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※以下の文章は、2002年7月28日〜8月19日までの間、オーストラリア(シドニー)とニュージーランド(北島)を訪問した際に、ローミングサービスを利用して、現地から『のんびりエッセイ』に書き込んだものを編集したものです。なお、今回の公開にあたっては、不必要な部分を削除したり、多少の修正を加えています。[1NZ$=60〜61円]

■ 2002/07/29 (Mon)  シドニーにて...
◇うだるような猛暑の中、重たいスーツケースを抱えて新幹線に乗って名古屋空港からカンタス航空でケアンズを経由してシドニーまでやって来ました。名古屋空港を使ったのは、前回、ニュージーランドからの帰国ルートが〈オークランド→ブリスベン→ケアンズ→名古屋〉だったため、「ニュージーランドに戻る」チケットを持っている私としては、同じルートを使わなければならなかったためです。

◇搭乗手続きが早かったせいか、ビジネスクラス用の座席に座ることができました。そのため、とても快適な空の旅を過ごすことができました。なぜか最近ではこうした事が少なくなりましたが、10年ほど前は、こんなことはよくありました。ロンドンへ行った時もJALのビジネスクラス用シートを利用することができましたし、ニュージーランドへも何度もそうでした。エアパシフィックというフィジーの航空会社の場合は、マイナーなせいか、いつも空席が目立ち、横4列が空いていたことさえもありました。もちろん、横になって眠りました。

◇カンタス航空なので、例のごとく少し遅れましたが、シドニーに朝の8時半頃に到着し、税関もスムーズに通ることができました。ここしばらくスーツケースを開けるように求められることが多かったのですが、今回はスムーズに通ることができました。ホテルのチェックインまで時間があったため、空港内で紅茶を飲みながらしばらく読書をして、お昼前にタクシーでシドニー郊外にあるクージービーチ(Coogee beach)にやって来ました。ネットで予約してあったリゾートホテルに行き、示された部屋に入ると、オーシャン・ビューではありません。そこで「予約の時にビーチが眺められる部屋を希望したのだけれど・・」と言うと、部屋を変えてくれました。今度は予約をしたときにホテルのホームページで見たようなステキな部屋でした(参考のために、滞在しているホテルのホームページのアドレスをお示ししておきます)。バルコニーの前には壮大な冬の海が拡がっていました!
http://www.coogeesands.com.au/

◇ご承知のように、南半球は現在、真冬です。そのため、オフシーズン特有の閑散とした雰囲気を想像していたのでしたが、住宅街が近いせいか、それほどでもありませんでした。しかも、この肌寒い中で、何と泳いでいる人たちがいるではありませんか! いやはや、何とも・・

◇この地でこれから2週間、海を眺めながらノンビリと過ごします。夕方には美しい虹も出ました。心身ともにリラックスされることを願っています。

■ 2002/07/30 (Tue)  冬の海...
◇長旅の疲れからか、昨夜はグッスリと眠ることができました。爽快な気分で目覚め、部屋の全面ガラスドアから眼下に拡がるオーシャンビューを満喫しながら、ルームサービスによるコンチネンタル・ブレックファーストを食べました。このホテルにはレストランがないため、朝食のみがルームサービスで提供されるのです。ちなみに、この快適なリゾートホテルの宿泊料金(オーシャンビュー・ルーム)は、朝食付きで6,300円ほどです。これがオンシーズンになると、3倍程度に跳ね上がります。ただ、旅行代理店を通さずに、直接、このホテルに予約した場合には定かではありませんが・・。

◇午前中に近くのバス停(始発)から、20分ほどバスに揺られて、このエリアの交通の中継要所であるボンダイ・ジャンクション(Bondi Junction)まで出掛けてみました。オーストラリアも、どんどんノンステップバスに切り替わっていることがよく分かります。小さな繁華街といった風情のこのエリアは、ちょうど一昨年、やはり二週間あまり滞在したアデレドー郊外のグレネルグというビーチ・リゾートによく似ていました。そこで「みそラーメン」を食べました。ワーホリちゃんたち(たぶん)が元気よく「いらっしゃいませ〜っ!」と(日本語で)叫んでくれました。しかも、なかなかの味でした! たぶん、日本人が多く行き来しているのだと思います。

◇今日は、どんよりとした冬特有の重苦しい雰囲気です。冷たい雨も降りました。だいたい、一日に一度はシャワーのような雨が降ります。そのためか、今朝も美しい虹が出ました。この文章を打ち込みながら、ふと目をやってビーチを眺めると、まさに「冬の海」そのものの雰囲気を醸し出しています。これもなかなか風情豊かで魅力的です。やや大袈裟に言えば、こうした雰囲気を体感したくて、わざわざオフシーズンのこの静かなリゾート地までやって来たのですから・・。これまでシドニーには何度も立ち寄ってきましたが、いつも仕事絡みか、ニュージーランドと日本を行き来するための中継点としての位置づけでした。こんなステキな場所があったなんて・・。と、ここまで書いていると、海辺を散歩してみたくなりました。そこで夕暮れの浜辺を1時間あまり歩いてきました。激しい波が押し寄せてきて、壮大な気分を味わうことが出来ました。

■ 2002/07/31 (Wed)  リラックス...
◇昨日とはうってかわったような快晴の一日でした。うららかな“春の陽射し”を受けながら、例のごとくバスに揺られて終点のサーキュラーキー(Circular Quay)へと出掛けました。要するに、かのオペラハウス(Opera House)のある地域です。所要時間は45分でした。

◇その地帯はロックス(The Rocks)と称される歴史的な街でもあります。私がそこへ行った理由は、神父様からの依頼品を探す目的でした。以前、神父様が仕事でオーストラリアにおられたとき、この付近のお店で見かけた、とても使い勝手の良いキーホルダーを買い損ねてしまった、とのことでした。そこで、「もしもあったら買ってきて欲しい・・」とのご依頼だったのです。何のことはありませんでした。韓国人が経営する土産物屋さんで簡単に購入することができました。念のために、デザインの異なる2つのタイプのキーホルダーを買いました。ちなみに「アンニョンハセヨ!」で15%引きでした。

◇その後、オペラハウスまで歩きました(約15分)。以前に来たときは、クルーズでオペラハウスを間近に見ましたが、今度は建物の中まで入ってみました。やはり遠くから眺める方が魅力的のように感じました。ふと橋(Harbour Bridge)の方に目をやると、多くの人たちが橋を登っているのが見えました。そうしたツアーがあるのだそうです。

◇30分ほどをかけてシドニーの中心街まで歩き、カトリック教会であるセント・メアリー大聖堂(St Mary's Cathedral)、かつての囚人たちの収容所であったハイドパーク・バラックス博物館(Hyde Park Barracks Museum)、そしてオーストラリア博物館(Australian Museum)を見学しました。博物館では中国で発掘された恐竜展示会をしていました。まぁ、あんな巨大な恐竜たちの展示物を見たのは初めてでした。ちょうど1週間前に滋賀県立博物館でも恐竜の展示物をみましたが、残念ながらイミテーションでした。しかし今回は本物でした。「スゴイ!」としか言葉がありませんでした。

◇博物館を出て、そのそばにあるハイドパークを横切って、タワーセンターポイント(AMP Tower Centrepoint)の近くまで来ました。そのタワーは以前、見学したことがあったため、今回はパスして、そこのバス停から路線バスでクージービーチまで戻ってきました。その途中の道路上にはブルーラインが引かれていました。シドニーオリンピックの、あのマラソンコースに違いありません。バスがオリンピックスタジアムの近くを通りましたから・・。アデレードで調査活動をした2年前もシドニーに立ち寄ったのだけれど、オリンピックの時期を避けたため、マラソンを見ることはできませんでした。

◇ホテルの部屋に戻り、お茶を飲みながらキラキラと輝くビーチを眺めている内に、疲れからか眠くなってしまい、そのままソファーでしばしの午睡と相成りました。午睡から覚め、夕暮れ前のビーチを散策しました。海岸線を散歩やジョギングしている人たちの中で、少年たちが高波を利用してウインドサーフィンやカヌーをしていました。元気があるなぁ・・。そう、自分も少年時代は激しい吹雪の中を飽きることなくスキーに熱中していたっけ・・。あの頃は、たぶん何も考えずに、ただ自然と戯れること自体に喜びを見い出していたんだなぁ、きっと・・。

◇かくのごとく、ニュージーランドとはまた異なった風情を有する、多文化・多民族国家のオーストラリアで、ノンビリとした日々を過ごしています。今回のオセアニア滞在は、心身共にリラックスするのが優先順位のため、「これで良いのだ・・」と考えるようにしています。何せ、こんなノンビリ人間でも、普段は一応の“仕事人間”的な生活をしているゆえ、ボ〜ッと過ごすことにも多少のエネルギーを使ってしまうのです。面白いですね!

