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※以下の文章は、2001年8月13日〜9月8日までの間、ニュージーランド(北島)とオーストラリア(ブリスベン)を調査訪問した際に、『のんびりエッセイ』に書き込んだものを編集したものです。なお、今回の公開にあたっては、不必要な部分を削除したり、多少の修正を加えています。【1NZ$=50〜52円】

■ 2001/08/13 (Mon)  オセアニアへの旅立ちで〜す!
 いくつかの文書は、ニュージーランドで作成することにしたため、昨夜は5時間ほどの睡眠をとることが出来ました。それでも、先日、乳ガンに罹った友人へ送るための文書の整理と印刷に励みました。先ほど、それを郵送して、まぁ、これで何とか旅立てそうな雰囲気です。あとはうまく現地からローミングサービスの接続ができると良いのだけれど・・
 それでは今から関空へと向かいます。したがって、次回の徒然草はオセアニア発となります。乞うご期待!

■ 2001/08/14 (Tue)  オセアニア旅日記:PartU  From New Zealand !!
☆いよいよ本日から四週間あまりにわたる『オセアニア旅日記:パートU』連載の開始であります!
 
☆JALとの共同運行便のせいで、カンタス航空のチケットだった筈なのに、機材も乗員も皆、JALでした。お隣の席の、岡山からホームステイ(アデレード)にやってきた中学生たちは元気いっぱいでした。そんな中で、またもやトイレでの喫煙者がいて、その旨のアナウンスがなされました。まったく情けないこと!

☆ブリスベンで1時間の途中休憩の後に、90分ほどでシドニーに着きました。今、シドニー空港のマクドナルドで朝(昼)食を食べながらこの文章を打っています。今夜、オークランド空港へ着く予定です。と、ここまで打ち出したところでパソコンの電源切れとなりました。

☆今、オークランド空港近くのホテルの部屋からです。・・乗り継ぎの関係で、夕方までシドニー空港で読書に明け暮れました。そして、ようやくカンタス航空でオークランドまでやってきました。到着したのは実際には午後9時半なのだけれど、シドニーとの時差の関係で、ニュージーランド時間の午後11時半です。ちなみに日本はまだ8時半です。

☆「良い休暇を!」と入国係官に言われながらパスポートコントロールを出て、関空で預けたスーツケースを受け取り、税関を通り、空港のインフォメーションセンターにある電話で47番をプッシュして、インターネットで予約してあった「ゲートウェイ・ホテル」に電話をして迎えに来てもらいました。10分ほどで来てもらえます。この平屋建てのホテルは、とても家族的な雰囲気です。この10年間で、もう何度も泊まりました。24時間の無料送迎が可能なのです。朝霧が立ちこめる、まだ暗い内に空港へと出掛けたこともありました。当時、使っていたJALの日本便の出発が午前7時半頃だったためです。このホテルには、いろんな想い出があります。

☆今、そのホテルの部屋からこの文章を書き込んでいます。これからインターネットに接続します。はたしてローミングサービスがうまくゆくでしょうか・・

■ 2001/08/15 (Wed)  レンタカー&モーテル
☆今もローミングサービスの接続設定が不調のため、国際電話方式による接続をしています。そのため、あまりノンビリとはネットに接続できません。だって、日本へ国際電話をしているのと同じなのだから・・ 要するに、先日、九州にいたときと同じトラブルに見舞われているのです。数日前にプロバイダーに調べてもらったのですが「システム的には、特に問題はありませんが・・」とのことだったのに、ニュージーランドでもやはり同様の問題が生じてしまいました。自分としては、「このトラブルはISDNに切り替えてから始まったような気がするんだけれどなぁ・・」との疑いを持っているのですが・・ さて、どうやって解決すべきか? もっとも、しばらく滞在する予定のロトルアにインターネット・カフェがあれば、かなりの部分(つまりは、HP閲覧)は解決するのだけれど・・ メールの受信に関しては問題ないし、送信に関しては、あらかじめ文章を作成しておいて、それを「送信待ち」にして一斉送信すれば良いのだし・・

☆ともあれ、ややお疲れ気味で、いつも定宿にしている空港近くのお気に入りのホテルを後にして、オークランド空港のバジェット・レンタカーから韓国製の車を借り、まぁ、まぁ慣れた道を思い出しつつノンビリと(と言っても時速80キロくらい)ドライブしながら、タウランガ近郊までやってきました。韓国製の車はボクには少し扱いにくいです。この国の制限速度は100キロなので、多くの人たちは、通常100キロ以上で一般道路を走行しています。ついでに、モーターウェイ(高速道路)は無料です。田舎道の途中でティー・ルームに立ち寄り、これもお定まりの「本日のスープ」を食べました。ポテトと野菜の特製グラタン・スープのような感じでした。それにスライスパンを付けて350円ほどでした。

☆レンタカーによる移動の楽しみの一つがモーテルです。これまで、もう300泊程度は利用したかなぁ・・ 覚えきれないほどに泊まりました。昨夜、泊まったホテルに全国各地のモーテルのリストが記されている無料のガイドブックがあり、それを参考にしながら探すのです。このスグレモノのガイドブックは大抵のモーテルにも置いてありますので、入手が容易です。今日は、3つのモーテルを実際にみて決めました。ダブルベッド1つ、シングルベッド2つの2DKで、キッチン、バスタブ付きの部屋が3,000円ほどでした。だいたいにおいて、冬場は安いのです。また、結局は泊まらなかったのですが、あるモーテルのホストのおばちゃんが「もしも部屋からインターネットに接続できなければ、自分の家の回線を使えば良いから・・」と親切に言ってくれました。「だからここに泊まれ!」ではないのが、この国の良いところです。でも、隣の町まで来てしまったために、そこには泊まりませんでした。今度、またね!

☆多くの場合、部屋のカギをもらったら、100〜200ミリリットルほどのミルクをくれるのが常です。時には、ビンに移してくれることもあります。でもボクは体質的にミルクはあまり飲めないのです。荷物を部屋に運び入れた後に、近くのスーパーに買い物に行きました。洗剤、ジュース、果物、ティッシュペーパー、冷凍ピザなどを買いました。そして、持ってきたファンケルの「まるごと玄米緑茶」を飲みながら「あ〜っ、満足なり〜っ!」と、幸せを覚えながら、本日の旅日記を綴ったのでした。

■ 2001/08/16 (Thu)  フィッシュ&チップス
☆昨日泊まったモーテルがとても寒かったために、どうやら風邪を引いてしまったようです。ハックション! いちおう、暖房はあったのですが、広いスペースに小さな暖房器具一つだったので・・ あ、それからモーテルのベッドには電気シーツが必ず、と言って良いほどにあります。

☆朝、チェックアウトしようとすると「はい、3,000円だよ!」とおばちゃんが言います。そこで「電話をしたよ!」と言うと「地域への電話は無料だよ!」とおばちゃん。「違うよ、日本への国際電話を数回したんだ!」とボク。そこで調べてもらいました。「この番号か?」とおばちゃん。その番号を拾い出して合計すると、何と宿泊代を超えてしまいました。余談ですが、国土面積が日本の70%で、人口が380万人程度のこの国の通信システムはとてもすぐれており、家庭からの市内電話は無料です。だからこの国はインターネット天国なのです。つまりは過疎地域が多いために、通信システムの整備が整えられてきたのです。

☆さて、悪戦苦闘の末に、昨夜、ようやくローミングサービスへの接続に成功しました。やはり問題はモデムでした。NECの[ISDN ターミナルアダプタ]を組み込んだ際に、パソコンがそちらのモデムを優先的にアクセスしようとしてしまうのです。そのモデムの設定変更が面倒で、試行錯誤の末に解決しました。何てことはありませんでした。プロバイダが提携しているローミングサービスの「元締め」会社である[GRIC]の画面内でできました。そこまでたどり着くまでに試行錯誤だったのです。と、今度はメールの送信ができません。要するに[GRIC]ご指定のタイトルでは送信できないのです。そこで、やむなく国際電話による接続でプロバイダに「至急、アドヴァイスをお願いします!」とのメールを送信しました。返事が来て、「春先から不調」とのこと。そういえば、そんな連絡が来てたっけ! でも、夏までには解決するだろう・・ 程度に軽く考えていたのです。でも、未だに不調、とのことで、プロバイダが一時的に設定しているタイトルを教えてもらい、それで設定し直すと、ようやく送信可能となりました。やれやれ、です。昨年のオークランドでの経験が今回のトラブル解決に大きく生きているのを感じます。まさに「失敗は成功の母」です。でも、どうして「成功の父」ではないんだろう? まっ、いいか!

☆美しい海岸通を250キロほど、ひたすらに走り続けて、今夜はファカタネとギズボーンの中間にあるオポティキ(Opotiki)という小さな町のモーテルに泊まることにしました。とても新しい建物で、そのせいか3,600円ほどでした。でも、ランドリーが無料だったので、ラッキーでした! ちなみに、この国では「ランドリー」の発音では通じません。「ロォンドリー」でOKです。また、ボクの場合はインターネットへ接続する関係上、電話口が問題です。電話線が固定されているとインターネット用のジャックを差し込めませんから・・ また、この国のコネクターは日本のよりも大きいため、変換プラグを使ってラインを使用します。最初、ハミルトンのアクセスポイントにアタックしたら、きわめて速度が遅く、HPが読み込めません。そこで、ネーピアのポイントにアタックすると、今度はバッチリでした。しかも「トーン」ではなく「パルス」方式でした。この種のトラブルについては随分と慣れてきました。

☆夕方になったので、モーテルの向かいにあるテイクアウェイへ行き、この国のメジャーメニューでもある「フィッシュ&チップス」を注文しました。何とスペルは[Fish'N'Chips]ですゾ! 何でも縮めてしまうのです。要するに、ポテトと白身魚のフライです。1人分が200円ですが、3人分の分量があります。それを何枚もの新聞紙で包むのです。それだけ油が多いってことです。ボクは白身魚の中身だけを取り出して食べましたが・・ このお店はマオリの親子が経営していました。この地域はロトルアに近いせいか、マオリの人たちを多く見かけます。そんなこんなで日が暮れてゆきました。あ、ニュージーランドは日本より3時間進んでいます。

■ 2001/08/17 (Fri)  キョゥラ!
☆朝に、9月にクライストチャーチ(CHC)にやって来るゼミ生からのメールによる照会事項に返事を送り、ひとやのモーテルを後にして本当に美しい海岸線をひらすらに走り続け、夕方にギズボーン(Gisborne)までやってきました。今日一日だけで400キロ近くを走破しました。山道半分の激しいアップダウンやカーブの連続の400キロでしたから、少し疲れました。午前10時から走り始めて、休憩を挟みつつ、ギズボーンに夕方の4時半頃に着きました。「早くモーテルを確保せねば・・」と焦りましたが、不思議なことに国道沿いには見あたりません。そこでガソリンスタンドで給油しながら聞きました(この国ではガソリンではなく「ペットロールスタンド」と言います。ちなみにリッターあたり52円ほどです)。モーテルはだいたいにおいて主要道路沿いに密集しているのですが、ここでは市内道路沿いにありました。最初に部屋を見たモーテルは最新設備で4,000円ほど。次には3,250円ほどのモーテルでした。当然、安い方に決めました。夜になると探すのが余計に難しいので、ホッとしました。各地のモーテルをみていると、だいたいにおいて、ボクより遅くやってきて、朝8時過ぎには出てゆきます。もちろん、モーテルですから車でやってきます。この国の人たちは朝が早いのです。朝の8時過ぎにはお店が開いていますから・・ その分だけ、金曜日の夜は夜更かしさんが多いみたいですが・・

☆ところで、ボクがモーテル探しに焦った理由は、何と言っても「紫外線」です。この国の日没前の夕陽の紫外線の強さは、これはもう体験した人以外には説明が困難です。ギラギラと輝く夕陽に向かうと、信号などはまるで見えないのです。前方の車はかすかに見える程度です。逆に夕陽を背にすると、誇張ではなく、後方の車の姿は全くと言って良いほどに見えないのです。それほど強烈なのです。ボクも一度、これで追突されかかったことがあります。要するにフロンガス放出による「オゾン層の破壊」の問題です。ちょうど、南極の上の方がポッカリと空いているのです。これが埋まるまでには数十年あまりを要すると言われています。もう十年余り前から紫外線の問題がクローズアップされています。皮膚ガンや目のガンへの罹患問題が深刻化しています。実は、日本も札幌の上空あたりが空いている、との情報もありますが・・

