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◇ここに載録してある文章は、2003年8月9日〜9月7日までの間、ニュージーランドに滞在した際の旅日記です。今回のメインは、積年の願いであったマウントクックでの氷河滑走体験です。

◇1年前と較べて、1NZ$が10円以上も上昇してしまったために、今回はアンラッキーな旅でした(1NZ$=70〜72円)。ちなみに、今回のレンタカーによる走行距離は2,419q(北島が723qで、南島が1,696q)でした。

◇デジカメ画像を加えてみましたが、もともと「1,600×1,200ピクセル」のサイズで撮影した画像データのため、そのままだと、とてもファイルが重くなってしまいます。そこで画質を1/5程度にダウンさせて掲載しました。

■ 2003/08/09 (Sat)  旅立ち
◇台風が直撃する直前の8月8日の夕方に、まさに「間一髪」の状態で関空を飛び立ち、“冬晴れ”のニュージーランドへとやって来ました。ニュージーランドへは、もう14回目の訪問となります。一年ぶりにニュージーランドに戻ることができて、とても幸せな気分です。日頃の緊張がとれて、グッスリと眠ることができました。「戻る」というのは、私のチケットが現地から購入したものだからです。したがって、形式的には「ニュージーランドを出発して、1年以内に再び日本からニュージーランドに戻る」チケットになるのです。そのため、今回も昨年購入したチケットの半券を使って「ニュージーランドに戻ってきた」のです。今日、ケンブリッジの旅行代理店で、次回のチケットの相談をしてきました。

◇出発前に、予約の再確認のためにJALに電話をした際には、「満席です!」とのことだったのだけれど、実際はかなりガラガラ状態でした。理由は分かっています。これはNZ航空との共同運行便のため、たぶんNZ航空のチケットがガラガラだったのだと思います。おかげで自由に席を変えて、3席分を一人で使うことができました。夜間フライトのため、3席分のスペースを使い、横になって眠ることができたため、今回は随分と早くオークランド国際空港へ着いたような気がしました。

◇朝にオークランド空港に着き、そのままレンタカーで200キロほど走って、美しい海岸線が続くコロマンデル半島のモーテルに着きました。モーテルに着いた後に、さっそくローミングサービスを利用してのネット接続設定に取りかかりました。つまりは、メール等は「GRIC社」という、ローミングサービスを提供している会社のシステムを利用して、モーテルの部屋の電話回線を使い、現地のアクセスポイントを使って送信するのです。ですからメールアドレスも、そのまま日本のものが使えます(「Win XP」のパソコンになってから、ローミング設定がとても楽になりました)。但し、1分間で18円の手数料を要したり、ダイヤル接続のために速度が低下したしもしますが・・。ニュージーランドは家庭からの電話の場合、市内通話料は無料のため、インターネットが早くから普及しました。

◇ニュージーランドは原発を持たない国です。そのため電力は貴重です。したがって、部屋には簡単な暖房しかありません。その代わりに(これまで300泊以上は泊まりましたが)、どのモーテルのベッドにも電気シーツが付いています。ちなみに、時差はニュージーランドの方が日本よりも3時間進んでいます(10月下旬からのサマータイム時には4時間)。

◇今週、水曜日には、マオリ文化がさかん(否、温泉保養地で有名?)なロトルアから、厚手の手袋が必要な南島(クライストチャーチ)に国内便で移動し、9月初旬まで南島に滞在して調査活動に励みます。この時期のクライストチャーチは、早朝には道路が霜で真っ白になるほどの厳寒シーズンです。数年前の8月下旬に、クライストチャーチから車で3時間ほどの場所にある「テカポ湖」に出かけたら、帰路、猛吹雪になってしまったことがありました。夏タイヤのままだったので、ヒヤヒヤでした。道産子の私は雪道のコワサはよく知っていますので・・。「所変われば・・」のごとく、地球って本当に不思議ですね!

■ 2003/08/10 (Sun)  ケンブリッジ
◇コロマンデル半島のモーテルから、美しい海岸線を300キロほどを走って、私の故郷である北海道網走郡美幌町と姉妹都市関係を結んでいるケンブリッジへとやって来ました。ちなみにオークランドから直行した場合は、2時間ほどでケンブリッジに着きます。

◇この姉妹都市提携は、私が10年前にケンブリッジの近くのハミルトン市で生活していたときに働きかけ、その後、相互交流を重ね、1997年10月に正式調印がなされました。今では美幌に帰るよりもケンブリッジを訪問する機会の方が多い、といった状態です。ケンブリッジでは、現地に私が設立した交流基金(ラブリー・ファンド)の運用方法のことで、関係者たちとあれこれ相談しなくてはならないことがあるため、数日間、滞在します。

■ 2003/08/11 (Mon)  マーレィ
◇ニュージーランドへ行く前に、いつものように友人のマーレィにケンブリッジ訪問の日程を伝えました。すると、私がケンブリッジに設立した美幌との交流基金(ラブリー・ファンド)の件で話し合いをしたいので時間を空けておいて欲しい、との返事が来ました。以下、マーレィに送ったメールと、彼からの返信メールです。

Hello Murray.

I certainly received E-mail from you.  I was absent for the seminar participation for several days. And, I understood your house to have received serious damage due to a fire.  I declare the mind of a sincere sorrow to you.

By the way, I tell you my schedule.  I will arrive at Auckland on August 9.  And, I will move from the Rotorua airport to Christchurch on August 13.  As a result, I will stay in Cambridge on August 10 and the 11th.  I will have to move from Cambridge to Rotorua on the afternoon of August 12.  Monday, August 11 is the best for me.  I am free from the morning to the night August 11.  Of course, I am OK on the morning of August 12.

Well, today's temperature exceeded 32 degrees.  And, the typhoon seems to be approaching.

Yours very sincerely.

Dear Masaharu

I am very pleased to hear from you. In fact I was just about to email to find out if you were coming to NZ as your visits are normally in August. I understand that you wish to enjoy a quiet time in Cambridge and that there is not be any party.

I have a small business matter concerning the Lovely Fund which I need you to assist me with. It will only take a couple of hours but it is something that we must complete while you are here. Can you tell me how long you will be in Cambridge?

I have not had a very good year so far as in February our car, boat and part of our house was burnt in a fire. We are in a rental house while our own one is being fixed. All members of the family are OK but we have lost much of our possessions.

I am looking forward to seen you.

God bless you and kind regards from us all


◇そこで今朝、マーレィがモーテルまで迎えに来てくれて、昨年、美幌を訪れてくれたフィッシャー氏と共に、ケンブリッジ警察署の横にある法律事務所に向かいました。マーレィによると、この基金の運用方法について、弁護士を交えて確認しておきたいことがあるから、とのことでした。後から考えれば笑い話のようなことだったのですが、私は少し緊張しながら事務所に入りました。

◇弁護士を前に、マーレィが改まったような口調で説明を始めました。「ラブリー・ファンドは、信頼のおけるメンバーたちで共同管理をしようとしている。そこでマサハルに確認しておきたいことがある。それは、あなたが将来、この基金から何らかの返金を求めたりする気持ちがあるのかどうか、ということである。」そう言うのです。

◇マーレィは続けました。「最初、あなたはケンブリッジに将来、自分が住む家を購入したいと言っていた。その後、その代わりに、その購入資金を美幌との交流基金として提供したい、とのことだったが、その気持ちが今後とも変わらないのかどうかを法的にキチンと整理しておきたい。」そう言うのです。私は驚きました。

◇そこで私は笑いながら、「この計画は、ケンブリッジに自分の家を購入する代わりに、その資金を交流基金として提供すれば、私はケンブリッジの人々の心の中に、数多くの“見えない家”を購入することができると考えて提案したものだ。したがって、私は将来ともに基金からの返金や、利息の提供を受ける意思はまったくない。私の責務や役割は、ケンブリッジに交流資金を提供し続けることであり、運用に関する私の権限はすべて放棄する。」そうハッキリと伝えたのでした。

◇実は、マーレィの家は今年の二月に火災に遭ってしまい、現在、仮住まいの状態です、幸いにして半焼で済み、修理費用も全額、火災保険で補償されたとのことでした。そして、間もなく修復が終わる自分の家に戻ることができそうだ、とのことでした。