■ 2002/08/01 (Thu)  多様性...
◇ホテルから40分ほど坂道を歩いて、UNSW(University of New South Wales)へ行きました。例のごとく学生支援センターのスタッフにインタビューをするためでした。スタッフは二人共が車イス使用の当事者でした。来週水曜日のアポイントメントを取り、近くのショッピングエリアをブラブラしました。

◇だいたいがオーストラリアは中国系住民たちの多い国ですが、この大学も「ハテ、ここが本当にオーストラリア国内の大学なのかしらん?」と、誇張無く見間違うほどにキャンパス内は中国系学生たちで溢れかえっていました(ちなみに、メルボルンはギリシャ系住民たちです)。

◇ショッピングセンターのフードコートで[Sushi ランチ]を食べ、まさに春爛漫といったポカポカ陽気の中をノンビリ歩いてビーチまで戻ってきました。途中のスーパーで買い物をしました。何と[Persimmon]が置いてありました。「柿」です。以前、ニュージーランドで生活していたときに、大好物の柿が食べたくて覚えた単語でした。[Nashi]もありました。これは日本語がそのまま定着してしまった単語です。ホテルに戻り、さっそく食べてみました。両方とも、お世辞にもオイシイとは言えない味でした。イチゴも相変わらずワイルド過ぎる味です。但し、リンゴはなかなかの味です。果物にも、やはり得手不得手があるみたいです。

◇平日の昼下がりのビーチは老若男女、様々な人たちが、それぞれのスタイルでくつろいでいました。ベンチに座って読書をしていると小鳥が寄ってきます。コートにマフラー姿の人もいるかと思えば、ノースリーブの若い女性もいます。もちろん、泳いでいる人たちもいました。カレンダーでは、まだ冬の終わりだというのに・・。でも、こうした多様性は何となく自分の心を落ち着かせます。だから日本にいるとき以上にリラックスして過ごすことができるのです。そう、私がこの10年余りオセアニアから体感してきたまなざしは、実にこのことだったような気がしています。「必要以上に他人と比較することなく、自分は自分で良いのだから・・」といった自己肯定のまなざしです。それまでは「変わった人だねぇ・・」との他人から注がれる視線を気にしすぎてきた自分がいたのです。でも基本的な生き方のスタイルなんて、そうそう変わりようがないのだから、他者に不愉快な思いをさせない限りは自分のスタイルを大切にしよう、と思い始めたのです。“人の振り見て我が振り直せ”的まなざしが相変わらず強固な日本で生活していただけじゃ、とても体感できなかっただろうなぁ・・。のんびり屋さんで小心者の自分も、オセアニアでこうして次第に鍛えられながら、チョッピリだけ強くなれました!

■ 2002/08/02 (Fri)  気分爽快!
◇今日は、まさに歩け・歩けの一日でした。シドニーのメジャー・ビーチである「ボンダイ・ビーチ(Bondai Beach)」まで美しい海外線に沿って歩いたのです。距離にしたら5〜6qほどでしたが、何せアップダウンの激しい曲がりくねった海岸線だったため、およそ2時間ほどかかりました。加えて今日も“春爛漫”の良い天気だったため、スタート時にはウィンドヤッケの「完全装備」スタイルだったのが、トレーナーになり、ついには半袖Tシャツ一枚になってしまいました。少し疲れましたが、美しい海岸線を眺めつつ、うららかな“春風”を全身に浴びて、心地よい満足感に浸りました。まるでトレッキングの感覚です。こんな贅沢ができるなんて最高です!

◇ボンダイ・ビーチは、さすがメジャー・ビーチだけあって、クージー・ビーチの3倍ほどの長さの砂浜が続いています。学校関係の交流で来たとおぼしき、中学生らしき日本の女の子たちもいましたし、ラグビー交流で来たという日本の子どもたちも砂浜で戯れていました。同じくサーフボードを抱えた日本の若者たちもいました。そう、日本では、今は夏休み真っ盛りですから! だいいち、飛行機で9時間も乗れば、翌朝にはオーストラリア(シドニー)に着いてしまうのですから、国内旅行の感覚なのかもしれません。しかも物価の関係で、国内旅行よりは安上がりで済むし・・。猛暑からも逃れられるし! ましてや、7時間程度で来ることのできるケアンズなんて、もっと日本人だらけなんだろうなぁ・・。

◇気分爽快ではありましたが、さすがに、ここから再び海岸線を歩いて戻る元気は残っていなかったため、ボンダイ・ジャンクションまでバスに乗り、そこで「ラーメン・セット」のランチを食べて、再びバスに揺られてクージー・ビーチまで戻ってきました。ちなみに、700円ほどのラーメン・セットは「醤油ラーメン+ライス+キムチ+餃子(3個)+サラダ」でした。やはり、なかなかの味でした!

◇ジャンクションにあるショッピングモールでダイエットコーラを飲み、スーパーでミカンとオレンジを10個ずつ買いました。まるで「すだち」のような小さなミカンでした。でも味はグーでした! こうしたスーパーでは、多くの人たちが、まぁ、1ヶ月分ほどもある買い物をするため、「エクスプレス」みたいなレジコーナーがあります。ここでは「12品目以下専用レジ」でした。そこでこのレジを利用する際に「12品目以下ってあるけど、1個・2個・・」と言いながら私がオレンジを数え始めると、インド人のレジ担当の女性が私の顔を見てニヤリと笑いました。むろん、ジョークです!

◇ところで、以前はニュージーランドでは小切手(cheque)で買い物をするケースが一般的だったため、レジでの精算は、誇張ではなく、一人あたり5分程度はかかったものです。実にノンビリとした光景でした。もしかしたら多くの人たちは「まぁ、月に一度程度のことだから・・」といった悠長な感覚だったのかもしれません。そこで、スーパーには「現金支払い専用レジ」が設けられてありました。今でもカード支払いが一般的です。小切手よりは断然スピーディになりましたが、やはり1〜2分程度はかかります。まさにお国柄ですねぇ・・。

■ 2002/08/03 (Sat)  週末...
◇週末の今日も良い天気でした。坂道をセッセと歩いて、隣町にある映画館へと出掛けました。アメリカの戦争映画で、インディアンの米軍兵士が主人公でした。舞台はサイパンでした。かなり迫力のある映像内容でしたが、日本軍が惨めな描かれ方をしているので、果たして日本でヒットするかどうかは定かではありませんが・・。

◇ホテルに戻ってきて、今度はビーチへと散歩に出掛けました。週末のビーチは賑わいを見せていました。この国もニュージーランドと同じく「一日の内に四季がある」といった感じですので、朝夕は冷え込むのに、日中はまるで初夏を思わせるような暑さでした。しかし夕方になると、やはりグッと冷え込んできました。

◇夕方5時から行われたカトリック教会の夕べのミサに出席しました。言葉はあまりよく理解できませんでしたが、それでも教会の中にいるだけで不思議と安堵感を覚え、恵まれました。集会は6時前には終わったのですが、教会の外に出ると、辺りはもう暗くなっていました。やはり夏ではありません。でも、どうしてこんな小さな街なのに、200名あまりの人たちが教会へとやって来るのだろう? おそらくこの国ではキリスト教がそれだけ文化として人々の生活の中に、しっかりと根づいているのだろうと思われます。ただ、若者の姿はあまり見かけませんでした。逆に、坂道を下ってくると、ビーチ沿いのレストランやスポーツバーでは若者たちが発する元気の良い声が飛び交っていました。たぶん日曜日のあすは静かな一日となるのだろうと予想しています。

■ 2002/08/04 (Sun)  聖日のひとひ
◇ほどよく暖房の効いたホテルの部屋から、暮れなずむビーチをしばし眺めていました。この寒いのに、まだ泳いでいる人たちがいます。これはもう感動ものです!