☆海岸線の途中にマオリの人たちの集落がありました。そこで集会場を意味するマラエ(Marae)に立ち寄ると、「アロ〜ハ」と同じような意味を持つ「キョゥラ!」と言いながら一人の男性がやってきて、アレコレと説明をしてくれました。この周辺地域はマオリの人たちでいっぱいでした。そのマラエには診療所があり、今から巡回医師がやってくる、とのことでした。この国の田舎では、キリスト教会だって「今日は長老派の巡回牧師が、来週はルーテル派の・・」といった場合もあるのです。会堂も一つ、会衆も同じです。ときには「メソジスト&アングリカン合同教会」といったケースさえもあるのです。日本ではあまり考えられないスタイルですが、実はこれはとても素晴らしいシステムなのです。ボクは「エノホラ!」と言ってサヨナラをしました。この場合、見送る相手側は「ハイレラ」となります。さて、午後に例のごとくにシャワーが降り、その後に、まるで手に届くかのようなところに美しい虹が出ました。でも、いくらノンビリと走ってはいても、時速70〜80キロですので、風景を楽しむ、といった余裕はありません。今日もいったい何十台の車に追い越してもらったことか・・ この国で何度かコワイ思いをして以来、ひたすら安全運転に心がけているのです。

☆モーテルに荷物を下ろし、近くのスーパーにお買い物です。ここ数年で、スーパーの開店時間が延長されてきたため、とても助かります。それまでは夕方の6時頃には閉まってしまいました。さらには、土曜日は半日で、日曜日は閉店が圧倒的だったので・・ さて、夕食に冷凍ピザを買いました。電子レンジで食べようと思ったのです。一人用のピザが5個で250円ほど、とのことで買いました。無知というのは恐ろしいもので、電子レンジの温度調節がうまくゆかずに失敗の連続で、4個目にやっとうまくゆきました。したがって、2個だけ食べることが出来ました。お気に入りの「ピザハット」もあったのだけれど、無事にモーテルまで戻ってこられるかどうか不安だったので断念しました。

☆あすはネーピアへ行くか、タウポに向かうか、それともロトルアか、『オジサン旅ガラス』は、ただいま思案中なのであります。

■ 2001/08/18 (Sat)  モーテル想い出あれこれ
☆やわらかな陽ざしが降り注ぐ冬晴れの中、ネーピア(Napier)を抜けてヘイスティングス(Hastings)までやって来ました。このルートは数年前に一度、通った筈なのに、あまり覚えていません。やはり今日もアップダウンの連続でした。途中で、何度か牛たちの移動のために一時停車でした。お牛サマの行列が優先でしたので・・ トータルで1,000キロの走行距離となりました。

☆8年ぶりに訪れた海岸線が美しいネーピアは、相変わらず活気がある美しい町並みでした。以前、泊まったことのあるモーテル近くの海岸線で降りて、海に向かって大きく息をしました。澄んだ大気をいっぱいに吸い込んで心が落ち着きました。海岸線を抜け、ネーピアから20キロほど離れた場所にあるギズボーンでモーテルを探しました。しかし適当なモーテルがなかなか見つからずに街中を走り回りました。お陰で町の様子がよく分かりました。結局、ネーピアとの中間にある、古いタイプのモーテルに泊まることにしました。2,800円ほどでした。

☆ところで、今朝もモーテルを出る際に「インターネットに接続するために昨夜、何度かネーピアまで電話をしたのだけれど・・」と言って精算してもらいました。いつも自分から言い出さなくてはなりません。宿泊代金も、ほとんどのモーテルが後払いです。だから深夜か早朝に、勝手に出発してしまえばそれまでです。ほとんどのモーテルは平屋立てて、部屋の前に車を止めるスタイルが一般的だから・・ こんなところもボクがこの国を好きになった理由の一つなのです。あるとき、ハミルトンとケンブリッジの中間ほどにあるモーテルに泊まろうとしました。そのときは、すでに別のモーテルに電話予約をしてありました。そのことを話すと、おばちゃんがボクに言いました。「ちゃんと電話をして、そのモーテルを断ったら泊めてあげるから・・」と。古いタイプのモーテルだったけれど、それ以来、そのモーテルはボクのお気に入りになりました。そして、いつも塩素の臭いが漂うスパバスにゆったりと浸かりました。しかし、数年後には経営者が変わってしまいました。モーテルの売買は結構、多いのです。今日も一件、そうした広告を見かけました。一人でもできるビジネスだけれど、基本的に年中無休だから・・ 昨日のモーテルも9部屋で4部屋のみが埋まりました。

☆1997年だったと思うけれど、パーマストンノースから車で20分ほど離れた場所に、ウッドビルという田舎町があります。その町の外れにポッンと建てられてあったモーテルに4泊したことがありました。ボクがアドヴァイスをして、一年間、ニュージーランドにやって来た人がその場所でベビーシッターの仕事を見つけたため、パーマストンノースに用事があったボクが、ついでにその人の様子を見に来たのです。いちおう、責任があるので・・ その小さなモーテルは親子三人で運営していました。息子は知的制約者でした。「この子の自立のために、このモーテルを運営することにした・・」と父親はボクに語りました。そんなこともあって、4泊もしてしまったのです。お陰で、かなり険しい道を毎日、パーマストンノースまで通わなくてはならなかったけれど・・ あの親子はどうなったかなぁ・・

☆あすは日曜日です。教会の集会に行けると良いのだけれど・・

■ 2001/08/19 (Sun)  ツゥランギにて...
☆タウポを抜けてツゥランギという保養地までやって来ました。走行距離は1,200qとなりました。今は冬の終わりの時期なので、ツゥランギもまさに閑散、といった雰囲気です。たいていは、ここからトンガリロ国立公園へと向かいます。この国立公園地帯はかなりの高地です。公園内のルアペフ山も雪に覆われています。数年前に火山が爆発して、スキー場が閉鎖されたこともありました。二年前にはウェリントンからニュープリマスを抜けて、この国立公園のルートを通ってツゥランギまでやって来たことがあります。その逆もあります。ハミルトンからウェリントンまで列車に乗ったときも、ここを通りました。「この汽車で果たして登り切れるかしらん?」と思ったほどです。だから、もう何度も行き来しました。今夜はこのツゥランギで、気のいい老夫婦が運営しているモーテルに泊まることにしました。3,000円です。1993年12月と1998年8月にも、このすぐそばのモーテルに泊まったことがあります。近くにはツゥランギ川が流れており、見に行くと、この寒いのに何人もの人たちが釣りをしていました。何と言っても、ここは釣りの宝庫なのです。

☆ニュージーランド各地を車で旅行しながら思うことは、植林が盛んだ、ということです。かつて、牧畜のためにこの国の山林の多くを牧草地に変えてしまったために、今、それを元に戻そうとしているのです。つまりは、牧草地で羊が草を食べているような、この国を代表するかのような、のどかな風景は、実は人工的に造られたものなのです。そのことは以前、スコットランドへ行ったときに思いました。「あぁ、ここは何てニュージーランドに似ているのだろう!」って・・ そうです。歴史的には逆なのです。スコットランド地方からの移住者たちが、この国をふるさとに似せてしまったのですから・・。

☆朝、ネーピアの教会の礼拝に参加しました。少し遅れていくと、マオリのオジサンが「ウェルカム!」と言いながら満面の笑顔で右手で握手を求めてきました。しかし右手の指は全くありませんでした。そこで両手で包み込むようにして握手をしました。「ハンセン病かなぁ?」とフト思いましたが、顔を見るとそんな感じでもありません。おそらくは先天的なものでしょう。「こうした人のことをセルフイメージが健全な人と言うのだろうなぁ・・」と感心しながら思ってしまいました。今日も一つ、人間としての《良き在り方》を学びました。

☆懐かしのタウポに立ち寄り、少し散策しました。「ここに来ると琵琶湖を思い出すなぁ・・」と考えながら「あれっ、本当は逆だったのに・・」と思い直しました。それだけ普段から琵琶湖を見つけ続けている、ということでしょうか。タウポ湖はこの国で最大の湖です。しかも琵琶湖と同じくらいの大きさだったと思います。このタウポと箱根とは姉妹都市です。おそらくは保養地+芦ノ湖との関連でしょうが・・ まちなかにある、この国でメジャーなファミリースーパーである「ファーマーズ」で、700円ほどのジャージを買いました。Sサイズなのにボクには大きく、そこでモーテルで洗濯して乾燥機にかけると、グッと小さくなりました。乾燥機ではいつも失敗ばかりですが、今回の場合は大成功でした。今、さっそく着用しています。とてもフィットしています。この国も中国製品が圧倒的です。もちろん、このジャージも。

☆夕方に、近くの「ニューワールド」という、やはりこの国ではメジャーなスーパーで、冷凍チャーハンを買いました。電子レンジを使ってうまく調理が出来るでしょうか・・ お楽しみです。それとミカンを買いました。この国では、自分で選びながら好きなだけ買うことが出来ます。日本で売っても無理だろうなぁ、と思えるほどのワイルドな味がします。でも、だからボクはこの国が好きなのであります!

■ 2001/08/20 (Mon)  ABBA(アバ) in Rotorua
☆降雨の中、ツゥランギからタウポ湖の西岸側の山道を抜けてトコロアまで出ました。トコロアの「ウェハウス」というディスカウントストアで[ABBA(アバ)]のCDを2枚買いました。1,000円ほどで買えました。1ヶ月ほど前に、NHKの衛星放送でアバの特集を見て以来、はまってしまい、「よ〜し、ニュージーランドでアバのCDを買うぞ〜ッ!」と心に決めていたのです。要するに、一世を風靡したディスコ・サウンズです。今、これをパソコンで聴きながら、この文章を書き綴っています。軽快なリズムを聴くと、何だか元気が出てきました。以前も、ここでクリスマスソングのCDを何枚も買ったことがあります。建物全体が赤く塗られている「ウェハウス」はニュージーランド各地にあります。スタッフの服装も赤です。品質的にかなり怪しげな物もありますが、とにかく安いのです。大半は輸入品です。昼食にマックでコンボを食べました。セットで210円ほどでした。コーラとポテトに、何とチーズバーガーが2個ついていました。これが月曜日メニューだそうです。

☆トコロアから30分ほどで、懐かしのロトルアに入り、さっそく期待していたB&Bへ行きました。日本人が経営していて、温泉も付いている、とのことでしたので・・ いかにもテキパキといった感じの日本人女性が出てきて「どうぞお泊まり下さい!」とは逆の雰囲気で対応するのです。欲がない、と言えばそうですが、こちらとしては泊まろうとして行ったのに・・ でも、何れにせよ部屋に電話がセットされておらず、これでは部屋からインターネット接続は不可能でしたので、断念しました。また、その近くに日本食レストランがあったのですが、これも4月に閉鎖したとのこと。その後、モーテル経営に転向した、とのことでした。今度も親切に地図を示しながら「そちらにお泊まりになられたら?」と言ってくれるのです。不思議な感じでした。そこでそこまで行くと、何と、以前よく泊まっていたモーテルでした。ここで1996年のアトランタオリンピックの「自分を褒めてあげたい・・」のマラソンに熱中したのです。温水プールでも泳ぎました。洗濯をすると「この部屋で干して乾燥させると早く乾くから・・」と、ニュージーランド女性の典型的のようなスタイルと笑顔のおばちゃんがボクの洗濯物を干してくれました。「ポリネシアン・スパへ行く」と言うと「このタオルを使うといいよ・・」と部屋にあるタオルとは別のタオルを貸してくれました。そのモーテルを買い取ったのでした。あの気のいい夫婦はどうしたのかなぁ・・

☆そこで、インフォメーションセンターへ行き、「以前泊まったときに、割り引きのモーテルを紹介してもらったのだけれど・・」と告げると「今はない・・」とのこと。そこで、そのモーテルに出掛けて「4泊するので、以前のように割り引きしてくれないか・・」と言うと「それじゃ、1泊2,500円でどうだ!」とおばちゃん。もちろんOKでした。最新のキレイなモーテルで、キッチンや電子レンジはないけれど、もちろんポットや冷蔵庫はあります。バッチリでした。先のB&Bで「ロトルアは硫黄のせいで、電気器具の故障が多くて、パソコンもよく壊れる。だからモーテルでも接続できたり、できなかったりのようですよ!」と聞かされていたため、「インターネットへの接続はできるかなぁ?」と聞くと、やはり「接続できたり、できなかったりのようだよ・・」とおばちゃん。「じゃ、試してみていいかい?」「いいよ」。そこでお試し接続をしました。その間、おばちゃんはジッとボクとパソコンを見ていました。日本語の画面がよほど珍しかったようです。結果は無事、接続できました。