◇マーレィの仮住まいの家に夕食に呼ばれて行くと、そこに美幌から短期留学で来ている高校生がいました。なんと、マーレィの家でホームステイをしていたのでした。「美幌新聞で、あなたがケンブリッジに来ていることを知っていたので、あなたに会おうと思って学校へ行ったら、今日は特別休業日とのことで会えなかったんだ・・」と言って笑いました。ちょうど、ブラジルからの留学生と一緒でした。美幌にも来たことのあるマーレィの娘のアリーシァが、「今日、三人でハミルトンのショッピングセンターへ行ったんだ・・」、と楽しそうに話してくれました。そして、彼女の元気そうな笑顔をみてホッとしたのでした。

ケンブリッジ タナラキおばさん マーレィのオフィス
■ 2003/08/12 (Tue)  ラブリー・ファンド
◇「私が提供してきた交流基金のいっさいの権利は放棄する。」そうは言ったものの、「ニュージーランドの法律に関する詳細を私は把握していないし、またあなた方の細かなやりとりを正確には理解できていない・・」と伝えたところ、「それでは、あすもう一度、話し合いを持とう」ということになりました。そこで今日の夕方4時半から、今度は通訳者として、聖ペテロ学園(セント・ピーターズスクール)の日本語教師を交えての、確認のための話し合いが行われました。しかし結果は同じでした。お互いの理解に差異がないことが再度、確認されたからです。私は安堵しました。

◇その後、マーレィは苦笑しながら「みんなマサハルの家の購入希望のことを覚えていたので、この基金を共同管理態勢に移管する前に、法的にキチンと整理しておきたかった・・」と私に言いました。10年前に私が言ったことを、よく覚えていたものだなぁ、と感心してしまいました。ちなみに、この日本語教師は、この秋、生徒たちと美幌を訪問することになっています。

◇正直、私は「何でいまさら私の気持ちの確認などをするのだろう?」と、最初は不思議に思ったのですが、私個人が提案してスタートした交流基金の運用方法について、ケンブリッジ側ではここまでキチンとした管理態勢をつくり、適切に運用しようと努力してくれていたのです。しかも共同管理してくれるメンバーたちは、皆、私の親しい人たちで、信頼のおける人たちばかりです。本当にありがたいことだと思っています。

◇その後、マーレィから届いたメールがこれです。

Thank you so much for the photos. Not sure why my home email wasn't working but I have your message anyway. I meant to write to you before you left NZ to thank you for the clarification needed to set up the trust for the Lovely Fund.  The Cambridge Community Board and Sister city Committee have agreed that myself, Cr Grahame Webber and Robert Fiesst will be the trustees to the fund.  I am pleased that we can do this which will give the Cambridge Community the autonomy to administer the fund without first having to ask the Waipa District Council. Well Maraharu I am busy today so must finish this message.  I hope you are well and I will email again when I get a chance.

◇さて、ケンブリッジには歴史を重みを感じさせるタウンホールの建物があります。以前、そこにはケンブリッジ庁舎の建物と地域評議会の会議室がありました。その後、庁舎の建物は新築移転と共に壊され、会議室は美しくリフォームされて観光案内所(インフォメーションセンター)になりました。通常は、その頭文字をとって『i』と呼ばれています。この『i』は、どの街にも、と言っても良いくらいにあり、地域の観光案内をはじめとして、宿泊施設の予約等も取り扱ってくれます。私はこれまで、ずいぶんと多くの『i』に立ち寄ってきましたが、どこも皆、まるで親切のかたまりのようなスタッフたちばかりでした。そしてケンブリッジの『i』もその例外ではありませんでした。

◇私は今回、初めて出会った『i』のスタッフに「ケンブリッジの姉妹都市を知っている?」と聞くと、「もちろん知っている。美幌でしょう!」と即座に答えてくれました。そこで私が「1993年の4月7日の夜に、この場所で開催された地域評議会で姉妹都市の提案をしたんだ・・」と話してあげると、彼女は弾むような笑顔を私に向けました。そして「近いうちに、このコーナーに美幌関係の資料を展示したり、美幌を紹介するビデオを流す予定だ・・」と熱心に説明を始めました。

◇談笑をしているときに、「マサハル、どうしてあなたがここにいるの?」との驚きの声。振り向くと、姉妹都市調印式のときに美幌へも来たバーバラ・タラナキ議員そこにいました。「私はパーティや多くの人に会うのは苦手なので、マーレィに今回のケンブリッジ訪問を黙っておいてほしい、と伝えておいたんだ・・」そう言って、これまた親切のかたまりのようなバーバラおばさんにお詫びをしました。以前、私がケンブリッジを訪問することを伝えると、バーバラをはじめ、多くの関係者たちが私のためにパーティを開いてくれたからです。ありがたいことなのですが、どうにも私はそうしたパーティなどは苦手なのです。バーバラは美幌で温泉に行ったときに、恥ずかしくて何枚もバスタオルを巻いて温泉に入ったら、周りの人たちがビックリしていたことを、楽しそうにスタッフたちに話し始めました。

◇ところで、悲しいことに、ここ数年間、美幌との交流のために熱心に働いてくれたケンブリッジ側の担当者であったウェンディは、ワイパ地区の行政機構の再編成との関係で、あえなくリストラの対象者とされてしまいました。彼女は現在、新たな職探しで大忙しです。そこで私が「ウェンディに会いたいなぁ!」と言うと、「彼女は私の友だちだから連絡してみる!」そう言って、スタッフの一人がさっそく電話をしてくれました。

◇ご承知のように、先ごろ国立大学法人化法案が成立しました。その結果、来年四月以降、国立大学で働く教職員たちは、国家公務員から非公務員となります。さらには、教員の期限付き採用(任期制)も、私学を中心とした多くの大学でさかんに導入されつつあります。米国の大学では、以前から正教授のみが終身雇用(これをテニュアと言います)で、あとはすべて任期制の雇用です。わが国の大学も、次第に米国型に移行しつつあるのです。

◇わが国の場合も、民主的な大学では、もともと激しい競争原理(業績主義)が働いており、いわゆる年功序列型とは無縁の世界です。そのため、常に目に見える研究・教育業績が求められます。要するに厳しい能力主義のため、同じ年齢でも、職名や給与、あるいは停(定)年規程等が各自、異なるのが私個人が日常的に置かれている大学という職場なのです。そして、これはニュージーランドとて同じです。ニュージーランドの行政機関で働く人たちも、前述したテニュアが保証されている人たちと、その他の人たちとに分かれています。残念ながらウェンディは後者の方だったのです。そのため、ワイパ地区の行政機構再編に伴い、アッサリと解雇されてしまったのです。わが国の行政機関で働く者たちにも、できるだけ早く、こうした制度を導入すべきだと私個人は思っています。
 
◇それはともあれ、ウェンディの自宅で夕食をご馳走になりながら、数時間、彼女と語り合いました。美幌での滞在が、どれほど有意義であったか、同じく東京や大阪での滞在がどれだけ楽しかったか、等を懐かしそうに語ってくれました。そして、これからも美幌との交流のために、個人として引き続き貢献したい、とも語ってくれました。

ケテパイ! 写真入りの墓石です 懐かしのヘリテージ・モーテル
■ 2003/08/13 (Wed)  ロトルア
◇午後にはロトルア空港からクライストチャーチまで移動しなければならなかったため、朝陽がまぶしい中、レンタカーを走らせて、1時間半あまりでロトルアへ着きました。ロトルアで私がすることは、必ず二つあります。それは間欠泉で有名なファカレワレワでのマオリコンサートをみることと、ポリネシアンスパでの温泉入浴です。しかしマオリコンサートは飛行機の発着時刻との関係で、残念ながら今回は諦めました。硫黄の臭いが懐かしい温泉にゆったりと浸かり、しばしの幸せを感じました。もう100回以上も利用した温泉です。個人用の温泉は個室のため、日本と同じように入浴できますし、温度調節もできますから、とても快適なのです。

◇市内から空港までは、車で20分ほどです。その途中に、重度の子どもたちが学ぶユニット(特別学級)を併設している、ある初等学校に立ち寄りました。そのユニットで補助教員をしているマオリ人女性に聞きたいことがあったためです。彼女は自宅で、クック諸島から来ている、ある重度の子どもを預かっています。これを私は『分かち合い支援』と称しています。授業でそのことを紹介した時に、学生から質問があり、私自身もその疑問に答えることができませんでした。そこで「ロトルアに行ったら聞いてくるから・・」と伝えておいたのです。

