。そこで、本紙でも紹介された『美幌の姉妹都市としてケンブリッジを推挙する理由』をまとめ、関係者に配布してもらいたい旨を記して大庭氏(美幌新聞社)に送りました。

◇それから数日後、ゲイルさんが「今度私たちの教会でケンブリッジの社会福祉についてゲストを迎えて話をしてもらうので出席しないか?」と私を誘うのです。何とそのゲストがパット・アレンさん(地域評議会議長)でした。そこで集会のあと挨拶をすると、彼女(アレン)は「美幌のことは聞いている。いいことだと思うので、来月の議会にあなたを招いてスピーチをしてもらおうと思っている。」と、いとも簡単に私に告げるのです。「ノープロブレム(大丈夫、問題はないよ)!」が日常語でもあるこの国の柔軟さについては、それなりに把握していたつもりでしたが、私の予想をはるかに越えるスピーディさにビックリしてしまいました。後で分かったことですが、全てゲイルさんの配慮でした。ちなみに、そのとき既に、彼女(ゲイルさん)のオフィスには『美幌との姉妹都市提携に関する調査書』と書かれたファイルブックが置かれてありました。私は心を打たれました。そして「ケンブリッジの関係者たちは本気だ....」そのとき、私はハッキリとそう思ったのでした。

◇さて、それからが慌ただしい毎日となりました。このとき、ようやく国際交流推進委員会の○○会長に連絡をすることができました。しかし情けないことに、名前を知っていても連絡先が分かりません。そこで昨年の本紙の縮刷版に「○○写真館」の公告が載っている記事を見つけ、名前が一致しているので多分この人だろう、と手紙を出しました。そんな程度でしたから、役場の担当課長さんにはさらに連絡が遅れる結果となり、申し訳のないかぎりでした。ましてや議会関係者には、○○氏を通して「推挙理由」の文書のみを配布しただけで、進行状況については連絡すらもできませんでした。ですから、本紙の記事を読まれて驚かれた町関係者や議員の方々も数多くおられたことと思われます。海外にいたとはいえ、これら全ては私の不手際です。幾重にもお詫びをいたします。

◇しかしそうした私の不手際さにもかかわらず、○○氏は直ちにファクシミリと電話とで「このプランに側面援助をしたい」との連絡を下さいました。「事前に必要な連絡もせずに、お前が勝手に進めたことに協力する責務はない」と、たとえ言われたとしても、黙って引き下がるしかなかった私の立場でした。先程のゲイルさんも、ケンブリッジを愛し、発展を願う気持ちのみで献身的に動いてくれました。同じく美幌にも「手続き論」を振りかざすことのない、○○氏や○○氏、そして役場の担当課長である○○氏など、真に美幌を愛し、発展を願う人たちがいてくれたことが幸いでした。

◇実はこの件に関して、私には二つの点で不安がありました。それは私の連載を読んでくれている近隣市町村の関係者から「わがマチとの可能性を探ってほしい」との依頼が来ないだろうか、といった点でした。私の性格からすると、おそらくは「ノー」とは言えないであろうに違いなかったからでした。しかし、私はやはりわが愛する美幌のために働きたいと思いました。幸い、そうした依頼はありませんでした(よく考えてみれば、私の文章など、それほどの影響力があろう筈がありません)。もう一点は、ケンブリッジがあまりにもステキな街なので、日本のどこかの市町村が先に姉妹都市提携のアタックをしないだろうか、との不安でした。事実これに関しては、議会に呼ばれた際に、最近そうした議員団による訪問があったことを町長から告げられました。またある市からは、毎年高校生をケンブリッジに送ってきています。そのため、ケンブリッジ側が今回、何らの公的・私的交渉権もない私を議会に呼んでくれようとする絶好の機会を逃してはならないと思いました。「町外者で民間人の自分には何らの交渉権もない。しかし美幌の魅力を正確に、そして誠意をもって伝えれば必ず成功する!」そう私は思いました。その理由は「この国の人々に対するには、根回しや裏工作などといった姑息(こそく)な政治手法ではなく、誠意をもって、いかにして相手の信頼を得るかがポイントである」との確信をつかんでいたからでした。そして、そうした視点からスピーチ原稿をまとめる作業を開始したのでした。