☆車から荷物を下ろし、例のごとくポリネシアンスパ(硫黄温泉)へ行きました。プライベートスパは30分で500円です。時間が来ると、ドアの外からスタッフが「時間だよ〜っ!」とノックをして知らせてくれます。浴槽は直径2メートルほどの大きさで、深さが1メートルほどもある風呂です。天井などはないので、夜には満天の星を眺めることが出来ます。むろん、したがって雨天の日には雨中温泉となりますが・・ 温度調節が自分で出来るのでとても快適なのです。ここにはたぶん、もう100回以上は来たような気がします。ボクが以前、住んでいたハミルトンからロトルアまでは100qほどの距離なのですが、温泉に浸かりたい一心で、しばしば通ったものでした。その後も、ほとんど毎年、温泉に浸かりに来ています。温泉の後は、これもお定まりのキーゥイ・フルーツジュースです。100%の搾りたてなので、とてもオイシイです。

☆帰りに「パックン・セーブ(PACK'N SAVE)」というスーパーマーケットでお買い物をしました。要するに、パックする袋が無いのです。それをもらうと5円ほど加算されます。それでパックン・セーブと言うのです。これも全国展開の大規模スーパーです。あすはファカレワレワでマオリコンサートを観た後に、[IHC]のロトルア支部へ行きます。今日も行って用件を伝えました。[IHC]でいつも感心するのは、窓口対応のスタッフが当事者本人である、といった点です。何とかマオリの人の「分かち合い支援」の家庭を訪問したいのです。前回は、やはり3日間いましたが、本の執筆資料を得るために、ずいぶんとアチコチの学校やら福祉支援機関などを訪問したため、日程的に無理だったのです。今回は仕事の要素はチョッピリのブラブラ旅行のため、とてもリラックスしながら過ごすことが出来ます。今日も感謝の一日でした。【走行距離1,400q】

■ 2001/08/21 (Tue)  姉妹都市交流
☆昨日朝にメールを開くと、個人的に親しい関係にある、ボクのふるさと(網走郡美幌町)の町長からメールが入っていました。今度、町が関わる重症心身障害児施設への地域支援の在り方に関するアドバイスをボクに求めてきたのです。実は、数日前にも美幌の中高生たちが姉妹都市であるケンブリッジにホームステイで交流に来ていたのです。姉妹都市提携に至るまでには数多くの困難がありましたが、すでに軌道に乗った今では、ボクはもうあまり余計な関わりはしない方が良い、と心しているので、今回のニュージーランド訪問も美幌には知らせていなかったのです。自分が流した涙の数と量は、神様だけが知っておられるだけで充分、と考えるようにしていますので・・ それほど辛い経験をいっぱいしたのです。でも、当時、地元の新聞社の社長であった現・美幌町長がボクの無手勝流的なアタックを、その新聞紙上で全面的にサポートしてくれ、実際に仲間たちとケンブリッジも訪問してくれ、帰国後直ちに「美幌=ニュージーランド友好協会」を設立して姉妹都市交流への道を整えてくれたのです。混沌とした状態の中でのこうした友情は決して忘れるものではありません。ふるさと美幌は良き首長を有していると思います。さっそく昨夜、ボクの考えを返信しました。

☆ところで、ケンブリッジ側で美幌との姉妹都市交流に大きな役割を果たしたのがマーレィ・マックスウェルさんでした。やはり大きな役割を果たしてくれたゲイルおばさんと共に、ボクのかけがえのない友人となりました。ゲイルさんは、調印式の時にボクが美幌へ招待しました。またマーレィはすでに家族と共に4度も美幌を訪れてくれました。その大半は自費でした。広域行政を採用しているケンブリッジはワイパ地区の中に含まれているため、国際交流資金などないのです。だからボクが「ラブリーファンド」という交流基金を設立したのです。二人とも、誠実で信頼の置ける人物です。昨夜、マーレィに「今週の金曜日にケンブリッジを訪問するから・・」とメールを打ちました。さっそくに返事が来て、「それでは午後に何人かでティータイムを持とう・・」とのことでした。

☆ファカレワレワでお昼から行われるマオリコンサートを観ました。二年前と、スッカリと代替わりをしてしまい、あまり質の高い内容ではありませんでした。ビデオが販売されていますが、その当時の人たちが最高でした。このコンサートも、もう50回以上は観たのではないかと思います。地域の小学校の子どもたちが30名ほど来ていました。この国の博物館はどこも充実の一字ですが、とりわけこの国の先住民族であるマオリ民族に関する資料展示が充実しているのを感じます。そして、オークランドも、ウェリントンもクライストチャーチの博物館も、平日には必ずと言って良いほどに学校の児童・生徒たちが来て、熱心に学習に励んでいます。日本ではアイヌ民族に対する学習はお寒いかぎりです。あろうことか、最近でも閣僚や閣僚経験者(彼の地盤は北海道)が「アイヌ民族は同化された」「日本は単一民族国家だ」などと放言したりしているのですから、情けない限りです。

☆[IHC]のオフィスへ行き、夕方「分かち合い支援」を行っている家庭を訪問しました。車があると便利です。あさって、再び訪問します。二年前に訪問した学校近くの家だったため、容易に分かりました。ロトルアは湖や山があるため、比較的分かり易いです。夕方にモーテルに戻り、ポリネシアン・スパへ行き、温泉にユッタリと浸かりました。そのせいで、昨夜はグッスリでした。だから、たぶん、今夜もまた・・ 今日も感謝のひとひでした。

■ 2001/08/22 (Wed)  アクシデント
☆朝9時に[IHC]のオフイスへ行き、あすのグループホーム訪問の時間を教えてもらい、その建物内にあるワークショップ(作業所)を見学しました。スタッフが丁寧に作業内容を教えてくれました。その後、ファカレワレワの近くにあるワイアリキイ・ポリテクニック(Waiariki Institute of Technology)へ行きました。機能制約状態を有する学生への支援スタッフに会うためです。この国の高等教育機関には、こうした専門スタッフが(たぶん)必ず配備されています。ただ、フルタイムではなく、パートタイム・スタッフが大半ですが・・ このポリテクニックには200名を超える当事者学生が在籍している、とのことでした。1時間余り話し合いました。さすがに専門スタッフだけあってか、こちらの語学力に合わせて分かり易く話してくれました。元々が語学力のない自分ですが、年々、そのパワーが低下してゆくのを感じます。相手の話を懸命に聴こうとするので、ひどく疲れを覚え、次第に眠くなってきてしまうのです。もっとも、それは暖房のせいかもしれませんが・・

☆ポリテクニックを後にし、示された住所を地図で調べ、あす訪問するグループホームまで行ってみました。ロトルアを訪れた当初は何度も迷いましたが、そのせいで今では随分と詳しくなりました。グループホームの場所を確認し、ロトルア湖のそばにあるピザハットへ行き、ランチを食べました。11時半から1時半までは450円ほどでピザやデザートが食べ放題なのです。タップリ食べました。だからニュージーランドから戻ると、いつも数キロ体重が増えてしまうのです。お腹がふくれたので、二年前に訪問したことのある特別学校(Kea Street Specialist School)へ行き、相変わらず気さくな校長と再会しました。二年前は、連日、必死になって各学校や福祉支援機関を訪問しましたが、今回はノンビリです。ロトルアを訪れる日本人観光客は多いと思いますが、ボクがこうして訪れてきた場所とは無関係の筈です。レインボー・スプリングスでニジマスを観て、アグロドームで羊の毛刈りショーを観て、宿泊先のホテルでショーアップされたマオリコンサートを観て、温泉に入ってサヨナラ、だからです。

☆30分ほどで特別学校を離れ、ロトルア湖を一周しました。1時間ほどで戻ってくることができました。途中で「アクシデント」の標識があり、何だろう、と徐行すると、ほとんど原形をとどめないまでに焼け焦げた大型トラックを道ばたに見かけました。思わずゾッとしました。事故処理のパトカーが何台も止まっていました。そういえば、今回はやたらとパトカーを見かけます。今朝もモーテルから出ようとすると、サイレンを鳴らして車をストップさせていました。この国は世界有数の事故率です。その内の3回はボクだったけれど・・ これまでレンタカーを3台も壊してしまいました。せめて、あと10キロでいいから制限速度を落としてほしいなぁ! 交差点のロータリーは、もうかなりスムーズに回れるようになったし、踏切でも一時停車しないようにもなりました。この国では踏切で一時停車をすると、追突事故に遭います。でも、いまだに「右折優先」には感覚的に慣れません。どうしても左折優先で体が反応してしまうからです。

☆モーテルに戻り、洗濯機と乾燥機が回っている合間に何通かハガキを書き、紫外線が治まった夕方に温泉へと出掛けました。ユッタリと硫黄温泉に浸かると、心の底から幸せ感を覚えました。温泉の後に日本食レストランへ行き、サーモンのホイール焼きに、ご飯とみそ汁で夕食を摂りました。魚が美味しくて、値段も安いので嬉しい限りです。レジを見ていると、やはりお茶一杯を50円でカウントしていました。かつて、ノルウェーの日本食レストランで初めて経験したときには「どうしてお茶なんかを食事代に加算するのかなぁ?」と思ったものでした。かくのごとく、外国では日本茶も無料ではないのですゾ!【走行距離 1,600q】

■ 2001/08/23 (Thu)  雨中温泉
◎朝、郵便局へ行き、ハガキと小包を送りました。クレジットカードで支払うことが出来るので、とても便利です。この国の郵政事業は、とうの昔に民営化されているため、郵便局も日本のようなイメージではありません。まるで本屋さんのような感じです。ここもショッピングモールの中にあります。むろん、日曜日もオープンです。このモールは、かつてロトルア駅があったところです。10年前には、すでに閉鎖された駅舎だけが残存していました。その跡地にとても近代的なショッピングモールが造られたのです。ちなみに、現在のロトルア駅は中心街からかなり離れた場所にあります。駅舎なんてものはなく、線路脇がそのまま乗車口ですから、まぁここから汽車に乗るなんて事は、とてもイメージできないと思います。以前、ここからハミルトンまで「お試し乗車」をしてみたことがあります。要するに、この国では移動手段は飛行機か車かバスなのです。汽車は、ほとんど貨物専用なのです。

◎ロトルア湖のランチクルーズに乗船しようと張り切って出掛けたら「今日はメンテナンスでお休みです!」と、ひょうきんなオジサンが申し訳なさそうな顔ではなく、破顔一笑でボクに告げました。「あしたはモーニングクルーズもあるからさぁ・・」とも言ってましたが、あすはもうケンブリッジへご出発です。だから又の機会をお楽しみに、ってとこです。しかたないので、昨日に続いてピザハットでランチのやけ食いをしてしまいました。その後、モーテルへ戻り、読み終えた文庫本を持ってロトルア図書館へと出掛けました。いつも100円で購入した10数冊の古本を持ってきて、読み終えた後は地域の図書館に寄贈してしまうのです。その分だけ荷物が軽くなるので・・ これまで50冊あまり、各地の図書館へ寄贈しました。でも、さすがにロトルアの図書館です。二階部分は全てマオリ関係の書籍や資料が並べられていました。図書館を出て、よく絵葉書に登場するチューダーハウスへ行きました。昔はバスハウスと言って、温泉療法が行われたところです。今でも、その近くにクィーンエリザベス病院があります。昔、友人のゲイルさんが足の手術でこの病院に入院したときにお見舞いに訪れたこともありました。チューダーハウスはこれまで何度も行きましたが、最初に行ったときは自由寄付だったのに、今回は400円ほどの入館料が必要でした。その分だけ展示資料が充実していました。もちろん、全てがマオリ関連です。

◎ブリスベン行きの予約の再確認をしようと思い、チケットを購入したバジョット・トラベルへ行き、出発便の時刻確認をしてもらいました。その後、インフォメーションセンターで、カンタス航空のフリーダイヤルの番号を教えてもらい、モーテルに戻って電話をしました。懸命にアナウンスのテープ音声を聞き取りながら指定ダイヤルをプッシュし、何度めかのプッシュで予約の再確認のところまでたどり着くと「カンタスは予約の再確認は不要です。出発時刻を確かめてください・・」のテープ音声が流れました。まぁ結果オーライですが・・ 以前はオペレーターが出て対応してくれたのに! エアーパシフィック航空は、こちらが日本人だと分かると「コンニチワ!」などと電話口で言ってくれたこともありました。どこまでも明るいフィジー人です。カンタス航空もオフィスへ行くと、まぁ楽しい対応をしてくれます。ちなみに、発音は「クゥオンタス」となります。それがJALになると、取り澄ましたような対応となります。JALはボクにはどうも合わないなぁ・・

◎夕方にマオリ人スタッフのいるグループホームと、『分かち合い支援』を行っているマオリ人家庭を訪問しました。行く前までは、何だか熱っぽくて億劫だったけれど、現場に行き、当事者本人やスタッフと交わると、途端に元気が出てきました。やっぱり現場は生きているなぁ、とつくづく感じました。そして、ついに今夜は大粒の雨の中での温泉となりました。そのため、ハンドタオルを頭に乗せながらの入浴を楽しみました。好きだなぁ、こんな体験って!