◇この国の幼児保育機関には『コハンガレオ』という、独特の学習機関があります。そこではすべてマオリ語が話され、伝統的なマオリ文化が伝えられます。ケンブリッジに隣接したハミルトン市にも、この幼児保育機関がありますので、ケンブリッジに行かれたならば、ぜひ見学されることをお勧めします。この初等学校にも、これと同じようなバイリンガル・ユニットが設置されています。さすがにロトルアです。私がそのユニットへ行くと、つぶらな瞳の子どもたちが、マオリ語で歓迎の歌を披露してくれました。私は嬉しくて「ケテパイ!」と言うと、とても喜んでくれました。「よくできたね!」といったニュアンスのマオリ語です。

◇その後、空港でレンタカーを返し、60人乗りのプロペラ機に12名の乗客を乗せてクライストチャーチへと飛び立ったのでした。

■ 2003/08/14 (Thu)  クライストチャーチ
◇昨日、午後に無事、クライストチャーチ(CHC)に着きました。予想通りにクライストチャーチは、かなり肌寒く、ブルブルでした。タクシーで、計19泊する「シャトー・オンザ・パーク」ホテルへと向かいました。通常は、1泊が114$なのが、8月末までは88$です。昨年、クージービーチを予約した同じサイトで予約したのです。オーストラリアのサイトなのに、今回はなぜか日本語が使えたので、予約作業がとても楽でした。英語だと、やはり緊張するので・・。

◇「静かな部屋をお願い!」と頼むと、2階の一番奥の部屋を用意してくれました。静かは静かですが、かなり年代物の部屋でした。このホテルはハグレー公園の向こう側にあり、以前、公園周辺を散歩している時に「ヘェ〜ッ。こんなところにホテルがあるんだぁ・・」と感動したのを覚えています。「向こう側」というのは、いつもYMCAのアコモに滞在するため、そこから見ると、ハグレー公園の向こう側になるのです。

◇翌朝は雨でした。肌寒い小雨の中、タクシーで大聖堂へ行き、お昼からのマオリ語での礼拝に参加しました。その後、大阪屋へ行き、みそラーメン&ライスでランチ。その後、市立図書館へ行きました。何だか4年ぶりのクライストチャーチの確認をしたような一日でした。

■ 2003/08/15 (Fri)  カンタベリー大学
◇朝、ホテルのシャトルサービスでカンタベリー大学へ行き、機能制約学生支援サービスセンターへ行きました。午後3時のアポを取り、それまで図書館で読書に励みました。その後、センターのスタッフたちと歓談し、有益な情報を得ました。何とか、このテーマで論文を1本書けたらいいな!

大聖堂 ミニ・ヨットレース ポストショップ&ロト
■ 2003/08/16 (Sat)  ポストショップ
◇朝、シャトルサービスでタウンホールへ行きました。30日夜のCHCシンフォニーのチケットを購入しました。9$の席でした。その後、スクエアを通り抜けて、ディックスミスとショッピングセンターへ行きました。

◇このショッピングセンター内にはポストショップがあります。従来の郵便局を指す言葉としてのポストオフィスではなく、あくまでもショップ(店舗)です。ちなみに、その隣には、この国で人気の「ロト」売り場が並んでいます。つまりは「宝くじ」です。このポストショップは土・日にも開いています。オーストラリアでもそうですが、この国のポストショップの多くは、こうしたショッピングセンター内にあります。もちろん、従来のように街角にも設置されています。

◇さて、ご承知のように、わが国の公共図書館は閉館日の多さが実に顕著ですが、ニュージーランドでは、大学を初めとして、図書館はフル活動です。人口が少ない関係で書籍の価格が全般的に高く、そのため、人々が図書館をよく利用する、といった事情背景もありますが、何よりも利用者、つまりは学生や地域住民主体の運営がなされているからです。そして、これは郵便事業をはじめとした、その他の公共事業についても同じなのです。

◇わが国も、郵政公社になった途端に大幅な人員削減が実施に移されましたが、やがて完全民営化に移行すると、当然のように週末や休日も郵便局がオープンになる筈です。すでに宅配業者といった強力な競争相手の存在があるからです。要するに、競争原理がそこに働いているからです。

◇わが国でも、「行政は最大のサービス機関である」ことが、しばしば心ある首長らによってアピールされます。しかしそのことを実感している住民たちは、ほとんど皆無であろうと思われます。わが国でも、公務員の身分保障制度を撤廃したり、あるいは住民からの職員評価を含めた、外部機関による、いわゆる「第三者評価制度(モニタリング)」を導入すれば、前述のアピールも容易に実現する筈です。私自身が日常的にそうした状態に置かれていますので、このことは確信を持って断言できます。但し、ニュージーランドも、過去20年あまりにわたって、あまりにも構造改革や民営化をやりすぎてしまい、現在、その見直し作業に懸命の状態です。それほど、この国では激しいまでの改革の連続だったからです。

■ 2003/08/17 (Sun)  大聖堂
◇ニュージーランドの表玄関はオークランド国際空港です。飛行機から降りた人々は皆、マオリの彫刻が美しく飾られたゲートを通って入国審査(パスポート・コントロール)へと向かいます。こうしたところに多民族・多文化国家の理念を明確に示そうとする、この国の姿勢を見て取ることができます。

◇南島を代表する都市は、ガーデン・シティと称される、ここクライストチャーチです。そして「キリストの教会」の名前のごとく、この街を代表する建物は大聖堂(アングリカン・チャーチ)です。

◇今回、4年ぶりにクライストチャーチを訪れ、この教会の礼拝に出席してみて驚いたことがあります。それは礼拝式のプログラムがマオリ語と英語とで構成され、マオリ語のみの箇所もあった、ということです。さらには、週に一度、マオリ語による礼拝も行われていた、ということです。その礼拝への参加者は数人でしたが、皆、マオリ語に精通しているようでした。

◇マオリ文化が盛んな地域は、ケンブリッジから百キロあまり離れたところにある、北島のロトルアです。そこにオヒネムツ・マオリ村という集落があり、同じくアングリカン教会(英国国教会)がロトルア湖のほとりに建てられています。その教会の礼拝が、やはりマオリ語と英語とで構成されているのです。

◇私が驚いたというのは、気温の関係もあり、マオリの人々が、さほど多くは生活していない南島のクライストチャーチで、こうしたマオリ文化を強調しつつある、といったことです。ましてや、クライストチャーチはガイドブック等で、しばしば「英国以外で、もっとも英国らしい雰囲気・・」などと称されてきたような街です。事実、クライストチャーチは、英国のオックスフォード大学の出身者たちによって街づくりが進められました。

◇大聖堂から10分あまり歩くとカンタベリー博物館があります。入り口を入ると、まず最初にマオリ文化を詳しく紹介した展示物コーナーがあります。余談ですが、週末に行われたオーストラリアとのラグビー対抗戦でも、ニュージーランド国歌が、まず最初にマオリ語の歌詞で、その後、英語の歌詞で歌われました。この国が、ますます多民族・多文化国歌としての歩みを確かにしようとしていることを強く感じた印象的なシーンでした。

■ 2003/08/18 (Mon)  ハグレー公園
◇「歩け、歩け」で、リカートンモールへ行きました。ホテルから徒歩30分ほどです。マックで昼食を摂り、またまた歩け、歩けで、今度はモナベイルまで戻り、ベンチに座ってノンビリと小川の流れを眺めました。ホテルからモナベイルまでは、わずかに徒歩5〜6分ですから、とても便利です。

◇1年ぶりに麗しのニュージーランドに戻ってきてから10日あまりが過ぎました。またまた今回も大満足の日々を過ごしています。北島に5日間、滞在した後に、クライストチャーチにやって来ましたが、早春のクライストチャーチでは、ハグレー公園をはじめとして、アチコチで美しい花々が咲き始めています。ユッタリと、ノンビリと穏やかに時間が過ぎてゆくのを感じています。

■ 2003/08/19 (Tue)  ポリテク
◇私がニュージーランドで継続的に調査活動を行っている事のひとつに、大学やポリテクニック(高等職業専門学校)における、視覚・聴覚・運動機能等に制約を有する学生たちへの支援サービスの実態があります。