『ケンブリッジとのこと(下)』

◇議会の当日、和服で正装した私はひどく緊張した面持ちで、与えられた15分間のスピーチをしました。この原稿も、この国の人たちに、より効果的にアピールできるようにと、友人のジョセリンさんが何時間もかけて、単語や表現を細部にわたってチェックしてくれたものです。その理由は、単語の使用を一つ間違えるだけで致命的となる場合もあったからでした。また日本の方言と同様、ニュージーランド特有の言葉の使い方や発音もあるからでした。挨拶や国歌をマオリ語で行なったのもそうです。だいいち、そうした配慮をしなくては、私の貧弱な英語力ではとても太刀打ちできないと考えたからでした。

◇傍聴人を含めて皆、私の習いたてのマオリ語と、たどたどしいスピーチをほほ笑みながら聴いてくれました。その目は「お互い、自分の街を愛する者同士だからキットうまくゆくさ!」と私に向かって語りかけてくれているかのようでした。私がスピーチの最後の部分を「ケンブリッジはこの国で最高の街であり、美幌も日本で最高の街である。最高の街同士が姉妹都市を結ぶこと以上に最高のことがあろうか!」と結びますと、大きな拍手が沸き起こりました。

◇その後、五分間ほどの質疑があり、再び私は緊張しました。しかし皆、口々に美幌との提携を支持してくれる発言ばかりなのです。当初、私は「今回はスピーチのみで、議決はせいぜい翌月回しであろう」と予想していました。したがって、まさかその日に採決が行なわれるなどとは考えてもいませんでした。ですから、私の目の前でいとも簡単に、満場一致で議決が為されてゆく光景を目を丸くしながら見つめていました。一気に肩の力が抜けてゆくかのようでした。ましてやその後、ただちに歓迎のスピーチがあり、新聞社のフラッシュのなかで、プレゼントの贈呈式が行なわれるなどとは予想だにできないことでした。その数日前、「たぶん大丈夫だと思うから、緊張しないで来るように....」とゲイルさんが私に語った言葉の意味がようやく理解できました。ちなみに、その記事はケンブリッジの地域新聞に大きく取り上げられました。

◇かつては地方の自治体には、単なる民間交流を越えて独自に外交を行なう、などといった役割は課せられていませんでした。しかし特に湾岸戦争以来、世界中がリアルタイムでつながり、またソ連の崩壊で、地球全体が運命共同体であることを、今やだれしもが理解できるようになりました。東京を経由して「二番煎じ」的に世界の情報をつかむ時代はもはや足早に過ぎ去ったのです。今日では、いかにして世界から必要な情報を直接キャッチし、独自の方略を組み立てるかが地方自治体に課せられた責務となってきました。

◇さらには近い将来、道州制もしくは連邦制への模索が始まるのと同時に、広域行政への流れがさらに加速化するであろうことは疑いのないところです。そうした将来予想のもとで、近隣市町村の中で美幌がより重要な位置を占めるためには、世界の動きを迅速にキャッチすべく独自の情報ルートを確保しておくことがきわめて重要であろうと思われます。そのためには、当然のことながら、どの国のどの都市と提携を結ぶかが重要となってきます。その点、幸いにしてニュージーランドは広域行政制度を採っている国で、ケンブリッジは人口約3万7千人を抱えるワイパ地域に属しています。その地域に議会(議員数13名)があり、首長がいます。さらには各地区にもそれぞれ議会(ケンブリッジの議員数は八名)があり、議長は首長が兼務するといった構成となっています。これはちょうど、美幌・津別・女満別等を併せて広域行政圏を構成し、一人の首長と議会とがあり、さらに各町にもそれぞれの議会がある、といった構造と同じです。ケンブリッジが美幌との姉妹都市提携を容易に決定できたのは、こうした「小回りのきく」行政機構にあるのです。

◇さらに幸運なことに、既にケンブリッジはオーストラリアに1つ、米国に2つの姉妹都市(アリゾナ州およびカリフォルニア州)を有しています。美幌がケンブリッジを通して、そうした既存のネットワークを活用しない理由はありません。とりわけ農産物問題等を考えるうえで、米国からの情報を直接的に得るルートを確保しておくことは、中央集権体制がかなり強固に残っているわが国の政治経済体制下においては、地方自治体が生き残るうえでのきわめて重要な自己防衛策であろうと考えます。

◇ともあれ、今回のケンブリッジとの姉妹都市提携へのプランは、美幌が真に魅力ある地方都市としてさらに飛躍してゆくうえで、そのステップともなる大きな出来事です。そうしたふるさとの限りなき発展のために、今回、ささやかなるお手伝いができたことを心から嬉しく思っております。ありがとうございました。