■ 2001/08/24 (Fri)  懐かしのケンブリッジにて
◎ロトルアから寄り道をしながら懐かしのハミルトンへとやって来ました。ワイカト大学構内にある、ボクが住んでいた家もそのままでした。関係の深かったハイスクール内の特別ユニットへも行き、スタッフたちと交わりました。その後、郊外のショッピングセンター内の旅行代理店へ挨拶に行き、再び大学構内の銀行へと戻りました。「もうそろそろニュージーランド銀行の自分の口座を閉じようかなぁ・・」と考えたからです。しかし大学内の支店は既に閉鎖されていました。あ、ら、らっ、といった感じでした。

◎もう何百回となく通い慣れた道を走って、ハミルトンからケンブリッジに戻ってきました。この国を代表するかのような清楚で美しい街であるケンブリッジは、ボクのふるさと(北海道網走郡美幌町)と姉妹都市だからです。さっそくに今後、利用させてもらう予定の旅行代理店へ挨拶に行きました。ケンブリッジの方が何かと便利だからです。そして、郵便局から荷物を送った後に、これもケンブリッジでの定宿のモーテルへ入り、約束の3時半に役所へ行くと、何と10名あまりの関係者たちがボクを待っていてくれました。地域評議会の議長や議員、姉妹都市委員会のメンバーたち、昨年、ボクが設立した交流基金によって美幌を訪問してくれた人たち、それに役所の関係スタッフたちでした。「ジョン・ヒューイット首長も来たいと言っていたけど、公務が入って・・」とマーレィがボクに告げました。半数以上は旧知の仲でしたので、ティーやクッキーをつまみながら、リラックスして語り合うことが出来ました。タラナキおばさんたちとは、1997年秋に美幌で行われた姉妹都市調印の際に、成田空港での出迎えから美幌、そして関空での見送りまで、一週間もビッシリ一緒でした。美幌の宿舎では、寝間着の着方から、布団の敷き方まで教えました。また、美幌で訪問団全員で『峠の湯』という温泉に行くと、タラナキおばさんらは、恥ずかしさでバスタオルを全身に巻いて入り、それでも10分ほどで出てきてしまった、などと大笑いのひとときもありました。友人のマーレィとは2年ぶりでした。パット・アレン議長とは6年ぶりでした。随分と年を取っていました。懐かしい顔を見ると、過去10年あまりに起こった数々の出来事や苦労など、吹き飛んでしまいました。「ホスピタリティ」という言葉がありますが、ケンブリッジ側のこうした温かな人たちに囲まれていたからこそ、困難な取り組みが成し遂げられたのだなぁ、と改めて思い、胸が熱くなりました。本当に最初はボクひとりだけの胸の中にあった姉妹都市交流への小さな夢が、10年余り経って、こうして大きく花開いたのです。美幌側も、毎年、訪問団をケンブリッジに派遣し、人口25,000人を切るような小さな町で、ケンブリッジを訪問した人は、すでに300名あまりを数えます。予算が付いたので、ケンブリッジからも、隔年で必ず美幌への訪問団を派遣する、とのことでした。感謝のひとこと、です。

◎夕方に役所のスタッフのウェンデイがモーテルに車で迎えに来てくれてレストランに行きました。そこで美幌訪問の際のアルバムを持ってきたタラナキおばさんや、マーレィの連れ合いのロビンおばさん、娘のアリーシィアら9人で、3時間にも及ぶ食事を楽しみました。昔はよくボクに抱きついてくるような甘えん坊さんだったアリーシィアも、この二年ほどで随分とレディーらしくなってきました。皆、ボクのために集まってくれたのです。金曜日の夜ということもあってか、レストランもとても賑わっていました。また、小さな街のせいか、お互いが知り合いの人同士も多く、とても和やかな雰囲気でした。

◎楽しく談笑しながらの食事の後に、タラナキおばさんが「楽しんだかい?」と訊ねたので「もちろんさ、だってケンブリッジはボクのふるさとだから!」と言うと「そうだよ、マサハル。ここはお前さんのふるさとだよ!」と言葉を返してくれました。他の人たちも目で頷いていました。何てあったかい人たちなんだろう、とみんなの優しさが胸に迫りました。南半球の遠い異国の地にポッンと独りで来ていても、ここにはボクを心から歓迎してくれる人たちが確かにいるのです。こうして世界中に姉妹都市交流の輪を広げてゆけば、戦争なんて起こる筈などないのです。ボクが8年半前に最初に蒔いた小さな種が、徐々に大きくなりつつあります。やっぱりボクはこんな人たちのいるニュージーランドが大好きなんだなぁ、と心から思った夜でした。ありがとうケンブリッジ! そして来年までサヨウナラ !!

■ 2001/08/25 (Sat)  トカヌイ→テ・アロハ→プケコヘ
◎やっぱり花粉症のようです。クシャミが出て、目がかゆいです。昨夜のモーテルは柔らかいベッドだったせいか、あまり眠れず、早朝に目が覚めてしまいました。そのため、8時半にはモーテルを後にし、「トカヌイホスピタル」の跡地へと出掛けました。ケンブリッジから50qほどバックします。1999年3月に閉鎖された、このコロニーの建物群はまだそのまま残存していました。このコロニーへは、1993年以来、毎年のように訪問しながら閉鎖のプロセスをモニターしてきたのです。

◎どうしても懐かしのテ・アロハ(Te Aroha)を通ってオークランド方面へ向かいたかったので、遠回りとなりました。むかし、ドライブでよく通ったのです。ちなみに「テ・アロハ」とは、マオリ語で「愛」の意味です。太陽がサンサンと出たり、激しい雨となったりを繰り返し、かつ眠気を我慢しつつ、ひたすら300qほどを走り続け、オークランド郊外のプケコヘ(Pukekohe)までやって来ました。むかしメリーとマイケルを預けた場所の近くです。あのとき(1994年8月)には、週末になると毎週のようにハミルトンから車を走らせてメリーとマイケルに会いにやって来たものでした。それから半年後に2頭とも病気で死んでしまい、埋葬してくれたそうです。その手紙を読んだとき、ひどく落胆してしまいました。

◎モーテルがなかなか見つからずに苦労しましたが、ようやく見つけました。3つのモーテルが固まっていました。今夜の宿は3,500円の古いタイプのモーテルです。それでも内装はキチンと整えられていました。但し、電話口は固定式で、モジュラージャックの差し替え口がありませんでした。するとホストのオッチャンが電話線の出口をドライバーで開けてジャックを出してくれました。しかし、大きさの関係で日本で買った変換プラグがセットできず、スペアで持ってきた小さめのプラグ(昨年、オークランドで購入したもの)を使うと何とかセットできました。やれやれ、です。そしてオークランドのアクセスポイントに接続してみたらバッチリでした。まるで金庫破りのような感覚でした。かくのごとく、この国では日本ではとても考えられないような光景にしばしば出合います。要するに「アバウト」ということです。そして、この国のそんなところが好きな自分も、相当にアバウトです。

◎洗濯物を乾燥機で乾かしている途中に、近くのスーパーへ行き、お気に入りのパンとジュースと果物を買ってきました。睡眠不足と疲れとで、今夜はたぶん、グッドスリープだと思います。明日午前中にオークランド空港でレンタカーを返し、定宿のホテルに泊まります。 【走行距離 2,120q】

■ 2001/08/26 (Sun)  ゲートウェイ・ホテルにて
◎スウェーデンでもそうでしたが、ニュージーランドでも日曜日の朝は、いくつかのチャンネルで教会の礼拝が中継されます。それをボヤ〜ッと観ながら(眺めながら)荷物の準備をして、朝8時半にモーテルを出て、約1時間でオークランド国際空港へと戻ってきました。空港近くのガソリンスタンドで満タンにしました。それがルールだからです。これまで空港近くのガソリンスタンドは3つだったのが、4つになっていました。これはいつものことですが、レンタカー会社のスタッフは「ガソリンは満タンにした?」と聞くだけで、調べもせずに「OK!」と明るく答えてオシマイでした。いつだったか、ハミルトン空港で返却した時は無人でした。だから車のキーをポストに入れてきました。ちょうど、休日の図書館へ本を返却するみたいな感じです。結局、今回の走行距離の合計は【2,170q】でした。

◎空港内で少し本を読み、到着した晩に泊まった同じホテルに電話をして迎えに来てもらいました。「10番出口で待っていて・・」との言葉を信じて待つことしばし・・ 結局、今日は40分あまりも待たされました。この国では、まぁ許せる範囲です。でも、いつになったら空港の改築工事が終わるのかなぁ・・ もうかれこれ6年ほども工事をし続けていると思うのだけれどなぁ・・

◎お昼前にはホテル(Gateway Hotel)に着いてしまったため、空港へ戻ってくる途中に位置している、ボクのお気に入りの「マヌカウ・ショッピングセンター」へ行くことにしました。タクシーで15分ほどの距離です。そこで台湾系のお店でウドンを食べました。日本のよりも甘い味です。ショッピングセンター内をブラブラし、センター内の2階にある図書館で本を読み(何と警察署もこのセンター内の同じフロアーにある)、やはり中国系のお店(スタンド)からお寿司を買って、再びタクシーでホテルへと戻りました。とても陽気な女性ドライバーはラジオから流れる音楽を聴きながら、そして楽しそうに歌いながらの運転でした。帰りが4ドルほど高かったため、「どうして?」と、彼女に尋ねると「タクシー会社によって料金が違うからさ・・」と答えました。そして端数の出た分(と言っても3ドルあまりも)をまけてくれました。ラッキー! あ、それから、この国でタクシーに乗る場合は、普通、運転席の隣に座ります。後部座席ではありません。もちろん、そんな法律があるわけではなく、単なる習慣です。ボクの場合はそのときの気分で半々です。そこで、やはり「どうして?」と聞くと「後ろだと声が聞きにくいけれど、隣にいると話しやすいから・・」とのことでした。まぁ、そう言われてみればその通りです。やはり移住者たちの運転手さんたちが多く、去年の場合は、以前、中国で外科医をしていた、という男性がドライバーでした。今日はフィジー人ドライバーでした。「以前はよくフィジーに行ったけれど、今は政情が不安定だから・・ あ、そう言えばフィジーでは昨日が選挙だったけれど、結果は?」と聞くと「あと1週間かかる!」とのことでした。どこまでもフィジーはフィジーです!

◎ホテルへ戻り、洗濯をしながらノンビリと過ごしています。このホテルはスタッフが気さくで、家庭的で静かでくつろげるため、とても好きです。ちなみに、1泊4,500円ほどです。空港周辺はだいたいがそんなものです。たいていは乗り継ぎ便との関係か、早朝出発便、もしくは深夜到着便の人たちが利用する旅行者御用達のホテルです。そんなホテルやモーテルが空港周辺に数多くあります。ボクもこれまでいくつか利用しましたが、結局、このホテルに落ち着きました。但し、部屋の電話は固定されてしまっており、昨日の要領で金庫破り(?)をしてコネクターを接続してみましたがダメでした。ちなみに、ボクと同じ事を試みた人がいるみたいな形跡でした。人間、同じ事を考えるものらしいです。そこでスタッフに尋ねると、フロント近くにコイン式のインターネット用のパソコンが2台あり、そこに別のモジュラージャックの差し込み口が2つあり、ここへ自分のパソコンを持ってきてインターネットに接続したら良い、とのことでした。したがって、もしも成功すれば、ここからこの文章をアップロードできます。できなければ後日、ブリスベンからになります。

◎無事に接続に成功しました。但し、なぜかフロント近くのジャックの調子が悪く、フロントのスタッフが「このラインと使えばよい」と、カウンターのパソコンラインを抜いてくれたので、カウンターにボクのパソコンを持ち込んでの接続となりました。何だかフロントスタッフになったような感じがして、とてもエキサイティングな体験でした!