◇クライストチャーチ・ポリテクニックの学習支援サービスセンターには12名の支援スタッフがいます。皆、それぞれの分野の専門職で、学生たちの必要に応じた学習支援活動を行っています。「学生たちの必要に応じた」というのは、前述した機能制約を有する学生のみならず、留学生たちへの支援や、カウンセリング活動も含まれるからです。これらをまとめて学習支援サービスと称しているのです。

◇私自身が、これまで大学という学習機関で働いてきた経験から言うと、概してわが国の大学は、これまで学習支援といった側面をあまり重視してこなかったように感じられます。つまり、わが国の大学の教務課や学生課といった部門は、「学生指導」といった性格が強すぎて、「支援サービス」といった側面が弱かったように思われるのです。

◇さて、ニュージーランドにおける機能制約学生たちへの支援サービス部門の設置は、ここ4〜5年あまりの間に急激に整備されてきました。すなわち、包括的な差別防止法である『人権法令,1993年』が実施に移されてから4〜5年かかりました。そして、必要な予算配備がなされると共に、すべての高等教育機関に専門スタッフが配備されることになったのです。その点、オーストラリアの方が先行していました。ここには「学生は一方的に指導されるべき存在ではなく、消費者として必要な個別支援サービスを受ける権利を有する存在である」との、学習者(つまりは利用者)主体のまなざしが位置付いているのです。

■ 2003/08/20 (Wed)  ヨットレース
◇朝、ホテルのシャトルサービスを使って、市街から少し離れたところにある「機能制約インフォメーションセンター」へ行き、旧知のスタッフと、しばし歓談しました。帰路に大阪屋へ寄り、「みそラーメン&ライス」を食べました。最初(5年前でしたが)は、すべて6$メニューだったのが、8$メニューとなりましたが、それでも安い値段です。しかも美味しいのです。

◇その後、最近できたアートギャラリーを見学しました。さらには博物館内にあるティールームへ行き、ノンビリしました。

◇クライストチャーチには、その敷地内にゴルフコースもあるような、広大な敷地面積を有するハグレー公園があります。その中をエイボン川が静かに流れています。公園内の花々が美しく咲き始め、桜が次第に満開になりつつあります。春は、もうすぐです。この公園の中心部に、ビクトリア湖という小さな湖があります。今日の午後、私が用事を済ませてハグレー公園を横切って滞在先のホテルまで戻ろうとしたら、この湖でヨットレースが始まりました。リモコンでミニ・ヨットの帆を操作しながらヨットレースを楽しんでいるのです。皆、いい年をした高齢男性たちばかりでした。実に微笑ましい光景でした。

◇この10年あまり、ニュージーランド国内各地を巡り歩いてきて強く感じることは、この国の人々がいかに自然を大切にし、それにとけ込もうとしているか、といったことです。この国には数多くの観光ポイントがありますが、日本のように、その周辺に土産物屋が並んだり、騒がしい音楽が流れてきたりは決してしません。小鳥の声はむろんのこと、風の音さえも聞こえてくるかのような静かな雰囲気です。

■ 2003/08/21 (Thu)  『IHC』
◇肌寒い小雨の朝でした。ホテルのシャトルサービスを利用しようとしたら、予定が詰まっていて無理だったため、タクシーで『IHC』のオフィスへ行きました。このオフィスへ行ったのは、久しぶりでした。『分かち合い支援』に関する情報を得ようと思ったのです。しかしこのオフィスではなく、別のオフィスでした。

◇小雨が降っていたため、近くにある(と言っても、徒歩10分)モールからタクシーに乗り、スクェアまで戻りました。図書館に寄った後、『さらさら』でランチを食べました。20$でしたが、相変わらず、なかなか洗練された味とメニューでした。ここもしばらくぶりでした。ランチの後、バジェットレンタカーのオフィスへ行き、9月1日から借りるレンタカーの予約をしました。その後、ディックスミスで、スペアのアダプタ(電話口の大きさが日本とは異なるからです)を購入しました。

■ 2003/08/22 (Fri)  ポンコツ車
◇朝、シャトルサービスで、カンタベリー大学へ行き、読書に励みました。帰路はバスを利用しました。ホテルの前までは1$です。

◇帰りのバスを待っている間、けたたましいクラクションの音と共に、何十台ものメチャクチャに改造したポンコツ車のパレードが始まりました。こんな改造車で市街地を走ることなど、わが国では考えられません。と言うより、決して許されません。それほどまでにメチャメチャに改造したポンコツ車でした。要するに、仮装行列のポンコツ車版です。しかも何が楽しいのか、車の中からギャーギャーと歓声をあげながら・・。まぁ、学生たちのやることは、どこも似たようなものです。夜のテレビニュースでも紹介されていました。理屈抜きに、青春って、いいなぁ!

■ 2003/08/23 (Sat)  みそラーメン
◇朝、シャトルサービスで、以前からホームページで見ていた、長期滞在用のアコモデーションへ行ってみました。いつか利用しようかなぁ、と考えていたからです。しかし、やはり「百聞は一見に如かず」で、正直に言って失望しました。写真で見ると、本当に良さそうな環境と雰囲気だったのだけれど・・。

◇その後、そこから20分あまり歩いてスクエアに戻り、寒かったため、大阪屋で、例のごとく「みそラーメン&ライス」を食べました。自分には、庶民的なこのお店がいちばん落ち着くなぁ。それはたぶん、ここの店主の雰囲気なんだろうけれど・・。どんぶりのご飯が1$で、みそ汁はサービスです。そのため、お金の乏しい若者たちが、いつもこのお店に集まってきています。

◇その後、観光案内所へ行き、ハンマー温泉と、テカポ湖のパンフレットを手に入れ、図書館へ寄った後にホテルへ戻りました。

■ 2003/08/24 (Sun)  図書館
◇ここ数日、肌寒い小雨が降り続いていましたが、今日は久しぶりに良い天気でした。朝、シャトルサービスで、CHC病院近くにある、アングリカン教会へ行きました。でも煙の臭いがきつくて、途中で失礼してしまいました。古いスタイルの教会では、大昔はこうした形式だったそうです。そして、この教会では、こうした伝統的な礼拝スタイルを今でも踏襲しているのです。その後、ディックスミスへ寄り、パックインセーブで買い物をして、隣のモールでカレーを食べました。

◇今日は日曜日のため、図書館は午後1〜4時の開館でした。昨日・今日と、この図書館にあった、姜哲煥著『北朝鮮脱出(上・下)』(文春文庫)を読みました。まさに現代版、アウシュビッツそのもの(否、それ以上)です。わざわざニュージーランドまで来て、日本語の書籍を読むなんて、とも思うのですが、時間の限られたパックツアーではなく、時間的にゆとりがあるのも手伝ってか、ノンビリ読書がとても心地良いのです。ついでですが、政治犯収容所の残酷非道の実態を記した、李英國著『私は金正日の極私警護官だった』(ブックマン社 2003年)も、まさに戦慄の本です。さらに、ついでのついで、ですが、李友情(リ・ウジョン)著『マンガ金正日入門』(飛鳥新社 2003年)も、なかなかに読み応えのある内容です。あ、これら2冊は、この図書館にはありませんので、悪しからず!

◇この図書館には、これまで数十冊の文庫本を寄贈してきましたが、この図書館には同じように寄贈された日本語の文庫本が数多く備えられています。しかもこの図書館は休館日がなく、平日は10時から夜の9時まで開館しているため、とても便利です。今回も10数冊あまりの文庫本を寄贈します。つまり、100円コーナーで購入して日本から持参してきた文庫本を、読み終わり次第、寄贈してしまうのです。そんな方法で、オーストラリアを含めて、これまでニュージーランド各地の図書館に100冊以上の文庫本を寄贈してきたのです。

◇ニュージーランドに来てから、早くも二週間が過ぎました。快適な日々です。例のごとく、この時期には日本人の旅行者や語学研修の学生たちをよく見かけます。それぞれの目的でニュージーランドに来ている人たちの祝福を祈ります。

■ 2003/08/25 (Mon)  運転免許証
◇朝、シャトルサービスで『IHC』のオフィスへ行き、3名のスタッフたちと歓談しました。その中の一人は以前、ハミルトンのオフィスで私に会ったことがある、と言っていましたが・・。はて?