◇今日は聖日(日曜日)です。今朝は、昨夕、御ミサに参加したカトリック教会と、道一つを隔てたところにあるアングリカン・チャーチ(Anglican Church)の礼拝に参加しました。オーストラリアやニュージーランドではメジャーな教派です。「英国国教会」とも称されるこの教会は、日本では「聖公会」と称されるプロテスタント系教会です。聖路加国際病院であるとか、立教学院などがその系列です。俗に「ブリッジ・チャーチ」とも呼ばれます。カトリックの慣習を数多く採り入れた信仰スタイルを有しているためです。

◇マオリ族が数多く居住するロトルア(ニュージーランド)にあるアングリカン・チャーチでは、マオリ語と英語とが混在化した式文を用いて礼拝が為されます。否、こうしたスタイルは、ニュージーランド各地のアングリカン・チャーチでも経験しました。それだけ多文化国家を積極的に標榜しようとするニュージーランドの意気込みを感じます。ちなみにニュージーランドの公用語は英語(キーゥイ・イングリッシュ)とマオリ語です。

◇ところで、このことは以前にも書いた記憶があるのですが、ニュージーランドの田舎を旅していた時に、ある教会の礼拝に出席しました。そこはいくつかの教派が教会堂を共有していました。すなわち、各教派の巡回牧師による運営方式のため、今週はプレスビテリアン・スタイルで、来週はアングリカン、再来週はメソジスト、といった具合です。それぞれ少しだけスタイルが異なるからです。私が生活していた人口10万人のハミルトン市には「プレスビテリアン&メソジスト教会」といったジョイント教会もありました。私がインクルージョンのまなざしを確かにしたのは、ニュージーランドでのこうした教会文化と決して無縁ではありません。

◇私が育った地域(美幌町字元町)は、別名「寺町」とも呼ばれています。お寺さんが集中しているためです。私の育った家は代々、禅寺のお坊さんが仏式のセレモニーを執り行っていました。この4月に兄が死去した際にもそうでした。母のお供で、私もしばしば行きました。ついでに、私が小学生から高校生まで活動したボーイスカウトの本部は浄土真宗のお寺で、住職さんが隊長でした。尊敬に値する方でした。要するに宗教文化の継承です。当たり前ですが、通常、お寺どうしで反目し合ったり、裁き合ったりなどはしないものです。

◇私の場合はカトリックの御ミサに参加するのも、アングリカン・チャーチの礼拝に参加するのも、まったく違和感がありません。それぞれの良さを体感できて幸せです。それを「なにゆえ教会堂にマリア像が置いてあるのだ? 偶像礼拝ではないか!」などと言い始めたらカトリック教会が有するビシッとした組織神学との論争の次元に迷い込むことになります。同じく、私にとってはペンテコステやカリスマ系の教会でも、さほどの違和感はありません。これまで、世界最大の教会である韓国のヨイド純福音教会の礼拝に何度も参加したことがありますし、一時期、その系統の神学校で学んだことさえもあります。したがって、手を叩いて賛美するのも、異言で祈る姿も特段、奇異とは感じません。「癒しの祈り」などは、ごく普通に見慣れた光景です。

◇私が言いたいのは、最低限、新旧約聖書を「わが心の糧」とし、「主の祈り」や「使徒信条」を心から信じて唱和できるなら、あとの部分は調整可能だ、ということです。いっぽう、自らが属する教派やグループの優位性を強調せんがために、他が大切にしている慣習や文化を否定する、といった論法には受容(もしくは“ゆとり”)のまなざしが欠けていると思われるのです。つまりは「他の会社の車はこんな欠陥があるけれど、うちの車はベストですゾ!」ではなく、「トヨタやニッサンの車もいいけれど、ホンダの車もこんなところが優れているのですよ!」といった「肯定から肯定へ」のアピールの仕方です。言葉を換えれば「プラスへの共感のまなざし」といっても良いと思われます。例えば、仏式葬儀の際に「焼香をすべきか否か?」が、あたかもキリスト者としての生命線のように重大視している人たちが数多くいます。それでご自分の信仰姿勢の軸足が揺らぐことが危惧されると感じるならば、断固拒否の姿勢を貫けば良いのですし、周囲やご遺族の方々への気配りが大切と思われれば焼香をして差し上げれば良いのです。なぜなら、別にそれで自分がキリスト者であることを自己否定することには連動しないからです。いわば「他の宗教文化への畏敬のまなざし」です。かのビン・ラディンなる人物が反米感情を強固にし始めたのが、「湾岸戦争以降、わが聖地サウジに異教徒(キリスト教国を標榜する米国)の軍隊が駐留したからである!」という唯我独尊的な事由背景を持ち出したのが、その狭量たる視野の典型です。パレスチナ問題の根元も、実にそうした狭量なる世界観・文化観にあるのです。

◇「キリスト者だから○○ねばならぬ・・」ではなく、その人のトータルな生き方に「キリストの香りが投影される」ような生き方を目ざしたいと私自身は考えているのです。そんなことに思いを巡らせた聖日のひとひでした。

■ 2002/08/05 (Mon)  ミュージカル
◇夕方前にシドニー市街から戻り、ベランダの窓を大きく開けて読書にふけりました。海岸を打つ波の音が、春風と共に心地よく部屋の中に入り込んできます。静かで幸せなひとときです。いつもオセアニアに出掛ける際には、古本屋さんで100円の文庫本を10数冊買い揃えて持ってきて、読み終わった後には、それらを地域の図書館等に寄贈してしまうのが常です。スーツケースを軽くするためです。

◇今回も例のごとく、買い求めた文庫本を読みあさっています。なぜか今回は阿川佐和子さんのエッセイ集が何冊か手に入ったため、面白可笑しく読ませていただいています。彼女のトーンにみられるまなざしは、とてもバランスが良く、読み手の心を穏やかにさせてくれます。あからさまに自慢するでもなく、ことさら卑下するのでもない、ユーモアに富んだ穏やかなタッチの文章です。「こういう人のことを、本当に賢い女性(ひと)って言うのだろうなぁ・・」そう思いました。

◇さて、路線バスで40分あまり揺られながらシドニー市街へと行き、チャイナタウンの近くにある、以前泊まったことのあるホテルを探し出しました。しかし、既にホテルの名前が変わっていました。あるとき、カンタス航空のチケットを購入した関係で、オーストラリア経由で日本に戻ることになったため、「シドニーでミュージカルを観よう!」と思い立ちました。そこで当時、私のチケットを購入していた旅行代理店のロビンおばさんに3泊分のアレンジをしてもらったのが、このホテルでした。すぐ近くにミュージカル劇場がありました。そこで『ミス・サイゴン』を観たのでした。ロンドンでも観ましたが、シドニーの方が感激しました。ホテルのスタッフに「その他にミュージカルは?」と訊ねると「○○オペラ・・」と言うので「オペラは観たくないから・・」と断りました。その後、街を歩いていると、『オペラ座の怪人』をやっていました。ロンドンでは三階席から観たので、「今回は近くで観たい!」と思いましたが、その翌朝早くにはフライトです。残念でした。要するに「その他に、オペラ座の怪人をやっている・・」といったスタッフの英語が正確に聞き取れなかったのでした。情けないなぁ!

◇何を言いたいのか、というと、今回は『ラ・マンチャの男(Man of La Mancha)』のチケットが取れた、ということです。たいていの場合、平日の午後に1度だけ公演があって、そのときはチケットが1,500円ほど安く買えるのです。ただ、安いと言っても5,000円弱でしたが・・。でも、これが日本なら1万円をはるかに超えるんだろうなぁ・・。ロンドンは安かったけれどもなぁ・・。

◇間もなく夕暮れ時です。次第に海の色が変わり始めました。こうして今日も穏やかな内に、ひとひの営みが過ぎつつあります。

■ 2002/08/06 (Tue)  歩け・歩け...
◇波の音を聞きながら熟睡してしまい、今朝は、つい寝過ごしてしまいました。そのため、NHKのニュースを見ることができませんでした。と言っても、放送は早朝5時半からの30分間ですが・・。昨年、ブリスベンに二週間滞在していたときも、やはり同じ時間帯でNHKのニュース放映があり、毎朝欠かさず見ていました。要するに、前夜7時のNHKニュースの録画放映です。ちなみに、シドニーの場合、日本との時差は1時間です。日本時間のお昼がシドニーでは午後1時という事になります。ニュージーランドは3時間です。そして、これがサマータイム・シーズンになると4時間になります。

◇そんなわけで、朝まだ暗い早朝に起き出して、卒論作成のアドヴァイスを求めるメール等への返事を出したり、文書を作成したりしています。そんな中で、ふとビーチを眺めると、夜明けと共に、はやジョギングに励む人や、犬を連れて散歩をしている人たちを見かけます。さすがに泳ぐ人は・・。

◇ストレッチ運動をした後に、例のごとく「歩ぁるぅけぇ〜っ・歩ぁるぅけぇ〜っ・ぼくらは元気〜っ!」と、“となりのトトロ”のごとく、アップダウンの激しい道を2時間あまりのお散歩に出掛けました。ただ、悲しいかな、幼き頃の骨折による後遺症が年々、激しくなり、右膝部分がジンジンと痛み出します。気持ちとしてはもっと歩きたいのだけれど、如何せん我が足が言うことをききません。悲しい表現ですが、人はこの世に生を受けた時点から、いわば「死に向かって歩みを進めるしかない存在」だから、こうした機能的側面の低下現象は致し方ありません。でもその分、その年代でしか味わうことのできないこともあるのだから、と考えるようにしています。