■ 2001/08/27 (Mon)  ブリスベンにて...
◎午前10時にチェックアウトして空港へとやって来ました。あと2時間あまりでブリスベンへとフライトです。出国税の22$を払い、出国カードとオーストラリア入国カードを書き込み、パスポートコントロールを通り、待合室のロビーにある6角形のライティング・デスクで、この文章を書いています。スタンドや電源も付いているので、とても便利です。これまでもときどき、このデスクを利用してきました。しばらくホームページの更新作業に励んでいましたが、フト目を上げると、ドヤドヤと20〜30人あまりのちびっ子たちがやって来ました。要するに日本の小学生の集団です。オーストラリアのケアンズでもそうでしたが、こうなると、もう全くの日本国内です。あの子たちは、これからどこへ行くのやら・・ でも、間もなく夏休みが終わるので、たぶん帰国なのでしょうが・・ 時代は国際化へ向け、こうしてドンドンと変化してゆきます。

◎2週間ほどの滞在だったのに、アチコチへの移動が激しかったせいか、今回のニュージーランド滞在は、なぜか疲れました。まぁ、日頃からトレーニングに励んでいるため、体力そのものは充分に持ちましたが、それでも加齢と共に、年々、疲れやすくなってゆくのを感じます。しかたのないことですが・・ 来年は、やはりクライストチャーチ(CHC)かなぁ・・ マレーシア航空のチケットが取れればクアラルンプールに滞在できます。シンガポール航空でもいいな・・ カナダにも行ってみたいな・・ まったく懲りずにそんなことばかり考えています。あちこちと移動せずに、一つの場所での滞在の方が、はるかに楽です。ブリスベンのホテルはどうかな? いちおう、4っ星ホテルなのだけれど、何せ、朝食込みで4,000円あまりのホテルだから・・ この後は、ブリスベンにて綴ります。

◎無事にブリスベンに到着し、滞在先のホテルから書き込んでいます。イマイチ、接続がうまくゆかないので、続きはまた後で・・

■ 2001/08/28 (Tue)  回転寿司
◎9階の禁煙フロアーにある部屋からは、ブリスベン市内が良く見渡せます。昨夜はオークランドからの移動の疲れもあってか、リフォームされた清潔な部屋に、やや堅めの快適なキングサイズ・ベッドで、グッスリと眠ることが出来ました。日本では1万円以上はするホテルが、朝食込みで1泊4,000円ほどですから、かなりお得です。食べ放題の朝食もベリーグッド、ってとこです。これも日本では1,000円程度はします。インターネット予約、様々です。あ、昨夕、ブリスベン空港に着くと、さっそく[G' Day!]の文字にお目にかかりました。「グダイ」と発音します。ついでに、スーツケースを開けるように求められました。何か気になる形をしたものが映ったようです。係員が「時間をとらせてしまって・・」と言うので「義務ですから・・」と応えてあげました。一度は背中に赤色の服を背負ったワンちゃんに「クン、クン・・」でした。このときはフルーツの匂いがしたそうです。かくのごとく、食料品の検査は徹底しています。かつてはニュージーランドに着くと、係官が機内にやって来て、手をクロスして上に向けスプレーをシューッとまいたものでした。なぜか、7〜8年前からそうした光景にもお目にかからなくなりました。

◎但し、このホテルも良いことばかりではなく、ネット接続環境がベリーグッドではないのです。ローミングサービスのアドレス一覧には、ブリスベンのラインである[07]のアクセスポイントは数多くあるのですが、どれも接続パワーが弱いのです。そのため、HPが表示されなかったり、メールの送受信が出来なかったりの連続です。深夜早朝は大丈夫な感じです。スタッフに聞くと、夜はキッズ(子どもたち)がインターネットに接続するため、接続環境が悪い、と言っていました。それと、部屋にネット用のライン口が2コありましたが、何とそれがつながっていないのです。せっかくデスクの前に設置されてあるのに・・ この辺も、いかにもオージー(オーストラリア人の愛称。ちなみにニュージーランド人はキーゥイ)らしいなぁ、と妙に感心してしまいました。しかたないので、デスクの反対側にある電話のラインにつないでいます。念のために、日本で5b用のラインを買ってきたのですが、ブリスベンに来て、それがようやく役に立ちました。そういえば、去年もアデレードのモーテルはまるでダメでした。かろうじてメールの送受信のみが可能でした。その点、ニュージーランドの接続環境はバッチリでした。

◎市内中心部まで、徒歩で10分ほどです。例のごとく「歩け、歩け、ボクらは元気〜っ!」と、『となりのトトロ』の歌のように坂道を下りました。フェリーターミナルまでは30分ほどでした。フェリーはこの町の通勤手段でもあるのです。そのフェリーは[CityCat]という面白い単語です。川沿いの広大な植物園の外れにクィーンズランド工科大学があります。あす、機能制約学生への支援スタッフに会う約束をしてきました。カフェテリアに寄ると、車イスを利用している20歳くらいの女性がいました。そこで15分ほどインタビューをしました。医学部への進学を願って学んでいる大学3年生でした。さすが、差別禁止法がバッチシ活きているオーストラリアです。車イス利用であろうとなかろうと、いわゆる「欠格条項」などないのです! メールアドレスを教えてもらったので、つながりができました。

◎中心部のモール街に、何と「回転寿司」がありました。話には聞いていたけれど、本当でした。日本とまったく一緒です。デザート用のケーキが回ってくるところが違う程度です。値段もやや高めでした。味の方は・・ それから映画館で『猿の惑星』を観ました。料金は500円ほどで、また平日のせいか、観客も15名ほどでした。中国系のスタンドで「みそラーメン」も食べてみましたが、これは二度と結構、といった味でした。中国系の人たちのアイディアやバイタリティに脱帽、といったところです。ニュージーランドにも[SUSHI]がありますが、やはりこれと同じで、日本のスシとはかなり味が違います。

◎帰りにスーパーで果物や飲み物を買って、坂を上ってホテルへと戻ってきました。間もなく日が暮れます。

■ 2001/08/29 (Wed)  あ〜ぁ、大損だぁぁ・・ 
◎今日も「歩け、歩け」の一日でした。足が痛くなりました。早く帰ってトレーニングを再開せねば! 前日、約束した時刻にクィーンズランド工科大学(UQT)へ行きましたが、担当スタッフが病気欠勤でどうも無理のようです。あすの予約に変更してもらってホテルへ戻ると、「あすも欠勤で無理」とのメールが入っていました。残念ですが、いたしかたありません。そこで、橋を渡って博物館へと行きました。ゆったりとした展示物で心が和みました。ポカポカ陽気の中、歩き疲れたためか、ソファーで少しウトウトしてしまいました。いかん、もっと緊張をせねば! 日本人の観光客がガイドさん付きで来ていました。いいなぁ、きっとバスかなんかでサ〜ッと移動するんだろうなぁ・・ 個人旅行は自由気ままだけれど、すべて自分一人で処理しなくてはならない分だけ、何かと手間が掛かります。昔はよく、往復チケットとホテルのみがパックされてあるディスカウント・ツアーチケットを利用したものだけれど・・

◎橋を戻って、クィーンストリート・モールへ戻り、昨日とは別の店で「みそラーメン」を食べてみました。450円ほどでした。さすがに日本人の経営だけあってか、一応の味がしました。でも日本ではとても通用しない味です。いつも名神高速のパーキングエリアの食堂を使うのですが、あそこのラーメンの方がまだましです。これもいたしかたありません。何せ南半球の異国の地ですから・・ それでも、オークランドの「大黒ラーメン」は自家製の麺だそうですが・・ でもスタッフがワーホリらしいので、これも味が期待できません。世の中、ままにはなりません。

◎昨日入手した『サザンクロス・タイムス』という邦人新聞によると、毎朝5時半から30分間、前夜の7時のNHKニュースがみられる、との記事が載っていたので、さっそくTVでウォッチしてみました。本当でした。半日遅れのニュースで、まるで飛行機の機内でみているような感覚でした。これだけ日本人が始終、出入りしている地域ですから当然かもしれません。もっともその大半は、ここから約100qほど離れたゴールドコーストへの観光客たちなのですが・・ 今のところは別に行ってみたいとは思いませんが・・ たぶん、ハワイと同じような雰囲気なのだろうと予想していますが・・ ハワイは、もう二度とゴメンです。

◎5$を払ってランドリーを使った後で、フロントへ行き、電話料金をプリントアウトしてもらうと、ウワ〜ゥオ、でした。[07]エリアは全て同じ料金だ、と言った若いスタッフに騙されました。最初それを聞いたとき「何てこの国はいい国なんだろう・・」と感心したのに! みると、宿泊料金と同じくらいの通話料が加算されていました。確かにブリスベン市内への接続がどうしてもできなかったため、ここから150qほど離れた地域にあるアクセスポイントからインターネットへ接続していたのですから・・ でもそこだってブリスベン市内と同じ[07]なのに! この国のエリアコードは、一体どうなっているのかしらん? そこで、ダメモトで再度ブリスベン市内へのアクセスポイントへトライしてみると、何とこれが成功でした。あ〜ぁ、大損だぁぁ・・ あまりものショックで、本日はこれでオシマイです!

■ 2001/08/30 (Thu)  花火&フェリー
◎朝にカンタス航空のオフィスに行き、8日のフライトチケットと出発時刻の確認をした後に、タクシーで、広大なキャンパス面積を有するクィーンズランド大学へ行きました。1,000円ほどでした。そこで、支援スタッフと40分余り話をしました。良い学びができました。昨年の経験と併せて、次第にこの国のイメージが出来つつあります。ニュージーランドとは、また違うシステムであることを感じます。帰りにはフェリー(CityCat)を使いました。30人ほど乗れるフェリーボートでした。支援センターオフィスから5分ほど歩くとブリスベン川で、そこに「クィーンズランド大学」という船着き場があるのです。要するに、キャンパス内にフェリー乗り場があるのです。30分に一便の割合で出ています。右岸に停泊したり、左岸に停泊したりで、約15分ほどでモール街近くの船着き場へと戻ることが出来ました。とても面白い体験をしました。小型フェリーで通勤や通学なんて、何となくホッとする感じです。ちなみに、フェリー代は250円ほどでした。

◎昨夜10時過ぎに、ド・ド・ド・ド〜ンと音が鳴りました。何だろうと思うと、花火でした。9階の自分の部屋からみると、ブリスベン川から、まぁ、すばらしい打ち上げ花火の連続でした。最高の見物でした。反対側の部屋の人は残念でした。昨日からブリスベンで[Goodwill Games]という世界大会が開催されているのです。街には数多くのボランティアスタッフの人たちが、お揃いのユニフォームを着て歩いています。

◎ところで、昨夜、インターネットで各新聞社のニュースを開くと、何とゲートウェイ社の日本撤退の記事が各社、全てのホームページに出ていました。今朝のNHKニュースでもやっていましたので、大きなニュースだったのでしょう。とりわけ、ボクにとっては・・ だって、2年経って下取りの権利が生じたため、新製品の買い換えの時期をねらっていたからでした。つまりは、家にある液晶デスクトップ型のパソコンは、まさにゲートウェイ社のものだったからです。だから余計にショックでした。ホームページも即座に閉鎖されてしまいました。まさに電光石火のごとき早業でした。本社100%出資による日本法人の社長以下、全員が解雇だそうです。ニュージーランドやオーストラリアも同じだそうです。外資系のやることはドライというか、スゴイです。今だからこうしたオープンスペースの欄に書けるけれど、ゲートウェイ社の製品や価格には正直、満足していませんでした。しかしトレードアップ(下取り)の権利と、サポートシステムが魅力で、何度も大阪の日本橋にある(あった)ショールームに通い、その結果、ゲートウェイ社のパソコンを選んだのです。事実、最初は深夜、フリーズを起こして狼狽えてしまい、数時間、電話サポートスタッフのお世話になったこともありました。当時は通話料を含め、すべて無料だったのも魅力でした。そんなことが何度かありました。その結果、今ではフリーズを起こしても、自分で回復させることができるようになりました。でも、そうなると、あの液晶デスクトップ型パソコンはどうしよう・・ もちろん、まだ使えるのですが、USBに接続しているスキャナーやプリンターとの相性が悪く、インターネットに接続している最中にフリーズを起こしてしまうトラブルがよく起きてしまうのです。やれやれ、困ったなぁ・・

■ 2001/08/31 (Fri)  TAFE
◎8月最後の今日も、例のごとく「歩け、歩け」で、ビクトリア橋を渡り、1時間あまりで [Southbank Institute of TAFE] へとたどり着き、[Disability Officer]に会いました。ニュージーランドを含めて、すでに10名あまりの支援スタッフに会ってきましたが、初めての男性スタッフでした。[Technical And Further Education=TAFE]と略称されるこの学校は、ニュージーランドのポリテクニックと似たような種別の高等職業専門学校です。やはり知的制約者の学習コースがある、とのことで、担当スタッフを紹介されましたが、残念ながら今日は出勤日ではなかったため、電子メールでアポイントメントをとることにしました。