◇帰り道の途中に『DP情報センター』があったため、立ち寄りました。

◇CHCのポリテクニックには、知的制約を有する人たちの学習コースが設置されています。コースの名前は「職業技能コース」です。私はこれまでもクライストチャーチ滞在の間、しばしばこの学習ユニットを訪れ、学習活動に参加してきました。この国の特別支援教育は21歳までです。それだけでも、わが国よりは手厚い学習保障がなされています。そして、さらに二年間の学習課程が正規の高等教育機関として位置づいているのです。

◇今日の午後はゲストスピーカーとの対談でした。招かれたのは市内のリサイクルセンターで働く、同じく知的制約を有する男性でした。話し合いが進む中で、運転免許証のことが話題になりました。すると、彼は嬉しそうに、自分の免許証をポケットから出しました。私は驚きました。この国の運転免許は、わが国と較べて取得が容易であることは理解していましたが、それでも知的制約を有する人が運転免許証を取得するのは、やはり難しいのではないかと思っていたからです。

◇余談ですが、この国では郊外での運転の制限速度は百キロです。また、左折ではなく、右折車優先です。さらには、踏切前の一時停車はありません。ですから、もしもつい習慣で、踏切前で一時停車をしてしまうと追突事故にあってしまいます。後続車は、まさか踏切で止まるとは思っていないからです。

◇それはともあれ、次第にその制限が撤廃されつつあるとは言え、わが国には、今なお数多くの欠格条項があります。たとえば、以前は聴覚に制約を有する人は臨床医にはなれませんでした。幸い、最近になって、それに関する欠格条項は撤廃されました。しかし、わが国の場合、知的制約を有する人の運転免許取得には、まだまだ厚い壁があります。「あなたは安全運転をしているのか?」との私の問いかけに、「もちろん!」と彼は答えてくれました。それを聞いて、皆がドッと笑いました。微笑ましい光景でした。

◇昼食は「倉敷」で摂りました。ランチが25$でした。まぁ、この10年間、ランチメニューが変わっていない、というのも驚きです。ちなみに、ニュージーランドと最初に姉妹都市提携を結んだのが倉敷市だったのです。ガーデンシティと称されるCHCと、倉敷の美観地区といった関連でしょうか・・。その後、図書館で児玉源太郎の本を読みました。

■ 2003/08/26 (Tue)  分かち合い支援(Shared Care)
◇今日はとても忙しく、昼にはポリテクニックの知的制約を持つ人たちと一緒に博物館に行きました。博物館で働いているスタッフから仕事内容の説明を受けるのが目的でした。その後は人権問題委員会の事務所へ行きました。そして夜には、IHCのスタッフと共に、『分かち合い支援(Shared Care)』を行っている家庭を訪問してインタビューをしました。土曜日にも再び訪問することになっています。

◇IHCのスタッフに車でホテルまで送ってもらいました。疲れ切っていたため、あまり利用しなかったホテル内のレストランでフィッシュを食べました。レストランには日本人女性スタッフがいて驚きました。そう言えば、フロントにもいたっけ・・。ついでに日本人観光客の姿も、よく見かけたっけ・・。

◇「今回のクライストチャーチ訪問は、ホリディかビジネスか?」と、訪問先のスタッフらによく訊ねられますが、ノンビリしている部分と、こうして仕事に励んでいる部分とがあります。

■ 2003/08/27 (Wed)  モナベイル
◇シャトルサービスで、カンタベリー大学へ行き、図書館で読書に励みました。聞きたいことがあったために、学内のDP支援センターへ行くと、スタッフミーティングで今日はお休み、とのこと。帰りにソーシャルワーク学科へ立ち寄りました。

◇帰路はバスを使わず、大学から30分あまり歩いてリカートンモールへ行き、懐かしのマックに立ち寄りました。1989年2月に初めてニュージーランドに来たときに寄ったのが、このマックだったのです。あの頃は、ニュージーランドで見るもの、聞くものが全て新鮮でした。いちばん驚いたのが、クライストチャーチでさえ、当時は土・日には大半のお店が閉まってしまい、まるでゴーストタウンのような静寂な雰囲気だったことです。それが今では、日本と変わらないようになってしまいました。法律が変わったためです。まぁ、旅行者にとっては便利にはなりましたが・・。

◇ホテルに戻ると、まだ部屋の掃除が終わっていなかったため、クリーニングスタッフに「部屋の掃除をお願い!」と伝えてモナベイルへ行きました。最初はベンチに座っていましたが、寒かったため、喫茶ルームへ入り、ジャスミン・ティー(3$)を飲みながら読書をしました。

■ 2003/08/28 (Thu)  ウェンディ
◇シャトルサービスでポリテクニックへ行き、これまでデジカメで撮った写真をCDにコピーしたファイルを渡しました。その後、学校の敷地内にあるチャイルド・ケアセンターを見学しました。何と、そこはマオリ語と英語のバイリンガル・ユニットでした。

◇ポリテクニックからの帰路、「田中屋ラーメン」で、みそラーメンとライスを食べました。いつ行っても閑散とした店内を眺めつつ、よく10年間も営業できたものだなぁ、と感心してしまいました。採算が取れているから、こうして営業が続けられるのだろうけれど・・。その後、図書館へ行き、雑誌を読みました。

◇ホテルに戻り、ランドリールームで洗濯をしました。しかし洗い上がった洗濯物を見て、思わず絶句でした。オイルのシミのようなものが衣服のアチコチについていたからです。それで、もう一度、洗濯をやり直しましたが、やはりダメでした。ショック! たまたまシャトルサービスで親しくなったスタッフがそこにいたため、そのことを言うと、1回分で使うトークン(洗濯をするために使用するコイン)を3枚返してくれました。

◇夜に、ウェンディに、次のような簡単なメールを送りました。

I have been staying in the Christchurch for two weeks. Cold days are still going on in the Christchurch. I will come back to Japan on September 7.  I want to ask you question. Could you get new workplace?  I pray your success heartily!  Yours sincerely

■ 2003/08/29 (Fri)  ノー・プロブレム!
◇深夜(早朝?)3時に目が覚め、メールを開くと、ウエンディから以下のような詳細な返信メールが届いていました。何はともあれ、新しい職場が決まってホッとしました!

How nice to hear from you Masaharu. You have been on my mind as I was going to send you an email this weekend. But you have beaten me instead! I have been wondering how Christchurch is for you? I hope your research is going well but you are enjoying yourself as well. Have you been skiing yet? I believe it is very cold at present. We are having milder days in Cambridge now and there are many spring flowers blooming. A busy time for the farmers though with all the young lambs and calves. Yes, I have good news about a job. I was offered a position as Office Manager/Personal Assistant to a financial planning and investment group who are opening an office in Hamilton. It will be very different to Waipa District Council. (But that is good, as I was disappointed in the way they were changing everyone's jobs all the time!!!) Although I do not start with them officially until 15th September I have been invited to attend a conference in Wairakei with them one day next week. It will be good to meet people from other offices. I will also have some training days in Tauranga and Auckland during my first week. It will be very busy!! Perhaps this is a sign of better things to come for me? Glen and I enjoyed your brief visit when you were in Cambridge. We have shared the groceries with our family and friends - but Glen took all the biscuits to his place of work. They had many morning and afternoon tea breaks together! Your generosity was very much appreciated and enjoyed. Thank you for your friendship Masaharu. I will ALWAYS remember what a wonderful tour guide we had in Tokyo/Osaka/Kyoto - and my gratitude to the Lovely Fund for assisting me with travel costs to Bihoro. It was a truly memorable trip. Please keep in contact, Wendy.