◇かくのごとく、今日も感謝のひとひを過ごすことができました。

■ 2002/08/07 (Wed)  ミュージカル
◇坂道を30分ほどかけて歩いて、UNSW(ニューサウスウェールズ大学)に行きました。約束の時間までにゆとりがあったため、その途中にあるカトリック教会を見学しました。これまでの経験では、見学者や静かに祈りをささげたい人たちのためか、日中は教会堂が開いていることが多いような気がします。

◇約束の時間に大学の学生支援センターへ行き、機能制約専門スタッフにインタビューをしました。よく聞き取れないオーストラリア英語(オージー・イングリッシュ)で苦労しました。むろんのこと、自分の英語力が優れていれば何も問題はないのだろうけれど・・。オーストラリアの大学では、この大学で6校目だったため、特に目新しい情報を得ることはありませんでした。まぁ、これでこの件に関する、この国の概略は理解することはできました。

◇その後、バスに乗って市内まで出掛けました。そう『ラ・マンチャの男』のミュージカルを観るためです。やはり言葉はよく理解できずとも、素晴らしい演技と歌唱力は、素人の自分を感動させるのに充分すぎるものでした。まさに「歌い上げる」といった、迫り上がるかのような歌声に圧倒されました。劇場は、ほぼ満席状態でした。もっとも大半が高齢者たちでしたが・・。終わると、となりのオバアチャンが「楽しんだかい?」と声を掛けてくれました。劇場の外に出ると、まるでツアー観光のように大型バスが並んでいました。観客たちの送迎用です。はて、どこから来たんだろう? やっぱり地域の老人クラブのようなものがあるのだろうか? 日帰りの温泉旅行に出掛けるような雰囲気で、ミュージカル鑑賞に来たんだろうか?

◇ともあれ、満足感いっぱいで、再びバスに揺られてクージー・ビーチまで戻ってきました。夕暮れ前のビーチを散歩しながら、再びミュージカルの余韻を味わいました。「いのちの洗濯」という表現があるけれど、まさに今日はそんな恵まれた一日でした。

THE IMPOSSIBLE DREAM(見果てぬ夢)

脚本●デール・ワッサーマン/作詞●ジョオ・ダリオン/音楽●ミッチレイ/翻訳●森 岩雄、高田蓉子/訳詞●福井 崚 東宝ミュージカル・「ラ・マンチャの男」より

[http://members.tripod.co.jp/Theatre9th/TheImpossibleDream.htm]より載録させていただきました

To dream the impossible dream To fight the unbeatable foe

To bear with unbearable sorrow To run where the brave dare not go

To right the unrightable wrong To love pure and chaste from a far

To try when your arms are too weary To reach the unreachable star

This is my quest to follow the star No matter how hopeless

No matter how far To fight for the right without question or pause

To be willing to march into hell for a heavenly cause

And I know if I'll only be true to this glorious quest

That my heart will lie peaceful and calm when I'm laid to my rest

And the world will be better for this That one man scorned and covered with scars

Still strove with his last ounce of courage To reach the unreachable stars

夢は稔り難く 敵は多数(あまた)なりとも 胸に悲しみを秘めて 我は勇みて行かん

道は極め難く 腕は疲れ果つとも 遠き星をめざして 我は歩み続けん

これこそ我が宿命(さだめ) 汚れ果てし この世から 正しきを救うために 如何に望み薄く

遥かなりとも やがて いつの日か光満ちて 永遠(とわ)の眠りに就くそのときまで

たとえ傷つくとも 力ふり絞りて 我は歩み続けん あの星の許へ

■ 2002/08/08 (Thu)  あぁ、幸せ...
◇昨夜、ケンブリッジに住む友人のマーレィのオフィス(ワイパ地区・ケンブリッジ支庁舎)に電子メールを送ると、今朝、早くも返事が届いていました。用件は、ケンブリッジ滞在中に行いたいと考えている高齢者福祉の調査活動に関するアレンジの依頼でした。『テ・パパ通信』に連載するための基礎資料を得ておきたいのです。

◇マーレィとは、もう10年来の親しい友人関係にあります。誠実で堅実なキーゥイです。ケンブリッジと姉妹都市関係にある、我がふるさと美幌へも、既に3度訪れてくれました。良き友人が与えられ感謝です。今年もケンブリッジから美幌への訪問団が編成されます。皆、私が設立したファンド(基金)の利息活用による訪問です。嬉しい限りです。現在、そのファンドの原資は10万NZ$ですが、来年春には、さらに5万NZ$程度の上積みを実現したいと考えています。そして、これによってハイスクールの子どもたちも美幌を訪問することができる筈です。最終的には50〜100万NZ$を目ざしたいのだけれど・・。一介の平均的サラリーマンの一人に過ぎない自分なので、果たしてどこまでやれるものか・・。でも、ビジョンは大きく持った方が・・。

◇午後に、例のごとく2時間あまり散歩をしました。朝夕は、たしかに早春の気配ですが、日中は完全に初夏の兆しです。海岸線を歩き回るうちに、次第にTシャツに汗がにじみ出ます。ほどよい疲れを感じつつ部屋へと戻り、ベランダの窓を大きく開け放つと、爽やかな春風が波の音と共に部屋に充満してゆくのを感じます。「静かなこのビーチで過ごすことを選んで本当に良かった。あぁ、何て自分は恵まれているんだろう・・」そんな幸せ感にひたった午後のひとときでした。

■ 2002/08/09 (Fri)  潜水艦
◇朝5時半からのNHKのニュースを見て、ネットニュースで日本の出来事をチェックし、仕事関連のメールを送信しました。それで夜明けとなりました。文字どおりの「朝飯前」です。ちなみに朝食はルームサービスで、コンチネンタル・ブレックファーストです。ココア&トースト&コーンフレーク&トマトジュースが、そのメニューです。もちろん、コーヒーや紅茶等も選べます。これで700円ほどです。前夜に出しておいたオーダーに基づいて、指定された時刻にお部屋まで運んでくれます。ありがたいこと!

◇さて、今日も日中は汗ばむような“春うらら”の良い天気に誘われて、路線バスに40分あまり揺られてダージリング・ハーバー(Darling Harbour)まで出掛けました。そこにある国立海洋博物館(Australian National Maritime Museum)を見学したかったからです。より正確には、すでに退役してそこに係留されてある駆逐艦(あるいは巡洋艦)と潜水艦を見学したかったからです。特に潜水艦の内部に入ったのは初めてでした。乗員数は89名とのことでしたが、(たぶん)志願しての任務とはいえ、よくもまぁ、こんな狭いスペースに長期間にわたって閉じこもっていられるものだ、と感嘆しました。しかも、魚雷があんなに大きなものだとは知りませんでした。むろん、この潜水艦がこれらの魚雷を一発も発射する事無くリタイアしたのならば、それに越したことはないのですが・・。

◇その後、近くにある「IMAX シアター」で「スペースステーション」の3D映画を観ました。小中学生たちと、高齢者たちとが大半のようでした。なかなかの迫力でした。シドニー水族館を含むこの地域は、オペラハウスを代表とするサーキュラーキー(Circular Quay)と並び、シドニーのアドベンチャー&プレイスポットのような感じです。私の記憶では、オリンピック前にはまだ無かったような気がします。

◇今日は金曜日です。ニュージーランドの場合もそうですが、今夜と明日の夜は、またまた深夜まで元気な声が響くのだろうなぁ・・。これが日曜日の朝になると静まり返ってしまうのだから、面白いですね!

■ 2002/08/10 (Sat)  週末のビーチにて...
◇夜明けと共に砂浜に散歩に出掛けました。大海原(おおうなばら)の遙か向こうから朝陽が次第に輝きを増し加えてきます。感動の面持ちで、その輝きをジッと眺めていました。ふと海をみやると、何と、はや誰かが悠然と泳いでいます! 早春の海水はまだ冷たいだろうに・・。と、驚きを味わう間もなく、次々と水着姿が現れ始めました。しかも皆、中高年者たちでした!