◎この「サウスバンク」というのは、とてもステキな場所で、川沿いにカフェが並んでいたり、ビーチを模したプールがあったり、数多くの露天商がテントを出していたりしています。そのポイントまで、ホテルから徒歩で40分あまりかかりますが、面白そうなので、週末のあすも行ってみようかと思っています。午前中は、かなり陽ざし(と言うよりも紫外線)が強くなりましたが、皮膚ガンへの心配もあり、長袖のままにして歩きました。緯度がちょうど沖縄と同じだと聞いていましたが、これから夏を迎えると、もっと陽ざしが強くなるのだろうと思い、同情します。早くオゾンホールが閉じると良いのに、と心から思います。午後になると、スコールでした。ここに来て、初めてお目に掛かる降雨でした。でも30分ほどで、再び元の陽ざしに戻りました。さすがに百万人を超える都会です。ニュージーランドの田舎のように、この程度の雨でも平気で歩くような人たちは、ほとんどいませんでした。

◎ホテルの部屋に戻り、メールを開けると、[クィーズランド工科大学(QUT)]のスタッフからメールが入っており、来週の月曜日の午後に面談の予約を入れてくれました。今朝、その旨の依頼メールを送信しておいたのです。今度は大丈夫かな? あ、工科大学、つまりは「テクノロジー」といっても、別に工学系学科のみではなく、「ソーシャルサービス学科」もあります。

◎数時間あまりの「歩け、歩け」の連続で、ひどく疲れてしまい、1時間余りウトウトしました。その後、2時間あまり経ち、画面をみると、何とインターネットに接続したままの状態でした! 「うわ〜っ大変!」とばかりに狼狽えましたが、幸い、30分間操作がない場合には自然切断をする設定をしてありましたので、ホッとしました。ちなみに、30分間の接続で、ちょうど1$(70円)です。やはり市内接続は断然安いです! そんなこんなで、今日も夕暮れを迎えつつあります。あすから9月です。南半球は、本格的な春の到来です!

■ 2001/09/01 (Sat)  駆逐艦&パフォーマンス
◎朝からサウスバンクへと出掛けました。そのはずれにある海軍博物館へ行き、太平洋戦争で活躍したオーストラリア軍の駆逐艦内部を1時間あまりかけて、ジックリと見学してきました。駆逐艦そのものがドックに展示されてあるのです。その駆逐艦内部にさまざまな展示物があり、その中には日本軍の降伏文書への署名や、その様子を写した写真なども展示されてありました。ちょうど堀栄三著『大本営参謀の情報戦記』(文春文庫)を熱心に読み進めていたため、強い関心を持って駆逐艦内部を見学しました。この本の中にも、著者が情報参謀としてフィリピンにいた当時に、ブリスベンからの飛行ルートを追跡していた、との記載があり、驚きました。戦争は無駄な浪費の代表です。人の命をも浪費させます。そうしたことを改めて思い知らされました。

◎サウスバンクの川沿いでは、いわゆる「大道芸人」たちのパフォーマンスがアチコチで行われていました。デンマークにいた時はアンデス音楽のパフォーマンスをみました。その後、ストックホルムへ行くと、そこでも同じグループのパフォーマンスに出合いました。彼らのパフォーマンスは本当にユーモアタップリで、飽きさせません。近くの会場で、ビーチバレーの国際大会が行われていましたが、チケットはすべて売り切れでした。

◎モール街へ戻り、フードショップでカツカレーを食べました。350円ほどです。たぶん、インスタントのレトルトだろうと思います。そんな味でしたから・・ だから、まぁまぁの味でした。水などないので、[Too hot !(辛い)]と言いながら隣のスタンドで600_リットル入りのミネラルウオーターを買いました。それを聞いて、若い女性店員が笑いました。

◎今夜はオールブラックス(ニュージーランド)とワラビー(オーストラリア)のラグビー中継があります。楽しみです。

■ 2001/09/02 (Sun)  SOUTH BANK
◎昨夜のラグビーは大接戦でした。先週のオールブラックスは余裕で南アフリカに勝ちましたが、今回は終了間際でワラビーに大逆転をされてしまいました。本当に力が均衡しているので、お互いに相手から30点は取れません。終了間際の大逆転で、オーストラリアの観客は大フィーバーでした。観客が10万人弱が入った、と画面に出ていました。

◎試合開始前のセレモニーで両国の国歌をそれぞれの歌手が歌いました。ニュージーランドは1番をマオリ語で、2番を英語で歌いました。アオテアロア/ニュージーランドも、ますます徹底してきました。マオリ族の闘いの前の勇気を鼓舞するための踊りである「ハカ」もパワフルでした。ワラビーチームも無視しませんでした。以前、ハカを無視して両国が険悪になったことがあったので・・ ちなみに、[Goodwill Games] でもそうですが、オーストラリア国旗よりも、カンガルーをデザインした旗の方をよく見かけます。英国連邦離れが相当に進んでいます。あ、ちなみにニュージーランドでは10年ほど前に紙幣のデザインを変更し、20$紙幣以外からエリザベス女王の肖像が消えました。オーストラリアは、すべての紙幣にありません。ついでの、ついでですが、5セント、10セント、20セントコインは両国で共用です。デザインは違うのに、大きさや形が同一のため、本当によく見ないと区別が付きません。50セント硬貨は形が違います。さらにやっかいなのが、1$コインはニュージーランドでは2$コインよりも小さいのに対して、オーストラリアでは2$コインの方が1$コインよりも小さいのです。ときどき頭が混乱してきてしまいます。

◎午前中にアングリカンチャーチ(英国国教会)の礼拝に出て、モール街のフードショップで「キツネうどん」を食べました。まぁ、まぁの味でした。感謝、かんしゃ! そして、ヴィクトリア橋を渡りサウスバンクへと出掛けました。途中でトライアスロン競技(水泳→自転車→ランニング)に出くわしました。そのため、遠回りとなりました。男女ともオーストラリアが優勝で、大フィーバーでした。ラストは、残念ながらわが日本でした。この国際大会(Goodwill Games)には、本当に数多くのボランティアが活躍しています。老若男女を問わず、お揃いのユニフォームで交通整理から会場の設定、道案内等を実に手際よく行っています。簡易型の歩道橋の整理も鮮やかでした。みな、キチンと指示に従って混乱なく動いています。60歳を過ぎたと思われるおばちゃんに聞くと、この大会だけで3,000人のボランティアが活躍している、とのことでした。むろん、無報酬とのことでした。昨年のシドニーオリンピックでも良く分かりましたが、オーストラリアはボランティア大国です。ボランティア活動にいそしむ姿は、ボク自身の将来の姿でもあります。だから勉強になります。

◎午後からブリスベン川に浮かべた会場でコンサートが行われる、とのことでしたので、待っていました。そこで、たまたま日本からワーホリで来ている人と親しくなり、うまく時間をつぶすことができました。大道芸人たちも「ここが腕の見せ所」とばかりに張り切ってパフォーマンスに励み、数多くの露天商のテントが軒を並べ、軽快な音楽が流れ、自然を利用したプールで子どもたちの喚声が上がり、等々、ニュージーランドもそうですが、この国も休日のイベント演出がとても上手です。あるとき、ハミルトンの道路がカーレース場へ変更されてしまったこともありました。あのときは驚きました。だって一般道路をレーシングカーが走り出したのですから・・ もちろん、道路は閉鎖でしたが・・ ハミルトン公園でも、よくコンサートが行われていました。すでに初夏の様相を呈しているブリスベンはステキな都会です!

■ 2001/09/03 (Mon)  『差別防止法(Disability Discrimination Act)』
◎[クィーンズランド工科大学(QUT)] のスタッフとの面談が午後3時だったので、モール街の地下にある映画館で[Jurssic Park 3] を観ました。90分ほどでした。観客は8人でした。料金は10$でした。ちなみに、この1週間で、1AU$ が62〜70円で動いています。また、両替をする銀行によっても換金率が異なります。必ずしも空港内での両替がベターでもないようです。

◎お昼はフードショップで「牛丼」でした。お味の方は、かなりバツ(×)でした。それから歩いて[QUT]へと行きました。この大学はブリスベン川に沿った [City Botanic Gardens] という公園のそばにあるのですが、どこまでが公園で、どこまでが大学かの区別が付きません。塀などないからです。公園の広々とした芝生のアチコチで学生たちが勝手気ままに寝そべったり、お勉強をしたりしています。

◎春の陽ざしが強く、大学のカフェテラスで本を読んでいると眠たくなり、しばしのうたた寝でした。時間が来たので、[Disability Officer] に会いに行き、1時間ほどインタビューをしました。またまた大きな学びをしました。これは研究者としては必要な資質でもあり、また非力な自分自身の能力不足のせいでもあるのですが、一人のスタッフからの情報や資料のみで全体を把握するのは、きわめて危険であり、かつ精緻さに欠けるゆえ、こうしてアチコチの担当スタッフに会っているのです。その結果、次第にこの国の取り組みの全体イメージが出来上がりつつあります。これまでの調査の結果から推論を加えると、残念ながら日本の現状はこの点において、きわめて立ち遅れていると言わざるを得ません。まぁその分だけ、これから開拓・発展のチャンスがある、とも言えますが・・ ニュージーランドの場合もそうですが、とにもかくにも『差別防止法(Disability Discrimination Act)』の存在は大きいです。これがキーポイントです。

◎夕方間近のギラギラとした紫外線を受けながらテクテクと歩き、ブリスベン・トレインセンターに立ち寄ってホテルへと戻りました。あ、センター内のフードショップでシーフードヌードルを食べましたが、とてもボクの口には合いませんでした。残念でした。これで[TAFE] でのインタビューが終われば、今回の調査も概ねオシマイなのに、不幸なことに相手側へのメールが届かないのです。今夜、再びトライです。

■ 2001/09/04 (Tue)  コアラ・クルーズ
◎午前中に政府機関である[Disability Services Queensland] へ行き、資料をもらい、情報を得ました。その用件が早く終わったので、コアラ・クルーズへと出掛けました。入園料込みで35$ でした。30名ほどの乗客を乗せてブリスベン川を上り、ピッタリ90分で、ブリスベン川郊外のコアラ保護区(Lone Pink Koala Sanctuary)へと到着です(帰りは逆ルートのため、60分でした)。今日も春の強い陽ざしがギラギラでした。これで夏になると、いったいどれほどのギラギラになるのかしらん?

◎コアラ保護区へ入園し、しばし子どものカンガルーたちと遊んだ後、13$ を払ってコアラを抱かせてもらい、オジサンはとても満足しました。もっとも13$ の中には、ハガキ大のコアラとの記念撮影の写真が1枚ついています。最初はコアラがストレスを感じるから止めておこうかなぁ・・ と考えていたのですが、「JALパック」のツアーデスクがあり、そこの日本人スタッフが、120頭のコアラ1頭につき、一日あたり30分の抱っこの「お仕事」で、翌日はお休みにして、コアラたちがストレスをためないように配慮している、とのことでしたので、「それでは!」とばかりに「記念撮影のお仕事」に登場願ったのでした。みていると、確かにスタッフがコアラを交代させていました。ちなみに、日本人観光客は朝にブリスベンに到着すると、ツアーバスで、まず最初にここにやって来てからゴールドコーストへと向かうのだそうです。相変わらずセッカチなこと! 別にそれは、そうしたパックツアーに乗っかって来た本人たちの責任ではないのだけれど・・ ちなみに、このクルーズでは2時間の滞在でした。

◎ここには120頭ほどのコアラがいるのだそうで、「幼稚園」との看板ゾーンの中には、おちびさんコアラが元気良く動き回っていました。一方で「お年寄り」の看板ゾーンの中には、見るからに老齢化したコアラがジッとしていました。入園料の13$ プラス、記念写真のお仕事収入の13$ によって保護費用が出ており、それによって適切なケアがなされ、コアラたちの寿命が延びている、とのことでした。昨年、シドニーオリンピックに出掛けた日本人たちが「コアラが抱けなかったぁ・・」と嘆いていたのをどこかの記事で読みました。要するに、州の法律の違いだそうです。つまりは、ブリスベンのあるクィーンズランド州ではOKなのです。オーストラリアは米国並みに各州ごとにシステムが異なるのです。そのことは昨年の滞在で明確に体験しました。あ、それから芝生では車座になって幼稚園の子どもたちにスタッフが何かを説明していました。みると、スタッフの首に大きな蛇がぶら下がり、ニョロニヨロと動いていました。要するに、ヘビの習性に関する質疑応答でした。ホッ・ホッ・ホ〜ッとばかりに臆病な自分は感動してしまいました。むろん、子どもたちは平気でした。

◎モール街で、ほとんど「みそ煮込み麺」的な「みそラーメン」を食べ、銀行で5,000円分を両替してホテルへと戻り、メールを開けると[TAFE] のスタッフからのメールが入っていました。「自分は現在そのクラスの担当ではないので、別の人間に連絡したから・・」との内容でした。そこでお礼のメールを打ちました。そのスタッフが連絡をくれると良いのだけれど・・ なお、今日の[Westpac Banking]での両替レートは 1AU$ が60.21円でした。但し、手数料が8$ もかかりました。ちなみに[Bank of Queensland]での8月31日レートでは71.02円でした。手数料は5$ でした。かなり変動が激しいようです。こうした日ごとや、銀行ごとの換金率を較べていると面白いですね!