◇フロントで、昨日の洗濯物の件を報告すると、「衣服は全部でいくらぐらいなのか?」と聞かれたので、「50$くらいかなぁ・・」と答えると「バーゲンで買ったのか?」と聞かれました。じっさい、そんな程度だったので・・。

◇ホテルのシャトルサービスで図書館へ行き、例のごとく、読み終わった15冊の文庫本を寄贈しました。図書館で2時間ほど読書をした後、当事者権利擁護組織である『DPI』のオフィスへ行くと、なぜか今日も閉まっていました。どうしたのかなぁ? その後、大阪屋で、みそ雑煮を食べました。この店は、いつも大繁盛です。どうしてかなぁ? たぶん、雰囲気がいいかなかなぁ・・。無料サービスのみそ汁も美味しいし・・。

◇帰路、ハグレー公園内にあるティー・ルームに立ち寄ってからホテルに戻ると、電話が点滅していました。フロントへかけると、洗濯物のトラブルの件で担当スタッフに回してくれました。すると「ご迷惑をかけてしまい、お詫びします!」とのこと。結局、「ノー・プロブレム!」にしてしまいました。

◇パソコンのメールを開けると、『IHC』スタッフのキャロルから、あすの『分かち合い支援』の家庭への訪問時刻が変更になった旨の、メールが入っていました。そこで彼女に電話をして感謝の言葉を述べました。さらには、当事者家庭へも、その旨、メールを送信しました。

■ 2003/08/30 (Sat)  タウンホール
◇今日は、『分かち合い支援(Shared Care)』を行っている家庭を訪問しました。行きはタクシーでしたが、帰りは10キロあまりの道のりをテクテクと歩いて戻りました。膝の痛みも出なかったため、快適に歩けました。ニュージーランドに滞在している間は、どうしても甘い物を食べてしまうため、少しでも運動をせねば! なお、その際に撮ったデジカメ画像を電子メールで送りました。以下は、その返事です。

Hello from New Zealand,
Your photos came through on our computer and are very clear. The photo of you in the snow with an aeroplane looks fun- Michael and I would like to do that one day.  It is school holidays here in one more week, and Michael, Heather and Laura plan to go to a Christian camp in the North Island in Foxton.  I will look after Chrystal for 2 days (10 hours a day) and probably have Tara stay for a few days.  Rachel has a diferent camp to go to that our Church runs in Cheviot.  Do children in Japan have camps? Last time Michael was at camp they had a child with cerebral palsy attend, with their own full-time care giver, spending one week of the school holidays with"normal" children. It worked out very well.  You are welcome to visit us any time you are in N.Z.  From the Quy family

◇夜には、タウンホールで開催された、クライストチャーチ交響楽団の演奏会に行きました。入場料は500円ほどでした。なかなかの演奏でした。演奏会終了後、疲れた足で暗い中を50分あまり歩いてゆく元気と勇気が残っていなかったため、行きはホテルのシャトルサービスを使い、そして帰りはタクシーでホテルまで戻りました。暗い中、広大なハグレー公園の中を、トボトボと横切って戻るのは、少しコワイ気がしたからです。

■ 2003/08/31 (Sun)  歩け・歩け!
◇8月最後の日曜日の今日は、ほんとうに良い天気でした。CHC(クライストチャーチ)は、まさに「春うらら」「小春日和」「春爛漫」です。でも私にとっては、年に二度も花粉症の被害を受けてしまいますから、この時期は「痛し痒し」、といった複雑な心境です。今回の場合は、例年以上に花粉症に苦しめられました。それは室内に籠もるよりも、ひたすら「歩け・歩け」の日々だったからかもしれませんが・・。滞在していたホテルが市街地から離れていた、といったこともあり、ほんとうに今回は良く歩きました。今日も大聖堂での礼拝の帰りに遠回りをしてしまったため、10キロ近くを歩きました。

◇モナベイルに立ち寄り、美しい自然と小川の流れを、しばしの間、見続けました。この美しい庭園は、ホテルから5〜6分ほどのところにあるため、今回は、よく立ち寄りました。

◇あす朝に、計19泊したこのホテルをチェックアウトして、レンタカーで南島を周遊します。例のごとく「テカポ湖」へ行くつもりです。そして、土曜日にはシドニーへ行き、1泊の後、日本へ帰国します。充実した日々で、感謝です。

■ 2003/09/01 (Mon)  ハンマー温泉
◇チェックアウトの精算をする際に、フロントでランドリーのトラブルの一件を伝えました。すると「衣服はいくらぐらいの価値か?」と聞くので「別のスタッフにも伝えたのだけれど、バーゲンで買ったので、だいたい50$くらいかなぁ・・」と言うと、そのまま50$を渡してくれました。ついでに、クッキーセットをくれ、さらには「レンタカーを10時に予約している」と言うと、「時間まであと10分あるから・・」と言いながら、ホテルのレストランでのコーヒー・チケットをくれました。実に嬉しい心遣いの限りです。要するに「ホスピタリティ」ということです。

◇「じゃぁ、またね!」とホテルのスタッフに挨拶をし、レンタカーを走らせて、金曜日に泊まる予定の空港近くのモーテルの下見をし、少し逆コースでしたが、2000年春に完全閉鎖された、テムプルトンセンターの跡地へ行きました。かつて、ここには大規模収容型施設が点在していました。現在、そこには以前、敷地内にあった特別学校が新築移転をしていました。そこで、その学校を見学しました。受付のスタッフが私のことを覚えていてくれました。

◇その後、途中にある小さな街の郵便局に立ち寄って、日本へ送る小包のボックスを買いました。そのボックス(むろん空き箱)を、いかにも重そうにして窓口に持ってゆくと、おばちゃんが「ウ〜ン!」とばかりに同じような動作をしながらボックスの値段を調べてくれました。まぁ、ノリのいいこと! こんなことをしたら、日本では怪訝そうな目で見られるだけだろうなぁ・・。そして100キロ余り走ってハンマー温泉へ行き、硫黄温泉にユッタリと浸かりました。ちょうど北島のワインガロ温泉と同じような感じでした。それにしては、ワインガロ温泉の方はマイナーだなぁ・・。どうしてだろう? モーテルは、オフシーズンのせいか、70$で泊まることができました。

■ 2003/09/02 (Tue)  レストラン湖畔
◇雪山が美しく見える快晴の中、ハンマー温泉からクライストチャーチを通らずに、素晴らしい景観が広がるマウントハットのルートを迂回しつつ、400キロ近くを走って、懐かしのテカポ湖へとやって来ました。途中で拡がる美しい自然が、まぁ壮大と言うべきか、はたまた感嘆と言うべきか! あ、途中で、昨日、立ち寄った郵便局からこちらで入手した資料等を小包で送りました。以前は船便があったのだけれど、今では航空便とSAL便のみです。そのため、送料が90$以上もかかってしまいました。支払いはクレジットカードです。もちろん、SAL便で送りました。これだと日本までは2〜3週間です。

◇以前、何度か泊まったことのあるホテルの、テカポ湖がよく見える2階の部屋に3泊することにしました。またまたオーナーが変わっていました。そのため、ホテルの名前も変わっていました。朝食付きで、1泊が123$でした。高いなぁ、と思いましたが、懐かしのホテルです。

◇夜は、テカポ湖に行くたびに必ず立ち寄ってきた「レストラン湖畔」で、石狩鍋を食べました。10年あまり前にできた、このレストランは、本店が山形県にあります。このレストランを経営している、木訥とした山形弁で話す、見るからに気の良さそうなおばちゃん(失礼!)と、山形弁ではない、同じく気の良さそうなおじちゃん(山形大学・工学部卒だそうですが)と、しばし話が弾みました。

◇テカポ湖までやってきた理由は、マウントクックでのスキープレーンに挑戦するためです。もう何年も飛行場まで行ってトライしながらも悪天候のため、実現できなかったのです。以前、ヘリコプターによる氷河ランディングはしたことがあります。そのときも、本当はスキープレーンを希望したのだけれど、悪天候で・・。あんなに快晴だったのに、氷河付近で風が出ているから、との理由でした。しかしヘリコプターの場合は、多少の風が出ていても飛ぶのです。ヘリコプターの場合は、フワッとした感じで着陸します。でも私は氷河をセスナ機で滑走してみたかったのです。その後、マウントクック飛行場に行くたびにダメでした。ちなみに、私がニュージーランドでやり残したことは、この他にバンジージャンプがあります。しかし腰のコンディションのこともあり、これは最初から諦めていました。だから、このスキープレーンができれば、「我が人生、思い残すことナシ!」となるのです。大袈裟かなぁ・・。あ、それから急流をゴムボートで下るラフティングもあったか・・。まぁ、でもあれはクィーンズタウンで何度かジェットボートを体験したからいいかっ・・。

■ 2003/09/03 (Wed)  天真爛漫
◇夜明け前に起きて、テカポ湖の朝焼けを部屋から眺めていました。朝食の後、スキープレーンに挑戦するために100キロの道のりを張り切ってマウントクック飛行場まで行きました。しかし近づくにつれて天候悪し、の最悪状態。風がビュービューでした。そのため、当然ながら「昨日も、今日も飛ばないョ! だってマウントクックが見えないんだから・・」と受付の女性スタッフに言われてガックリと諦めました。