◇今朝は5時起きだったため、部屋に戻るとベランダを開け、爽やかな朝の潮風を部屋に招き入れながら、しばしのうたた寝にひたりました。時が穏やかに過ぎゆくのを感じます。

◇1時間あまりで目を覚まし、路線バスに20分あまり揺られてフォックス・スタジオ(Fox Studios Australia)というアミューズメント・テーマパークに出掛けました。そこではフリマ(フリー・マーケット)をやっていました。再びビーチに戻ると、喚声がそこかしこにこだましていました。

◇夕暮れ前に再びビーチを散歩しました。子犬を従えてノンビリと散歩する人、仲良く語らいながら歩く人、ウォーキングやランニングに励む人、飛び交う国の声もさまざまです。多民族・多文化そのものです。「これって、いいなぁ!」そう思いました。そんな中で、検知器を持ちながら、暮れなずむ砂浜を丹念に歩き回っている老人がいました。聞くと、金属探知器だそうです。砂浜の危険物を取り除いているのです。だいたいがビーチには驚くほどにゴミ等が落ちていないのですが、なおかつ日々、こうした地道なメンテナンスが行き届いているのです。

◇あす一日で、このビーチともお別れです。今回は仕事抜きの滞在で、少し贅沢でしたが、心のクリーニングがいっぱいできたことが、最大の収穫です。またいつか、このビーチで、しばしの時を過ごせたらいいなぁ・・

■ 2002/08/11 (Sun)  ありがとう。クージー・ビーチ!
◇シドニー最後の一日でした。坂道をテクテクと30分ほど登って、隣町にあるカトリック教会の御ミサへ行きました。心満たされました。やはり週の初めに教会へ行くことからスタートしなくては、心身(というより霊的側面)のバランスがとれません。

◇今日の気温は25度、水温が18度という条件でしたので、御ミサを終えて、坂を下りてビーチへと戻ってくると、まぁ、200〜300名ほどの人たちがビーチへとやって来ていました。これから夏に向けて、ドンドン増えてゆくのだろうなぁ・・。実は、ボンダイ・ビーチと共に、このビーチは女性たちが大胆な水着で砂浜を闊歩することで知られています。確かにいました。これが夏になると、いったいどんな光景になるのだろう・・。夏に来ることはないと思うので、余計な心配をする必要はないのだけれど・・。

◇ネット情報のみで、このリゾートホテルを予約して、はるばるやって来たのだけれど、自分にしては珍しく大正解でした。バスに40分あまり揺られることさえ我慢すれば、シドニーの中心街にも出られるし、環境もバッグンだし、言うことナシです。もっとも、9月になればホテル料金が3倍近くに跳ね上がるので、その点だけ注意が必要ですが・・。この料金はたいてい3月まで続きます。でも日本の夏がオセアニアでは冬なのだから避暑には便利です。ただ、これがニュージーランド(南島)のクライストチャーチになると、この時期は毎朝、霜が降り、ブルブルの毎日です。いつだったか、8月下旬にクライストチャーチから3〜4時間ほど離れたところにあるテカポ湖まで車で出掛けたら、帰りは吹雪模様になってしまい、かなり緊張して戻ってきたことがありました。夏タイヤに加えて、下りの坂道が延々と続く道路でしたから・・。ともあれ、この時期のシドニーは最高でした。

◇さぁ、あすから懐かしのアオテアロア/ニュージーランドだ! でも、定宿にしている空港近くのホテルの部屋からは、電話線の関係でネットに接続できないため、たぶん、あすの旅日記はお休みとなります。悪しからず!

■ 2002/08/12 (Mon)  From Sydney to Auckland
◇荷物のパックを済ませ、昨夜は早くに寝て、朝まだ暗い5時前に起きました。メールを読み、必要な返事を送信し、5時半からのNHKのニュースをみてノンビリしていると、突然に「ジリ・ジリ・ジリ・・」のアラームの音が響き出しました。「あぁ、またかぁ・・」でした。やがて数分後に「カン・カン・カン・・」と、けたたましい音を鳴らしながら消防車のご到着です。しばらくしてアラームの音が止みました。それから30分後に、再び同じ光景が繰り返されました。チェックアウトの際にフロントスタッフに聞くと「だれかが部屋のオーブンを使いすぎてしまったらしい・・」とのことでした。この二週間の間に、こうしたことが何度かありました。ベランダから外の様子を眺めると、消防士さんたちも「毎度のことで・・」といったゆとりの感じでした。

◇タクシーに乗り、約25分でシドニー空港です。カンタス航空のカウンターで航空チケットを出すと、「パスポートを見せて?」と言われ「たぶん、あると思うけれど・・」と言うと、カウンターの女性スタッフが「私もそう願っているわ!」と大笑いです。「アイルシートが欲しいんだけれど?」と申し出ると、「今日のフライトはいっぱい、い〜っぱい座席が空いているからぁ!」と大きな身振り手振りで示してくれました。まったく底抜けに明るいんだからぁ・・。もっとも他人(ひと)の事は言えないかも・・。あ、このアイルシート(AISLE Seat)とは、通路側の座席を意味します。トイレに行く際に気を遣わずに済むのと、片側だけ空間が生じるので、好きなのです。

◇出国手続きが終了し、搭乗ゲート付近に立ち並んでいるショップを眺めました。教会のおちびサンたちにコアラのぬいぐるみを買いました。女性の店員さんが「これは自分も好きなのよ〜ぉ!」と触りながら喜んでいました。「去年、ブリスベンでコアラを抱いたことがあるんだ!」と言うと、さらに喜びました。まだAU$が少し余っていましたので、別のショップでコアラマークのネクタイを買いました。あれっ、10セント足りません。すると若い男の店員さんが、ガチャガチャと小銭を出して、「これで10セントになるョ!」と私に示しました。無事、そのネクタイを買うことができました。ハテ、だれのお金なんだろう?

◇望みどおりのアイルシートに座って満足していると、インド系の家族が4人でやって来ました。みると息子さんの足が動きません。そこで父親が私に「自分の息子を見なくてはならないため、席を替わって欲しい・・」とのこと。そこで今度は私が搭乗員にその旨を伝えて別の席に移動しました。その結果、三列席を一人で使うことができました。ちなみに、やはり出発が20分ほど遅れました。これまでカンタスのフライトで定時出発に出合ったことはないので、まぁ、これでOKです。カンタス航空を利用の際には、乗り継ぎ便の間隔にはゆとりを持つことが重要ですゾ!

◇3時間弱のフライトで曇り空のオークランドに到着です。スイスイと、まことにスムーズに手続きをパスして、明日から借りる「ハーツ・レンタカー」の空港デスクに行き、予約の確認をしました。その後、例のごとく観光案内コーナーに設置してあるプッシュフォンで「47番」を押し、宿泊先のホテルを呼び出して迎えに来てもらいました。「ナンバー・アイト(No.8)の出口の外で待つベシ」とのことでした。以前は、その出口近くのマクドナルドの店の前あたりだったのに・・。でも、ここがアチコチのホテルの送迎ゾーンとなっていて、とても分かり易くなりました。

◇ニュージーランドに戻ってきた嬉しさをかみ殺しつつ、やや肌寒い中を待つこと25分。ホテルのロゴマークを付けた、相変わらずガタピシのバンがやって来ました。そろそろ買い換えればいいのに・・。例のごとくサイドドアを手で閉めようとすると、閉める必要がない、とのこと。何と自動ドアになっていました。改造したのでしょう。「ジャパニーズカーだからさぁ・・」と、マオリの運転手のお兄さんが嬉しそうに私に語りかけました。でも、こんなガタピシバンは、日本ではもう走っていないような気がするけどなぁ・・。度重なる修理のせいか、何せこの国では、車体の色とドアの色が違う車だって堂々と走っているんだから!

◇いつものホテルに着いて荷物を部屋に運び、レストランに行きました。そう言えばフロントスタッフも、レストランスタッフも皆、マオリの人でした。入国審査官もそうでした。「キヨゥラ!(やぁ!)」と言うと、ニコッとしました。「あぁ、一年ぶりにアオテアロア(ニュージーランド)に帰ってきたぁぁ!」そう心の底から思えました。幸せイ〜ッパイです!

■ 2002/08/13 (Tue)  第二の故郷から...
◇肌寒い曇り空の中を、レンタカーで動き始めました。豊かな大地に再び巡り会うことができた私の感想は「ニュージーランドはいいなぁ〜っ!」のひとことです。途中のティールームで「本日のスープ」を注文しました。この雰囲気を味わいたくて毎年、この国に来ているのかもしれません。

◇オークランドから田舎道を遠回りしながら3時間ほどで、懐かしのテ・アロハ(Te Aroha)まで来ました。ネット情報で温泉があることを知り、「是非・ぜひ!」と思ったからです。これまで幾度となくこの街へは来たのだけれど、どうしてだか、まるで気が付かなかったのです。本当に不思議です。500円弱で30分間のプライベート・スパを満喫することができました。しかも温泉の質もなかなかでした! 今回はロトルアに立ち寄るかどうか決めかねているので、余計に満足でした。ハミルトンの近くにはワインガロ温泉もあるのだけれど、以前、その帰りのレグラン(Raglan)へ向かう山道で、対向車に振られ、砂利道を滑って車ごと崖下に落ちてしまったクラ〜イ過去があるため、それ以降は行く気がしないのです。車はメチャメチャでしたが、幸運にも私はかすり傷程度で済みました。いつも温泉の後には海辺のレグランへ行き、そこでティーを飲むのが常でした。

◇テ・アロハから30qあまりでケンブリッジです。今回は、初めてのモーテルを利用することにしました。見ると、新しいユニットもでき、思った以上に快適なモーテルでした。ここで3泊します。ちなみに、1泊が4,800円ほどです。美幌との姉妹都市のことも知っていました。人口1万人程度の小さな街です。その部屋の電話回線を利用し、[GRIC dial]というワールドワイドのプロバイダを経由してインターネットに接続しています。