■ 2001/09/05 (Wed)  まぁ、親切なこと!
◎午前中にタクシーで「オーストラリアン・カソリック大学」へ行きました。その用件が早く終わり、近くのショッピングセンターのフードコートで昼食を食べ、大学近くの鉄道駅(Mitchelton)で市内中心部まで戻る電車が来るのを待っていると、そこにあった案内板に特別学校が掲載されてありました。みると、駅舎(と言っても、ホームの中の待合所に似た、きわめて素朴な駅舎ですが)のすぐそばでした。「これは行かねばなるまいて・・」と即座に思い、暑い陽ざしの中を、例のごとくテクテクが始まりました。

◎ところが不思議なことに、学校がなかなか見つからないのです。そこで数名の通行人たちに聞きました。その結果、30分あまりも線路を挟んであっちへ、こっちへと行き来を繰り返すことになってしまいました。言うことが皆、違うのです。日本の概念では、近くにある学校の位置を知らない人はいない筈、との前提がありますが、ニュージーランドやオーストラリアの小学校や特別学校のサイズはとても小さく、全校児童・生徒数が40名足らず、というのがごく普通です。結局、2人の若者がボクを自分の車に乗せて学校まで案内してくれました。若い女性が、たぶん彼女のボーイフレンドだと思うけれど、地図を持ってこさせ、多分ここだろう、と言います。そこでボクが「いやそこは違う・・」と言うと、彼女が携帯電話で友だちに聞きました。彼氏は分厚い電話帳を家から持ってきて調べ始めました。その結果、「やっぱりここだ!」と言うことになり、連れて行ってくれたわけです。ボクが道を1本、間違えていたのです。まぁ、親切なこと! 今どきの若者たちも捨てたものではありません。これ自体もオジサン的発想ですが・・

◎知的制約児を対象とした、この特別学校(Mitchelton State Special School)に行くと、気さくなスタッフが、さっそくに「ウェルカム!」です。お腹の出た校長がやって来て、これまたウェルカムです。やっぱり現場はいいなぁ! オーストラリアのこうした特別学校を訪れたのは、これが最初です。ニュージーランドのことを前提としながら校長と30分余り話し合いました。結論から言えば、ニュージーランドの方が制度的には進んでいました。また、インクルーシヴ学習支援に関しては、ロトルアの特別学校の校長と同じ意見でした。否、これは多くの特別学校の校長たちと同じ、と言った方が、より正確です。つまりは、メインストリーミングのスローガンに基づいての、ただ単に学籍形態だけを通常学校に在籍させるようなことは無意味だ、といった意見です。ボクもそれに同意する、と言いながら「ダンピング(dumping)」の問題を出すと、校長は大きくうなずきました。こうした点については話が早いです。お互いに基礎的な認識がありますので・・ このダンピング問題は、インクルーシヴ学習支援を考える上で特に注意しなければならない問題です。つまりは、ただ単に形式的な包括のみで満足し、個々の児童・生徒たちの状態に即した適切なる学習支援がなされなくてはインクルーシヴ学習支援の本質的な側面での実効性が乏しいからです。

◎特別学校に1時間余りいて、まるで嵐のような悪天候の中を、30分に1本の電車に乗って市内中心街まで戻ってきました。所要時間は30分ほどでした。テープによる車内放送で、ちゃんと「次の駅は・・」とのアナウンスが流れました。ちなみに、外に出ると、再び紫外線ギラギラの世界に戻っていました。ハテ、あの嵐はいったい何だったんだろう?

■ 2001/09/06 (Thu)  紫外線ギラギラ
◇今日は半日、とても悲惨な出来事の連続でした。[TAFE]のスタッフから、なかなか返事が来ないために、電車に乗ってキャンパスへと出掛けました。6階のスタッフルームへ行こうとすると、リフト(エレベーター)が故障で使えません。ニュージーランドでも、よく見かけた光景でした。そこで[Disability Officer]のところへ行くと、例のごとく「ここには250人ものスタッフがいるので、だれがその担当かは把握できない・・」と申し訳なさそうに答えます。そこで階段をエッチラと上り始めました。6階のスタッフルームへ行くと、50名以上のデスクがあると思われる部屋が閑散としています。受付のブラジル人の女性もいません。階段を上るのが辛いスタッフたちは、きっとどこかに散ってしまっているのだろうと思われます。しかたなく、再び電車に乗ってロマストリート駅まで戻ってきました。

◇午後1時に、待ち合わせのために[City Hall]前で待ちましたが、一時間待っても「待ちぼうけ状態」で、なぜか相手が現れずに虚しくホテルへと戻ってきました。どうしたのかしらん? 時間と場所は相手側からの指定で、その確認のための返信メールも打ってあったのに・・

◇疲れた体でホテルの部屋へと戻り、メールを開けると[TAFE]のスタッフから要領の得ないメールが入っていました。「昨日は休みで学校には来ていなかったこと。早急に返事が欲しい」、ということが書かれてありました。そこで再び訪問目的を記したメールを送りました。でも、あと1日しかいないので、たぶん無理だろうなぁ・・

◇ギラギラの紫外線を真っ正面から1時間以上も浴びたため、顔が火照ってしまいました。着ていた長袖を脱いで、頭からかぶって紫外線を防いでいたのだけれど・・ しかも、隣に座った2人の女性が、代わる代わるタバコを吸い始めて、その煙が流れてきて気分が悪くなりました。ギラギラ紫外線とのダブルパンチでした。これで春先なのだから、これから1・2月をピークとして、秋の始まりの4月までいったいどうなるのだろう! 皮膚ガンへの罹患を避けたいボクとしては、とてもブリスベンには住めないなぁ・・ あ、ニュージーランドも当然そうですが、オーストラリアでも基本的には建物内での喫煙は禁止されています。日本食のレストランは分煙方式です。だから、やたらと喫煙者たちを見かけるのは、そうした理由からです。つまりは、外へ出てタバコを吸うからです。日本より買うのが面倒で、しかもかなり高いのに・・

◇そんな悲惨な半日でしたが、得ることも多くありました。それは電車に電動車イスの男性が乗っていたからでした。見ていると、ちょうど同じ駅で下車しようとするみたいでした。本当はどうやってドアのノブを開けるのかなぁ? と関心があったのですが、少し力が必要だったため、ついボクが開けてしまいました。あ、電車のドアは自動で開かないみたいなのです。ちょうど、車内の保温目的のための、冬場の湖西線の電車のように・・ そこからサ〜ッとホームに流れるように車イスを移動させました。電車の車体の出口に、ホームとの隙間を埋めるための「ひさし」のような「出っぱり」が付いていて、とてもスグレモノなのです。しばらくホームにいて、いろんな電車の到着を見ていると、いずれもこの「ひさし」が付いていました。アイディア大賞ものです! 但し、残念ながらホームがすべて同じ高さではなく、そんな車両に乗ると10aほどの段差が生じてきてしまいます。もしかしたら、ホームではなく、線路の方が高低差がついているのかもしれませんが・・ ともあれ、この国に来て、やたらと車イスの姿を見かけます。それもかなりスマートな形をした電動型の・・ もちろん、これ自体はとても良いことです。ただ、ニュージーランドもそうですが、交差点の信号をもっとユックリと調節できないものなのかなぁ・

■ 2001/09/07 (Fri)  オフピーク・チケット
◎ブリスベン最後の日です。「ちあき なおみ」のCDを聴きながら、この文章を綴っています。いつものように朝5時半頃に目が覚めたのですが、「NHKのニュースはもういいや・・」と思い、そのまま6時半まで眠りました。7時過ぎにいつものように朝食を食べ、朝の8時50分頃にロマストリート駅へ行き、ゴールドコースト(Robina)までの往復チケットを買おうとしました。するとチケット売り場のオジサンが「あと10分待てばチケットが安くなるけれど、どうする?」と聞きました。当然のことながら待ちました。その結果、8$ほど安い値段で往復のオフピーク・チケットが買えました。面白いシステムだこと! クライストチャーチでも、市内バスは4時間以内で戻れば、帰りは無料でしたし・・

◎30分に1本の快速電車に70分余り揺られて、ひたすら郊外へと電車は走り続け、終着駅のロビーナ(Robina)駅に着きました。いかにも人工的に造られた感じの街でした。はるか遠くには海岸線の高層ビル群が見えます。よくゴールドコーストを紹介するパンフレットに出てくるあれです。ここからバスで行くことになります。むろん、ボクはそんな気はないので、この人口街を歩くことにしました。ほんとにだだっ広い平原に、駅舎と学校と巨大ショッピングセンター、それに同じ造りの新興住宅街がポッン、ぽっん、と点在していました。なにしろ、駅舎から平原の中をショッピングセンターまで歩いて15分はかかります。不思議な街でした。巨大ショッピングセンター内のポストショップで朝、パッキングして持ってきた郵便物を出しました。むろん、ニュージーランド同様、この国でもクレジットカードでの支払いが可能です。その後、シーフードランチを食べて、再びテクテクと平原の中を歩き、駅舎まで戻ってきました。歩く人などいません。ここは完璧な車社会です。きっとこれからこの地に、さまざまな機能を持った建物が建ち出すんだろうなぁ、と思いました。この街は、まさに発展途上中です。

◎再び快速電車に70分余り揺られてロマストリート駅まで戻ってきました。途中で自転車ごと乗り込む高校生たちに出合いました。自宅から自転車で駅舎まで来て、そのまま自転車ごと電車に乗り、それから再び自転車で学校まで通学するのだろうと思います。乳母車での乗車もよく見かけます。要するにお国柄ですね。さらに、ロマストリート駅近くで、今度は電動車イスを使う高校生が乗車してきました。かなり重度でした。みると、駅員さんが金属製のスロープを付けて電車への乗車を容易にしていました。昨日も書きましたが、この国に来て、やたらと車イスを使う人たちの姿を見かけます。つまりは、それだけハード側面の整備が進んでいるために、街に出やすいのだろうと思います。日本も、ようやく「交通バリアフリー法案」が制定されたので、将来的には順次、ハード側面の整備が整ってゆくだろうと思います。残念ながら、近い将来ではないだろうけれど・・

◎そんなこんなで、12日間にわたるブリスベン滞在も最終日を迎えつつあります。全面窓から眺める夜景が美しい、ベランダ付きのホテルが快適で、またアクセスも良く、さほど疲れることなく過ごすことが出来たことを感謝しています。最初にインターネットで予約したときに、4つ☆ホテルで、朝食付きで70$なんて・・ とハテナ(?)マークだったのですが、ホントに「○得」で快適そのものでした。ダブルベッドよりもワイドな、堅めのキングサイズベッドのお陰で腰も痛くならずに済みました。[TAFE]の件だけが残念でしたが、まぁ、これはいたしかたなし、ってとこです。それに代わるだけのものは充分に得られたし・・ でも、ギラギラ紫外線だけは、もう勘弁して、ってところです。

◎あすは早朝にホテルを出て、ケアンズまで国内線を使って移動し、そこから国際線に乗り換えて名古屋空港まで戻ります。新聞社のホームページで台風情報をチェックしているのですが、今のところは大丈夫そうな感じです。九州や四国地方では大変らしいけれど・・ 渇水だ、洪水だ、で、自然界相手のことは、なかなか難しいですね。来年はクアラルンプール(マレーシア)かバンクーバー(カナダ)に滞在できたらいいな!