◇そこで、その飛行場から10分ほど離れたハーミテージ・ホテルへ行くと、日本人のギャルちゃんが二人。やはり悪天候でお散歩ができずに困った様子。せっかくクライストチャーチからバスでやって来たのに、冬場は悪天候の日が多いからねぇ・・。そこで可哀想になり、しばしのドライブへと出かけることとなりました。1時間ほど美しいプカキ湖周辺をドライブして記念写真のカメラマンをしてあげて、ホテルへ戻ってくる途中の休憩所に寄ると、またまた日本人のギャルちゃんが二人。私に向かって親指を立てて「ヒッチハイカー」のポーズ。ここからハーミテージ・ホテルまで乗せていって欲しい、とのこと。これまでニュージーランド国内を4万キロあまり走り回ってきたけれど、日本人の、しかもギャルちゃんのヒッチハイカーには初めて出合いました。世の中が変わった、ということなのでしょうか。はたまた、それとも・・。そこで「若い女性がこんなことをしたら危険なんだョ!」と、つい都会の女子大生たちにオジサン的なお説教をしてしまいました。じっさい、この国でもそうしたケースが多いのだし・・。でも、言うだけ無駄でした。まことに天真爛漫と言うべきか、恐れを知らない、と言うべきか・・。

◇その後、4人のギャルちゃんたちにドリンクサービスをして、まるで宅配便のように、彼女たちをハーミテージ・ホテルへと送り届け、「それじゃぁ!」とお別れをしたのでした。自分自身が普段、こうした学生さんたち相手の仕事をしていながらも、やっぱり彼女たちは私にとっては「チョー(超)人類的存在」のように感じます。余談ですが、ここしばらく北朝鮮関連の書籍ばかり読んでいたため、彼女たちもそうですが、こうして自由気ままに行動できる我が身の幸いを強く感じます。でも、あまりにも平和慣れしてしまうのも・・。ともあれ、朝鮮半島の平和的統一を願うのみです。もうそろそろ再び韓国へも通い始めねば!

◇ハーミテージ・ホテルからの帰路、ツヴァイゼルに寄り、給油しました。日本でもセルフスタンドが増えてきて、ずいぶんと慣れてきたため、今回は自分で給油しました。以前から、この国ではセルフスタイルが多かったのですが、これまではお店の人に給油してもらってばかりでした。でもガソリン(ニュージーランドではペットロール)の価格が、かなり上昇したことを感じます。それでも、1リッターあたり75円程度だから、安いのだけれど・・。でも、ほんの数年前までは50円程度だったのにぃぃ!

◇ツヴァイゼルの街は、まさに静寂そのものの佇まいです。以前、この街のモーテルに何度か泊まったことがあります。しばらくぶりに立ち寄ると、そのモーテルの隣に大きなコリアンレストランができていて、韓国人観光客の大型バスが止まっていました。そうそう、この街はクィーンズタウンへの通り道なのです。だから採算が取れると考えたのでしょう。私は例のごとく、近くのレストランで5.5$のツゥダァイズ・スープでした。ちなみに、今日はチキンスープでした。

◇テカポ湖に戻ると、激しい雨でした。ここへは、もう幾度となく来たのだけれど、雨のテカポ湖に出合ったのは初めてです。私の部屋から、マッケンジー地域における初期の開拓者たちのスピリットが感じ取れる『善き羊飼いの教会』が見えます。1992年のクリスマスシーズンの時にも、このホテルのコテージに泊まって、教会で行われたクリスマスミサに出席したことがありました。やはりこの地域はクリスマスシーズンがベストだなぁ・・。あれからもう10年になるのかぁ・・ 懐かしい思い出です。

◇夕方近くになって雨が止みました。まるで海のような壮大なテカポ湖の向こうから、風の音と波の音とが荒々しく聞こえてきます。大自然の織りなす息吹を強く感じます。マッケンジー地域の春は、まだまだ先のような感じです。こうした寒々とした大自然を部屋の中から眺めつつ、インターネットでメールのやりとりをしたり、日本のニュースを読んだりしている自分が何とも奇妙(というか、不釣り合い)で、思わず苦笑してしまいました。

◇夜には、レストラン湖畔で「寄せ鍋」を食べました。ほんとに美味しいこと! 帰り際に、山形県酒田市に本店のある、この店のオーナーである中川サンと1時間あまり立ち話をしました。まぁ、驚くほどにいい人だこと! さぞかし、これまでさまざまな苦労を重ねてこられたのでしょうが、そんなことはみじんも感じられない暖かな雰囲気を全身から醸し出していました。この国での永住ビザの取得が次第に厳しさを増す中、何とか取得を、と願っておられました。

■ 2003/09/04 (Thu)  マウントクック
◇昨夕とはうって変わり、テカポ湖は素晴らしい朝を迎えました。そこで早速にマウントクック社の飛行場に電話をすると「午後には天候が回復するかも・・」との返事。期待をしつつ、昨日同様に、100キロあまりの道のりを時速60〜70キロ程度でノンビリと出かけました(この国の場合、通常は100キロなので・・)。しかし、残念ながら天候が回復せずに、やはりフライトはダメでした。ちなみにハーミテージ・ホテル周辺には、うっすらと雪が積もっていました。昨日の、あの肌寒い雨が、夜半には雪に変わったのだろうと思われます。飛行場へ行くと、「あすは飛べそうな感じだ・・」とのことでした。めげずにトライあるのみ!

◇そんなわけで、午前中は時間にゆとりがあったため、朝8時頃にテカポ湖畔に行って写真を撮り、その後、近くに点在するモーテルや宿泊施設を訪れ、次回の滞在場所の選定に励みました。快適な宿泊先となると、やはり1泊あたり100$程度はかかりそうです。これが10月〜3月間のシーズンともなれば、10%程度は高くなります。でもここで文章を書いたり、本を読んだりしながら1週間ほどを静かに過ごすのもいいかなぁ、と考えました。パソコンさえあれば、インターネットから必要な情報は得られるのだし・・。そのためにはホテルではなく、数部屋しかないモーテルの方が良いかもしれません。あるステキなモーテルへ行くと、スイス人のオーナーが6部屋全部を案内して見せてくれながら、「毎年のように、ある日本人がここに泊まりに来て、1週間滞在しながら星空を見ている・・」と、ドイツ語っぽい英語で話してくれました。なるほどなぁ、と感じ入りました。本当の贅沢って、こんなことなのかもしれないなぁ・・。

◇夕方近くになって、毎日のように降り出す小雨が、どうやら小雪混じりのみぞれに変わりつつあります。それだけ気温の変化が激しい、ということです。あすの夕方までにはクライストチャーチに戻らなければならないのだから、天候が回復するといいなぁ・・。

すごい・スゴイ! ここに降りるゾ! 飛行場に戻ります
■ 2003/09/05 (Fri)  スキープレーン
◇朝、飛行場に電話をすると「今日は飛ぶよ!」とのスタッフの返事。さっそく10時半のフライトを予約しました。8時にホテルをチェックアウトして、途中で休憩をしながら、9時45分頃に飛行場に到着しました。受付の女性スタッフが「あなたはこれまで6年間も通ってダメだったんだから・・」と言いながら、10%割引をしてくれました。しかも40分間のフライトだった筈なのに、我がグループは1時間近くの遊覧飛行でした。感謝・かんしゃ!

◇別のスタッフが、パイロットのおっちゃんに、「彼はこれまで6年間も来たけどもダメだったんだって!」と笑いながら私を紹介すると、おっちゃんが私に手を差し伸べてくれました。(たぶん)スタッフ側のそんな配慮もあってか、私にパイロットの横の席を指定くれたのかも、ね?