◇夕方に友人のマーレィの家に車で出掛けました。夜道でしたが、もう何度も行った道ですから迷わずに行けました。車で10分ほどです。マーレィとは握手でしたが、“連れ合い”のロビンおばさんは抱きついてきました。「モーテルなんかに泊まって、どうしてうちでホームステイをしないんだ?」といつもの口調です。「モーテルの方がリラックスできるから・・」といつも答えは同じです。15歳になったアリーシヤは、さすがにもう抱きつくことはしませんが、食事が終わっても横に座り、私を指でつついたりしてきました。何せ彼女が小学校の1年生の時から知っているのだから・・。次男はハミルトンにあるワイカト大学の学生ですが、長男はウェリントンにあるビクトリア大学の学生ですから離れて暮らしています。そこで、わざわざ「学費を稼ぐためのバイトで家に戻れないから・・」と電話をしてきました。彼ら3人は皆、すでに美幌を訪問してくれました。心のこもったディナーを食べて、3時間ほど語らい、心満たされた想いでモーテルに戻ってきました。

◇あす午後には役所で姉妹都市の件で話し合いをします。マーレィから、私が設立した『ラブリー・ファンド』がとても有効に活用されていることを伝えられ、嬉しくなりました。そこで「来年4月には、さらにあと300万円ほど基金に上積みすることができそうだから・・」とマーレィに伝えました。ケンブリッジのプランでは、今後はこのファンドの利息を活用して、隔年毎に成人と聖ペテロ学園の生徒たちが交互に美幌を訪問する計画を有している、とのことでした。今年の9月下旬にはハイスクールの校長ら、7名あまりの大人たちの美幌訪問が予定されています。成田空港から札幌まで飛び、その後は何と汽車で美幌に向かう予定、とのことでした。先日、美幌からの子どもたちがケンブリッジを訪れて日本に帰ったところです。

◇私のホームページの『アオテアロア/ニュージーランド』の項目に、姉妹都市の経緯について記してありますが、むろん書けないことの方が山ほどあります。それらは全て辛く苦しかったことです。非難めいたことも書けません。否、書きたくありません。「どうしてそこまで入れ込むのか?」と訊ねられることも多いのですが、単純に「自分を育んでくれた、ふるさと美幌への恩返しと、ニュージーランドのケンブリッジが好きだったから・・」としか答えるすべを持ちません。どちらからも依頼されたわけでもなく、ほんとうに自分一人の決意だけで徒手空拳さながらに双方にアタックして始めたことです。それがこんなに豊かに実を結ぶなんて・・ その最大の協力者がマーレィだったのです。彼の誠実なサポートがあったなればこそ、の進展でした。感謝のひとことです。こうして『第二の故郷』での最初の夜が過ぎてゆきました。

■ 2002/08/14 (Wed)  充実のひとひ
◇今日はとても肌寒い一日でした。そして、例のごとく激しい雨となりました。ニュージーランドは、やはりまだ冬です。この時期は、だいたいがこんな気候です。ハテ、シドニーのあの初夏のような暖かさは何だったんだろう? 一週間後には再び猛暑のただ中にいることになります。まぁ、慌ただしいこと!

◇そんな雨の中、車のライトをつけて時速100`のスピードでハミルトン方面へと車を走らせました。慣れない人は、この国での運転にはとても注意が必要です。特に今日のような激しい雨の日には・・。表現が難しいのですが、雨の粒が日本のとは異なるのです。そのため、視界が悪くなってしまうのです。それはともあれ、ハミルトンとケンブリッジの中間ほどに、カトリックの高齢者ホームがあり、そこを見学しようと思ったのです。10年前にも一度、訪問したことがありました。幸い、ちょうど主任スタッフの時間にゆとりがあり、1時間半あまりをかけてジックリと説明を聞き、ホームの内部を見学させてもらうことができました。

◇本当はハミルトン市街に出て、書店に行きたかったのだけれど、この雨の中で車を停めて歩き回るのは困難だと思い、やむなくケンブリッジに戻ってきました。書店のある場所は、ハミルトンのもっとも賑やかな場所のため、駐車が困難なのです。滞在しているモーテル近くのティールームに入り、お定まりの「本日のスープ」です。カレーとライスとカボチャが混じった、とても美味しいスープでした。作ったオバチャンが顔を出し、「味はどうかな?」と聞きました。ニコッと微笑み返しました。この国道沿いのティールームは、これまでもよく立ち寄ったことがあります。あるとき、美幌に送るために姉妹都市提携の議会決議書を作成してもらい、その文書をこのお店の人に見せたこともありました。「ヘェ〜ッ!」と驚いていました。その後、これも時々、訪れたことのある『IHC』が運営している知的制約を有する高齢者のグループホームを訪問しました。

◇午後にケンブリッジの庁舎へ行き、『ラブリー・ファンド』の運用方法について説明を受けました。その後、役所に隣接している図書館の外に造園途中の日本庭園を見ました。去年からみると、次第に完成に近づいてきました。あ、図書館と言えば、先日、日本から送った書籍類を、送付証明書と共に図書館スタッフに説明してあげました。そして徒歩数分で、今回からチケット購入の利用を始めた旅行代理店に行き、担当スタッフに挨拶をしました。さらには福祉作業所へ行き、旧知の所長としばしの語らいの時を持ちました。

◇オフィスに戻り、ケンブリッジで活動している、さまざまなボランティア団体との定例会議に参加しました。全員で20数名の参加メンバーでした。この会議の議長は、やはり旧知のパット・アレン議員でした。特に教会関係の団体が活発に活動していることに驚きました。やはりクリスチャン人口の違いでしょうか・・。会議の後半に、アレン議員から感想を求められ、ニュージーランドの施設解体・閉鎖の卓越さと、権利擁護の理念の素晴らしさを尊敬している、と語ると、参加者たちから拍手が起こりました。だって、本当にそう思っているのだから・・。

■ 2002/08/15 (Thu)  あぁ、忙し、いそがし...
◇昨日とはうってかわったような素晴らしい“冬晴れ”でした。朝10時に、昨日の会議の後に約束していた、難病を抱える高齢者たちのデイサービスに参加するためにプレスビアン教会とメソジスト教会とが合併してできた合同教会へ行きました。ニュージーランドの教会のほとんどが、敷地内に体育館や集会場を持っています。そこで、公民館のように、教会が各団体に貸し出しているのです。

◇モーニングティーを飲みながら1時間ほど自由に話し合いの時を持った後で、軽い体操の時間です。その後がお楽しみのランチタイムです。一人のスタッフの他は、数名のボランティアです。と言っても、皆、70〜80歳のオバアチャン・ボランティアでした。私も近くのスーパーからバナナとジュースを買ってきて差し入れました。お世辞抜きで、ほんとうに美味しいランチでした。しかもフレンドリーでした。楽しい交わりのひとときでした。

◇その後、アングリカン・チャーチへ行き、ソーシャルサービスに関する情報を得ました。その後、そこから紹介された、ハミルトンにあるアングリカン・チャーチが運営する団体へ行きました。その後、ワイカト大学内にある、かつて私が住んでいた住宅を外から見ました。懐かしい想い出がよみがえります。本当は大学へ行き、スタッフたちとも再会したかったのでしたが、ある事情があって止めました。

◇そして、「チャートウェル」というショッピングセンターへと行きました。ハミルトンに住んでいた時には、毎週のように出掛けた大規模ショッピングセンターです。ニュージーランド政府が発行している年刊を購入するためでした。しかし昨年のしかありません。店員さんが電話で問い合わせてくれました。「今年はまだ発行されていないらしい・・」とのこと。そこで「1999年版も発行されなかったから、今年も・・」と店員さんに告げました。この辺がこの国の面白い(アバウトな)ところです。お陰で、日本へ郵送する手間が省けました。この本は、大型で、かなり重たいからです。あとでマーレィに聞くと、「ほとんどの統計はウェブサイトで閲覧できるから・・」とのことでした。

◇喉が渇いたので、書店の近くにあるコーナーでダイエット・コークを注文しました。10代と思われる陽気な女性がティーカップに少しだけコーラを入れて渡してくれました。「どうして?」と聞くと「この前、ある女性が買った後でこの味が気に入らないって言ったので・・」とのことでした。要するに「お試し」でした。「このカップが欲しいなぁ・・」「いいよ、自分が洗わなくても済むから・・」と、どこまでも明るく陽気です。むろん、返しましたが・・。「あまり冷たくないなぁ・・」「じゃ、氷を入れるからぁ・・」すると、「小」のサイズを注文した筈が「中サイズ」を渡してくれました。お金は先に支払っています。「そう、ミドルサイズだよ〜っ!」まったく、どこまでも明るい女性でした。

◇二階から下に降りると、そこでは老夫婦が心臓発作の患者さんのための寄付を募っていました。10$を寄付すると、「風船はどうか?」と訊ねるので「来週月曜日に日本に戻らなくてはならないから・・」と答えると、そこにいた人が、まだ膨らませる前のゴム風船を2個くれました。そこで「もしも飛行機が壊れてしまって落ちるようなことがあれば、この風船を膨らませて、それにつかまって降りてゆくから・・」と言うと、皆が大笑いをしました。

◇ついでに、ショッピングセンター内にある、去年まで利用していた旅行代理店に行くと、模様替えです。ついでに別の名称の旅行会社になっていました。ユニフォームも違います。聞くと、名前を変えただけ、とのことでした。

◇ケンブリッジに戻ってきて、夕方にケンブリッジ庁舎に行きました。毎年、英語の学習のためにケンブリッジに来ている淡路島の英語学習塾の子どもたちが、ホームステイ先の家族を招いて「お茶」と「そうめん」をご馳走する、とのことで、そのパーティに参加したのでした。アリーシアも着物姿になりました。その前に、10月初旬にケンブリッジの訪問団が美幌を訪問する計画の内容について担当者と話し合いました。成田空港から新千歳空港へ来て、札幌に1泊して、翌朝、汽車で美幌へ向かう、といった計画を昨日、聞かされたので、飛行機の運賃と汽車の運賃をネットで調べ、朝にメールを送信しておいたのです。羽田空港から女満別空港を利用すると、国内運賃の適用となりますが、札幌までだとニュージーランドからつながった運賃となるため、かなり安くなるのです。明日朝、もう一度、話し合うことにしました。そのため、担当者のウェンデイさんは残業です。

◇あ、ついでにそのパーティでゲイルさんに会いました。ある子どものホームステイ先だからです。まぁぁ、私の顔を見たゲイルさんの驚くこと、驚くこと! 私に抱きついてきました。実は、ゲイルさんの家はマーレィの家の斜め向かいにあるのですが、「あまりアチコチに知らせないで欲しい・・」とマーレィに頼んでおいたのです。去年はケンブリッジの人たちが私のためにティーパーティを開いてくれたので・・。どうにも苦手なのです。そうした私の性格をマーレィはよく知っているのです。それはともあれ、「いつからケンブリッジに来たんだ? モーテルなんかに泊まって・・ どうしてウチに泊まらないんだ?」と、矢継ぎ早の質問です。このゲイルさんも1997年の姉妹都市調印式に、私の招待で美幌へ来てくれた一人です。彼女も“限りなく良い人”の一人です。以上、そんなこんなで慌ただしい一日が過ぎました。

■ 2002/08/16 (Fri)  美しい虹
◇最初から話は変わりますが、オーストラリアほどではないですが、最近はニュージーランドでも大きなスーパーに行くと日本食の食材が容易に買えるようになりました。そこで、ニュージーランドに来るたびに1個ずつ買っているカップに、ケンブリッジのスーパーで買った「あさげ」の味噌汁を溶かして飲みながら、この日記を書いています。ウ〜ン満足!

◇朝10時にケンブリッジ庁舎に行き、カトリックのシスターと、(かつてはケンブリッジの首長だった)パット・アレン議員とで、スタッフのウェンディが用意してくれたモーニング・ティーを飲みながら、1時間ほど歓談の時を持ちました。二人は普段から仲良しらしく、ときには私のことを無視して自分たちだけで話していました。まぁ、二人とも実に気のいいオバアチャンです。ちなみに、1990年頃にニュージーランドは広域行政制度を採り入れたため、人口5万人以下の市町村は合併されてしまったため、それまでのケンブリッジ町が「ワイパ地区:ケンブリッジ地域」となったのです。その結果、ワイパ地区の首長が新たに選出されることになったため、ケンブリッジのアレン町長は、その職から退くことになったのです。これは今、まさに日本各地の自治体が市町村合併で決断を迫られている問題と同じです。なお、ワイパ地区の本庁舎は、ケンブリッジから15`ほど離れたところにあるテ・アワムツ(Te Awamutu)にあります。

◇その後、ウェンディと美幌訪問のスケジュールのことで話し合いました。やはり東京観光がしたいのだそうです。しかし国際線の関係で、羽田空港ではなく成田空港を使うと運賃とホテル代とが安くなるため、ホテルを成田空港周辺にし、そこから東京駅がターミナルとなっている「はとバス観光」へと出掛けることにしました。さて、あとはこの自分がうまくスケジュールが確保できるかどうかですが・・ 実は、これがかなり難問なのです。そのことをウェンディに伝えると「私たちの美幌訪問よりも、あなたの学生さんたちの方が大事なのだから・・」と言われてしまいました。でも、まったく日本語の分からない7名(今回はワイパ地区の首長や、議員、ロータリークラブの代表らによって美幌への訪問団が編成されています)で、成田や東京をウロウロすることが目に見えているため、何とか添乗員をしてあげたいのだけれど・・。余談ですが、数年前に新築移転したケンブリッジの庁舎の玄関脇には、ケンブリッジの旗と、わがふるさと美幌町の旗とが並んで飾られてあります。ケンブリッジの意気込みを強く感じます。

◇ウェンディとマーレィに別れの挨拶をし、午後には、朝に電話で予約をしておいた、ハミルトンにあるソーシャルーサービス・ヴィレッジへと再び出掛けました。説明を聞き、施設内を見学しました。その後、ケンブリッジに戻らず、隣町(といっても30`ほど離れた)までしばしのドライブです。一日のうちで、カ〜ッと晴れたかと思うと、ガァ〜ッと激しい雨です。そんなことを何度か繰り返すのがこの時期です。そのため、夕方近くには、毎日のように美しい虹を見ることができます。

◇モーテルに戻り、「ロゥオンドリー」、つまりは「お洗濯」に励みました。洗濯機の使用は無料で、乾燥機使用のみが30円ほどでした(それもコインを入れずとも動きました。もちろん、入れておきましたが・・)。と、しばらくするとモーテルのホスト・オジサンが部屋にやってきて「乾燥機がうまく動いていないようだから、別の乾燥機を使ったらどうか?」とのこと。確かに冷風乾燥機状態でした。そこで洗濯物を取り出し、別の場所にあるモーテル専用の乾燥機に移し替えました。こうしてケンブリッジ滞在での最後の夜(日本より3時間進んでいます)を迎えたのでした。

■ 2002/08/17 (Sat)  満員御礼!
◇朝、9時半頃にモーテルをチェックアウトしようとすると、オーナーのオバチャンが「8号室に泊まっている日本人とは話をしたか?」と尋ねてきました。そういえば、昨日、「あなたの他に日本人が泊まっているから・・」と伝えてくれたっけ・・。そこで「それでは挨拶をしてみるから・・」と伝えて部屋に行きました。と言っても、平屋建てのモーテルですから、全ての部屋が外からそのままアクセスできるのですが・・。

◇ご夫婦(千葉県で高校の教員をされておられるとのことでした)で、ニュープリマスにあるエグモント山にスキーに来た帰りとか。でも雨ばかりで、残念ながらスキーは難しかった、とのことでした。ニュージーランドは5度目だそうで「この街がキレイなので泊まることにした・・」とのこと。そこでお節介やさんの私は、早速にケンブリッジと美幌との姉妹都市について説明しました。

◇ケンブリッジを後にし、通い慣れた道を走ること1時間。ケンブリッジから100`離れたロトルアへとご到着です。さっそく、去年の恨み(?)を晴らすべく、「ランチクルーズ」の申し込みをしました。去年の恨みについて知りたい人は、『オセアニア旅日記:Part U』を! ステキなランチを食べながらの1時間あまりのクルーズでした。これで満足!