◇ここ数日の悪天候が嘘のような晴れ渡った抜けるような青空の中、日本人5名+キーゥイ家族3名を乗せた飛行機は順調にフライトを続け、ついに氷河着陸と相成りました。まぁ、皆ノリの良いメンバーたちばかりで、ここ数日の降雪で見渡す限り新雪の中を「い〜ぃぬは喜び、庭かけ回り・・」のごとくに、30〜40センチはぬかるような新雪の中をはしゃぎ回りました。

◇以上、こうして大満足のスキープレーン体験は無事、終了となりました。ちなみに、最初にトライをしたのが10年前です。それから南島に来るたびにトライし続けたのですが、「今日は悪天候でダメ!」と言われ続けてきたのです。ある時は、フライト5分前になって「山頂付近に風が出てきたから・・」とのことで、あえなく中止となったこともありました。「あ〜ぁ・ア〜ァ!」とわめき続けると、「せめてこれでも持っていってくれぇぇ・・」とばかりに、スキープレーンのビデオと、大きなポスターをくれたこともありました。もちろん帰国してからみましたが、想いは募るばかりでした。あるとき、たまたまニュージーランド観光をしたおばちゃんと日本で出合った際に、ニュージーランド旅行の際のスキープレーンの話をし始めました。それを聞きながら、私は思わず落とし穴を掘って、そのおばちゃんを埋めてしまいたくなりました。たった1度のニュージーランド旅行で、しかも限られた時間帯の団体ツアーのオプショナル体験です。我が身の不運さを嘆くのみでした。

◇以下は、そのときのデジカメ画像を送ってあげた飛行場の(10%割引をしてくれた)スタッフから届いたメールです。

Hello Mr Yamaki-san

Thank you for your email.  We were delighted that we could finally take you on a Ski Plane flight.  Not many people would bother to keep trying for 6 years!  Thank you for the photos, we really like the one of you on the Glacier.  We hope to see you in Mount Cook again soon. Take care and best regards.

Karen Carter


◇そんなこんなで積年の恨み、ではなく願望を遂げ、ルンルン気分で遠回りをしながらクライストチャーチへと戻ってきました。そのため、今日一日だけで500キロあまりを走りました。興奮と疲れを感じつつ空港近くのモーテル(79$)に荷物を下ろした後に、空港まで行ってレンタカーを返却し、モーテルのおじちゃんに迎えに来てもらって、ようやくホッと落ち着きました。今回は北島が723キロ。南島が1696キロの走行距離となりました。

◇あ、それから昨夜(テカポ)は、ちょっとしたトラブルを引き起こしてしまいました。部屋の乾燥を防ぐために、シャワーを出していたら、けたたましいサイレンの音。部屋のセンサーが感知したのです。狼狽えてしまいましたが、何せこの件では過去歴アリの自分です。ドアを開けて換気をするとサイレンは鳴りやみました。でもスタッフが慌てて飛んできました。過去歴とは、メルボルンのホテルで同じようなことをやってしまったのです。

■ 2003/09/06 (Sat)  モーテル
◇クライストチャーチの快適なモーテルで、グッスリと眠ることができました。しかし翌朝のチェックアウトの際の(インターネット接続のための)電話料金精算の際に、なぜか50$近くになっていました。おばちゃんが「市内通話番号に接続したのに、これはおかしい?」と言って、あれこれ問い合わせてくれました。「だいたい、いつもどのくらいか?」と聞くので「5〜15$の範囲だけれど・・」と答えると、「1分間が20セントだから・・」と言いながら電卓で計算をし始め、結局、15$で精算してくれました。

◇モーテルのおばちゃんに空港まで送ってもらい、カンタスのカウンターでチェックインしました。空港税が25$でした。オークランド国際空港と同じです。以前クライストチャーチに来たときには、国際線の建物が工事中でしたが、新装なった建物は、とてもセンスが良くてスッキリしていました。パスポートコントロールを終えて2Fの搭乗待合室へ行くと、遙か遠くに雪山が見えました。何のかのと言っても、クライストチャーチは快適な街です。来年も、また来るぞ!

◇カンタスのシドニー便は、ほぼ満席でした。しかし後部座席に少しゆとりがあったため、席を変えてもらいました。いつも「アイル・シート」を頼むのですが、今回は2列席の通路側だったので・・。3列席だと、真ん中の席が空くと、ゆとりが生じて、とてもリラックスできるからです。

◇機内には、日本人とおぼしき若き女性が数名。バックパッカーのようです。リックを背負い、さっそうと入国してゆきました。1989年に初めてニュージーランドに来て、ホテルの窓から外を眺めていたら、やはり同じような光景に出合いました。「すごいなぁ!」と感じ入ったことを覚えています。当時の自分には(いや、今でもそうかな?)、見知らぬ外国の地で、こうも颯爽とは行動できなかったからです。若いということは、理屈抜きに素晴らしいんだなぁ!

◇ホテルまでのシャトルサービスの方法が分からなかったので、タクシーを利用しました。近くて申し訳なかったのですが、バングラデシュから来た、という運転手は、わずか5分ほどのホテルまで乗せてくれました。シドニーもそうですが、オーストラリアはニュージーランドとは、かなり異なる雰囲気です。さまざまな側面で、似ているようで、自然・風土・文化等が、かなり異なります。

■ 2003/09/07 (Sun)  オーデコロン
◇時差の関係で、昨夜は8時半頃にベットにもぐりました。ちなみに、シドニーの場合、日本との時差が1時間です。つまり、夜の8時半はシドニーでは午後9時半ということになります。

◇そんなわけで、今朝は早朝4時に目が覚めてしまい、ホテルの部屋からインターネットに接続しました。OCNはオーストラリア国内にアクセスポイントを持っているので、接続料金が安くなります。順調にいけば9時間のフライトで、夜の8時過ぎには関空に到着です。そして空港近くのホテルへお泊まりです。

◇今日は日曜日です。ニュージーランドでもそうですが、オーストラリアも礼拝の様子が放映されています。特にカトリックの場合は、教会からの中継ではなく、通常のミサが、手話通訳付きで、テレビスタジオからそのままのスタイルでテレビで流されます。ですから、各家庭で、通常のミサがそのまま体験できるのです。地理的な条件等で、教会の集会に集うことが困難人たちにとっては、まさに福音です。

◇ホテルで朝食を摂り、シャトルサービスでシドニー国際空港へ行き、カンタスのカウンターでチェックインしました。幸い、2階席が取れました。ラッキー! あ、それから空港免税店で「Kala Kala」というワインを販売していた日本人の販売員からセールスをお願いされました。もっともお味の方は不明ですが・・。あ、それから、それから・・ 手荷物検査で、ある物がチェックの対象となり、あえなくラビッシュ(ゴミ)となってしまいました。それは、何と小さな小さなハサミでした。それもボタン付けの時に使うような! 「どうして?」と係官に聞くと、「これでも凶器となりうる」と、喉を突いたり、切る仕草をしてくれました。関空近くのホテルで1泊するために、洗面道具を入れていたのが失敗の元でした。そう言えば、いつだったか、ブリスベンの空港でも小さなワンちゃんにクンクンで、デイパックを開ける羽目となりました。何かフルーツの臭いがしたそうです。おとなしそうに見えるけど、まぁ賢いこと!

◇さてさて、搭乗してみると、ラッキーなことに、またもや3席分を一人で使うことができました。今回は往復ともゆとりでした。しかもJALとの共同運行便で、機材はJALのジャンボだったため、とても快適でした。しかし良いことは長くは続かないのが、この世の習いです。2時間ほど経った頃、前席のオーストラリアのおばちゃんが、かなりニオイのきついオーデコロンを身体中に付け始めたため、そのニオイで頭痛がしてしまい、やむなく下の席にエスケープとなりました。本人が「ゴメン!」と言ったくらいだから、相当です。ダンナさんも「ストロング!」と言ってましたし・・。いったい、どんな嗅覚をしているんだろう? ちなみに、下の席は全体で60%程度の搭乗率でした。そこで(エコノミー症候群を防ぐ目的もあって)機内を散歩してみると、不思議なことに、あるゾーンは乗客がビッシリなのに、あるゾーンはガラガラ状態です。そこで乗務員の人に聞くと、団体旅行客の場合は、添乗員がまとめて座席を確保してしまうためだろう、とのことでした。でも、あまりにもアンバランス状態でした。自分だったら、4列シートにビッシリ座るなんて疲れるので、席を替わるのになぁ・・。別のゾーンでは、4列シートがまるまる空いているのに! 日本人は、何ておとなしいんだろう・・。

◇それでも、下の席でみた、「X-Men」というタイトルの映画は、とても面白く、熱中してしまいました。その映画が終了してから上の席に戻ると、多少は臭いが治まっていました。そんなこんなで、約9時間ほどで関空へと舞い降り、1ヶ月間のご外遊は終了となりました。何はともあれ、お疲れサマでした!

◇次回の訪問では、マウントクックからクライストチャーチまでの帰路に通ったステキな街でジックリと滞在できたらいいな、と考えています。そして、もうそのための下準備を始めています。かくのごとく、私のニュージーランドへの想いは衰えるどころか、ますます強くなりつつあるのです。