◇クルーズの申し込みをした後で、観光案内所へ行き「今、宿泊割引セールをしているモーテルは?」と聞くと、問い合わせてくれました。しかしすでに満杯でした。今日は土曜日です。そこで、ここ数年、宿泊している馴染みのモーテルへ行くと、何とオーナーが替わっていました。「今まで3,900円で泊めてもらっていたのだけれど、今回もその値段で泊めて欲しいなぁ・・」と告げると、即座にOKでした。ちなみに、温泉観光地であるロトルアには50以上のモーテルがフェントン通りを中心に、道の両側にズラ〜ッと立ち並んでいます。ロトルアでは、これまで10ヶ所あまりの違ったモーテルに泊まりました。

◇モーテルに荷物を降ろし、ファカレワレワのマオリコンサートの時間をチェックし、ロトルア湖畔へと戻り、クルーズを終えても、まだ午後1時半です。ロトルア湖を一周しようと思い、途中まで車を走らせましたが、ふと気が変わり、タウポ湖まで出掛けることにしました。やはり1時間程度のところにあります。途中で、何年ぶりかで「フカ滝」の豪壮な様子を見学しました。いつ見てもすごいなぁ! その後、バンジージャンプの場所へ行って見学しました。何人目かのダイビング・ジャンプとき、「わ〜っ、怖そう!」との声。みると、いつの間にか色とりどりのカヌーが10数漕。そこから日本の子どもたちがバンジージャンプを見ながらカヌーを漕いでいました。まぁ、平和な光景だこと! 日が暮れる前にロトルアへ戻らねば、と思い、強い紫外線の中を、再び時速100`で車を飛ばしてロトルアへと戻ってきました。それでも何十台もの車に抜かれましたが・・。

◇以上、ここまでは、ほぼ予定通りでした。さて、夕方となり、例のごとくポリネシアンスパでの温泉入浴のお時間です。しかし、これまで10年余り、もう100回以上は利用した筈でしたが、初めて「満員御礼!」状態でした。ガックリです。そこで、温泉の後に行こうと考えていた日本食レストランで夕食を摂りました。そこのオーナーと30分余り立ち話をした後、再びスパへ・・。しかし、さらに混み合っている様子なので、やむなく諦めました。あすはオヒネムツのマオリ村にあるアングリカン・チャーチの礼拝に出た後に、ファカレワレワのマオリコンサートを見る予定ですので、その後に再度、温泉入浴にトライしてみることにしました。(少し、否かなりかな? 大袈裟ですが)、ロトルアまで来て温泉を諦めた、だなんて、末代までの恥、ってなもんですから・・。でも、それから4時間余り車を走らせてオークランド空港までレンタカーを返しに戻らねばなりません。さて、どうなりますことやら・・

■ 2002/08/18 (Sun)  あすは、もう帰国かぁぁ...
◇朝8時半にモーテルをチェックアウトして、ロトルア湖のほとりにある、アングリカン・チャーチの礼拝に出席しました。まさにマオリ語とニュージーランド英語との二つの公用語によって礼拝がなされました。賛美もマオリ語でした。会衆は素晴らしいハーモニーで歌っていました。そう、フィジーの教会の礼拝に出たときも賛美が素晴らしかったなぁ、クック諸島の礼拝では、さらに素晴らしいハーモニーだったなぁ・・ 南太平洋諸国の人々は天性なのかもしれないなぁ・・。

◇礼拝が終わり、隣の集会場でティーを飲んだ後、ポリネシアンスパで温泉に入りました。もう大満足でした。「ここに住めて、毎日、ここで温泉に浸かることができたらどんなにいいかなぁ・・」と思いながら、ユッタリとした気分で30分間の硫黄温泉を満喫しました。但し、これまで入浴後に飲んでいたキーゥイフルーツ・ジュースは無くなっていました。そこで、代わりにボトル入りのジュースを飲みました。

◇ポリネシアンスパから5分ほど車を走らせ、12時15分から始まる、ファカレワレワのマオリコンサートに行きました。もうこれで何回目だろう・・。数十回は観たと思うけれど・・。チケットのシステムが変わり、千円チョットで、コンサートと敷地内観光ができるようになりました。コンサートの会場に入る際にチケットを集めたので、それ以外は無料になったみたいです。そのお陰で、10年ぶりに間欠泉を見ることができました。コンサートの出演者は、もうスッカリと代替わりをしてしまいました。10名ほどのメンバーの中で、10年前からいる人は一人だけとなりました。また、パフォーマンスの内容も少しずつ変化していました。

◇午後1時半頃に、ロトルア湖畔にある「ピザハット」に立ち寄りました。2時までは食べ放題のランチタイムだからです。しかし日曜日のためか、とても賑わっていて、待っていても無理そうなので諦めました。ピザハットに新たな遺恨(これも大袈裟な表現)が生じました。いわゆる「食い物の恨み」です。まぁ、これはすべて冗談として、二年越しのランチクルーズも体験できたし、温泉にも入れたしで、ロトルアでの滞在は満足でした。

◇さぁ、これから300qほどの道のりをオークランドまで戻らねばなりません。いくつかのルートがありましたが、今回はハミルトンを通らずに、マタマタを通って戻ることにしました。その方が田舎道で良いだろう、と考えたからです。そのごとくに順調に走り、空港近くのガソリンスタンドで満タンにして、夕方5時前にはオークランド国際空港のレンタカー駐車場まで戻ってくることができました。今回の走行距離の合計は1,045qほどでした。ケンブリッジに滞在している間は、あまり遠出をしなかったためです。途中、道路を造っていたので、次に来たときには、また迷うかもね・・。空港からモーターウェイまで出るのに、なかなか道順が面倒なのです。これまで何度も走ったはずなのに、よく間違えてしまうのです。理由の一つは、いつも空港周辺では新しい道路を造っているからです。いつになったら完成するんだろう・・。

◇レンタカー・オフィスの近くの観光案内コーナーの電話で、例のごとくホテルを呼び出し、迎えに来てもらいました。「10分待つべし・・」との結果が、25分でした。ホテルに到着すると、フロントのオジサンは、別の電話でも同じ事を言っていました。スーツケースのカギが壊れそうなので、「ドライバーを貸して欲しい・・」と言うと、やはり「持っている人間が戻ってくるから10分待つべし」です。30分経っても「ノーアンサー!」です。「10分」は、どうやらフロントのオジサンの口癖らしいです。ニュージーランドには、ときおりこの種の人たちがいます。もう慣れましたが・・。だから別に腹も立ちません。でもどうして10分なんだろう?

◇そんなこんなで、3週間のオセアニア滞在が終わりを迎えつつあります。あすは暗い内に空港へと向かいます(と言っても、それこそホテルから10分あまりで着きますが)。このホテルでは、部屋からネットに接続できないため、台風情報をチェックすることができません。だから、この文章をアップするのは、帰国後となります。あす無事に日本に戻れたらいいな!

■ 2002/08/19 (Mon)  ニュージーランドに戻りたいなぁ!
◇朝まだ暗い、午前4時に起きて、シャワーを浴び、テレビを見ながら準備をしました。6時にチェックアウトして、空港まで送ってもらい、搭乗手続きをしました。「今日は満席状態!」とカウンターのニュージーランド航空の女性スタッフが私に告げました。そういえば、お盆休みのただ中です。日程変更ができないチケットだったため、やむなくこの日となりました。本当は、もっとニュージーランドにいたかったのに〜ッ!

◇搭乗手続きカウンターのスタッフに聞くと、ロサンゼルスから到着する機材を使うとのことでしたが、少し到着が遅れました。そのため、搭乗&出発時刻もずれました。でも、これまでの経験で、日本への到着時刻は定時だろうと予想していました。国内線等へ乗り換える必要のある人たちがいるからです。実際、そうでした。

◇JALのチケットでしたが、機材はニュージーランド航空との共同運行便でした。昔は、鶴のマーク(JAL)のジャンボ機が並んでいたのに・・。しかし幸い、週刊誌や数日前の新聞が置いてありましたので、ノンビリと読むことで、時間が順調に過ぎてゆきました。実は、お隣の男性の衣服にタバコの臭いがついていて、その臭いで最初は頭が痛くなってきてしまい、とても困りました。そこで後部へ行き、クルーからおしぼりをもらって顔を拭きました。「できれば別の席を確保して欲しいのだけれど・・」とクルーに頼みましたが、満席状態でしたので、無理でした。たぶんヘビースモーカーなのでしょう。そして搭乗前に喫煙してきたのでしょう・・。別に悪い人ではありませんでしたが、タバコに弱い自分としては、そんな程度でも受動喫煙の被害者になってしまうのです。もっとも、以前は喫煙席があったのですから、搭乗手続きの際に「できるだけ喫煙席と離れた席をお願いします!」といちいち希望を伝えなければなりませんでしたから、これでも随分と良くなってきたのかもしれませんが・・。でも、タバコの臭いはイヤだなぁ・・。

◇通路を挟んで、幼稚園に勤めているという(とてもステキなお二人さん)が座っていました。ニュージーランドに大きな関心を持っていたので、ワーキングホリディのことを篤く語ってあげました。もしかしたら、本当に実現するかもね・・。きっと良い経験になると思うので・・。人生、いつどうなるか分からないのだから、チャンスが来たら、あれこれ思案を重ねずに大胆果敢にチャレンジをせねば!

◇そんなこんなで、三週間ぶりに日本に戻ってきました。オセアニアで元気をい〜っぱいもらって帰ってきたので、これでしばらくは大丈夫です。そして、これにて『オセアニア旅日記 PartV』はオシマイとなります。さてさて、次は、いつ行けるのかなぁ・・ あしたニュージーランドに戻れたらいいのになぁ・・