■ 2001/09/08 (Sat)  四週間ぶりの淡海の地です!
☆朝4時半に起き、インターネットで台風情報(15号&16号)をチェックし、何とか大丈夫そうだとホッとして、6時に12泊した[Goodearth Hotel]をチェックアウトし、前日に予約してあったタクシーに乗ってブリスベン空港(国内線)へと向かいました。ドライバーはパキスタン人でした。「いつこの国に来たの?」「5年前・・」「どうしてこの国へ来たの?」「母国の政情が不安定で、良い仕事も得られないから・・」と、強い訛りのある英語で答えてくれました。

☆例のごとく、ケアンズへと向かう機材の到着が30分あまり遅れました。「ヤッベェ〜ッ!」と思いつつ、時計とにらめっこで機材の到着を待っていました。「もう1便、早く飛べば良かった〜っ!」と後悔しました。ケアンズでの乗り換え時間は80分です。それでもカンタスは相変わらずのペースです。ボクの経験では、カンタスでまともな時間に到着・出発したことなど、これまでも数えるほどしかありません。むかし、やはりオークランドからブリスベン経由でケアンズまで飛んだときもそうでしたし、昨年も何回も遅れました。乗り換え時間にゆとりを持たねば、と改めて思いました。特にカンタスの場合は! それでもアンセット航空などの場合は、ストライキの連続ですから、カンタスの方が、まだ信頼性があります。その点、ニュージーランド航空はバッチリです! と、ニュージーランドびいきのボクは考えてしまいました。 

☆ケアンズに到着し、10分あまり歩いて国際線に乗り換えました。周りを見ると、ほぼ100%が日本人でした。それも、語学研修とかで来ていた女子高校生たち100名あまりの制服の大集団でした。まぁ、元気いっぱいで騒がしいこと! 待合室内には演歌が流れる日本食のテイクアウェイがありました。お願いだから音楽だけは止めてよね! これではまるで日本の観光地みたいだもの・・ オニギリ2個で500円ほどでしたが、ボクのチケットでは出国税が不要だったために、AU$ のお金が少し余っていたのと、朝から何も食べていなかったので、オニギリを2個買って食べました。そして、ケアンズ空港も、やはり30分余り遅れの出発でした。今度はシドニーからの到着便が遅れたから、とのことでした。しかし「名誉挽回」とばかりに、夕方6時半過ぎにちゃんと名古屋空港へ到着しました。もっとも、そんなことなど考えているわけがないのでしょうが・・ 機内でユニセフの募金を行っていました。「小銭が残っていたら、どうか寄付をお願いします・・」とのアナウンスでした。そこで、残っていた小銭を提供しました。こんなアイディアのセンスは抜群です! それから空港で例のごとくスーツケースを宅配便で送るように手配をし、空港バス&新幹線&在来線と乗り継いで、午後10時過ぎに帰宅を果たしたのでありました。

☆以上、これにてオジサン旅ガラスによる、今回のオセアニア旅日記はオシマイです! お疲れサンでしたぁぁ・・

※以下の文章は、2001年8月13日〜9月8日までの間、私がニュージーランド(北島)とオーストラリア(ブリスベン)を調査訪問していた際に、社会人編入による入学で私のゼミに加わってくださった人が、9月初旬にニュージーランド(クライストチャーチ市)を急遽、訪問することになり、そのためのアドヴァイスを求める電子メールを現地へ送信してこられました。そこで、その質問に私が現地から返信した内容の大半を載録してみたものです。そこで、「この時期にニュージーランドやクライストチャーチ市を訪問される人に参考になるのでは?」と考え、その内容の一部を公開してみたものです。なお、今回の公開にあたっては、不必要な部分を削除したり、多少の修正を加えています。ちなみに、レンタカーを使って各地のモーテルを転々としながらのニュージーランド滞在中、私はノートパソコンを持参し、「ローミングサービス」を利用しながらネット接続をしていました。


☆さて、日記にも書きましたが、ローミングサービスの設定も、ほぼ順調で、接続がスムーズになりました。ただ、日々、モーテルが変わるため、地域設定と電話回線の調子によって、状態が一定しません。今夜はどうか、については自信がないので、今朝(午前6時前ですが)この文章を書いています。なお、当地は3時間進んでいます。間もなく、チェックアウトしてスタートです。今日はギズボーンまで海岸線を走る予定です。

◎ニュージーランド英語は「キーゥイ・イングリッシュ」です。「エイ」が「アイ」になります。その他は、イギリス英語と同じです。その程度です。ボクのような片言の英語力でも何とか生きてゆけるようなお国柄ですので、何も心配することはありません。それに親日家が多いし・・ とにかく、肩の凝らない国です。そのことは、すぐに分かるはずです。

◎食料品の持ち込みに関しては、年々、チェックが厳しくなりつつあるのを感じます。最近では麻薬犬も出現しました。オーストラリアは、もっと厳しいです。したがって、食べ物は一切、持ち込まない方が賢明です。申告しなくても済みますから・・ こっそり持ち込んで、申告しなくても、係官の気まぐれで「一応、スーツケースを開けてください・・」となると、けっこう面倒で、時間が掛かります。だから、お土産には食べ物は厳禁です。CHC(クライストチャーチ)は日本人がゴチャゴチャいるような場所ですから、日本食は不自由しません。特に、大聖堂付近は、まるで「リトル・ジャパン」の様相を呈しています。

◎ボクの場合は、人に会うことが多いため、いつも関空で「絵はがき」を大量に買っていきます。それも、着物を着た昔の女の子の・・ 関空にはこうしたショップが多くありますので、関空で探しても良いと思いますよ。この国の人たちは贅沢品には慣れていなくて、手作り物を喜ぶみたいです。ですから、心のこもった手作り品がベストだろうと思います。ただ、これもホストファミリーによります。特に、CHCの場合は、いわば「日本人慣れ」の状態ですので、これまで数多くの日本人と接してきたような家庭では、あまり感動されないかもしれません。とにかく、CHCは、あまり外国、といった気がしないのではないかと思います。それほどまで、どこへ行っても日本人を見かけるからです。

◎ニュージーランドに来て、ボクは風邪を引きました。CHCの場合は、9月でも、朝夕はかなり寒いので、厚手のセーター類は必需品です。手袋等はこちらでも安く買えますが、セーターは高いです。要するに、朝には車のフロントガラスが凍っているような状態です。でも日中は春先のような暖かさになります。要するに寒暖の差が激しいのです。暖房も弱いので、厚着が必要です。つまりは、原発を持たないこの国では、エネルギーは貴重なのです。だから食器類も、水洗いを省略して、洗剤につけた状態で、そのまま拭いてしまうのだとうと思います。きっと驚くと思いますが・・

◇それでは、あと30分ほどでスタートですので、これで失礼します。
※ご質問にご返答します。

「食料品は、何も持っていく予定はないのですが、「常備薬」はどうでしょう? 胃薬やビタミン剤をいつも愛用しているのですが、難しいでしょうか?」
※もちろんこれらはOKです。でも、念のために未開封状態の方が良いと思います。チェックされた時に説明が容易だからです。開封状態だと、何か他のものを混入したのでは? と疑われてしまう場合を想定してです。ニュージーランドへの入国の際には「入国カード」への記載が必要ですが、食料品のところにヘタにチェックマークをつけたりすると「それでは荷物を開けて、それを出してください!」となります。ボクもクロレラやアロエや、その他もろもろのサプリメント類を持参していますが、これらは食料品ではありませんので、申告しない方が無難です。これまで、自分で申告した場合を除いて、一度も「それでは・・」と言われたことはありません。滞在目的を聞かれたら「ホリデイを利用してホームステイをする」と答えれば良いのです。

※荷物に関しては、若干の配慮が必要です。それは日本のように、出口で空港係員が荷物の番号を照合して手渡す、といった方式ではないからです。各自が取ったスーツケースは、たとえ間違えても、あるいは黙って盗んだとしても、だれもチェックしません。そのまま出られます。だから判別を容易にするために、ケースに巻き付けるベルトの色を目立つ色にするとかの工夫が必要です。ボクはシルバーのケースにピンク色のベルトを巻き付けていますから、とても目立ちます。すぐ分かります。そして早めに荷物が出てくる近くのベルトコンベアの前に立って自分の荷物を探すことです。特に、乗り継ぎ便を利用する場合は、カウンターで自分の預けた荷物の特徴を伝えておくことです。そのデータはコンピュータに入力され、ちゃんと乗り継ぎ便に運び込まれたかどうかを確認してくれます。今回、ボクはシドニーに朝に着いて、夕方にオークランドへ出発する便だったため、カウンターでちゃんと確認してくれました。むろん、直行便の場合は問題ありません。

※せっかくCHCまで来るのですから、ぜひとも[Disability Information Service]を訪れて、情報を得てください。ボクはそこに会費を払っているのですゾ! もっとも、一年分を滞納しているけれど・・ そのオフィスは大聖堂からタクシーで5分くらいのところにあります。そこで、できれば[IHC]を紹介してもらってオフィスを訪問すると良いと思います。そして、いくつかのGH(グループホーム)を見学されると良いのでは、と思います。それも、できれば子ども、成人、高齢者用、それぞれのGHを・・ CHCには合計で50箇所以上のGHがあると思います。たいていの場合はIHCのスタッフが車で案内してくれます。予約せず、飛び込みで訪問した場合は無理なことが多いです。もちろん、電話帳を調べて、IHCにご自分で電話をして予約を取り、訪問しても同じです。

※CHCの場合、移動手段はタクシーが便利です。バスは分かりにくいです。音声案内などは流れませんし・・ その点、タクシーは日本よりは安いです。CHCは人工的に整備された街なので、街のつくりが、いわゆる「碁盤の目」状態になっていますから、行き先の住所を示せば確実に連れて行ってくれます。ただ、タクシーは「タクシースタンド」で乗る必要があります。いわゆる「流し」はありません。タクシースタンドはデパートやスーパーの前だとか、大聖堂の前にあります。もちろん、施設等へ行き、用事を済ませるとそこへ迎えに来てもらうこともできます。この国ではタクシーは、かなり便利です。特に市内では一方通行が多いCHCの場合は・・

※大聖堂と言えば、大聖堂で毎日、夕方に30分間程度開催される少年&壮年混合聖歌隊のコンサートは、とても素晴らしいものです。ボクは毎日のように夕方に聴きに通ったものです。たぶん、5時半頃からだったと思うけれど・・ 曜日によって時間帯や内容も異なります。CHCの場合は、この大聖堂が常にポイントとなります。位置判定などもそこを起点とするからです。

※時間があれば、車で2時間半ほどのところにある「テカポ湖」へ行けると良いですね。もうウットリするほどの美しい湖です。それでは、また何かありましたら、ご連絡下さい。あ、機内や家庭内ででくつろぐためのスリッパをお忘れなく! 土足文化は慣れないと、なかなかに面倒です。ついでの、ついでですが・・ この国には「トイレカバー」は存在しません。今まで一度としてお目に掛かったことがありません。[U字]ではなく、[O 字型]のトイレです。この国で生活していたときに、借りていた家のトイレカバーをみて「日本人は賢い!」と、いたく感動されてしまったことがありました。もちろん、日本から送った物でしたが・・ これって、もしかしたら、かなり喜ばれるかも!
☆今夕、オーストラリアのブリスベンに入りました。ただ、滞在先のホテルからインターネットへの接続作業が困難を極めており、安定したアクセスポイントやラインを確保するまで、しばらくの時間が必要です。去年もそうでしたので・・

> そちらの気候は、春に近づきつつありますか?
※過日、申し上げたように、CHCでは厚手のセーターは必需品です。朝夕が特に冷え込みます。○○地域の2月頃の気候です。但し、日中は温度が上がります。半袖の人たちもいます。要するに、一日の中で寒暖の差が、かなり激しいのです。昨日もニュースでCHCが映っていましたが、吐く息も白く、またジャンパーやコートを着ている人たちが多く映っていました。ボク自身も、数年前に「テカポ湖」へ行った帰りに激しい降雪に見舞われました。8月25日頃だったと思います。アップダウンの道が続くので、スリップをしないように、慎重に運転しました。なお、テカポ湖へは大聖堂(通常は「スクウェア」と言いますが)の前からバスツアーも出ています。そこがちょうど、バスターミナルになっているのです。2年前には、日本旅行の代理店もありました。往復5時間の道のりは、なかなか大変で、ホストファミリーにお願いするのは、ちょっとどうか、とは個人的レベルでは思います。バスツアーを利用されることをお勧めします。

> すみません。そちらから日本に連絡するのには、問題はないでしょうか? 海外用携帯電話のレンタルの検討をしているのですが、必要ないでしょうか?
※一般家庭からも、ごく普通に日本への直通電話が可能です。また、日本と同じように公衆電話もあります。多くがプラスチックのカード式です。但し、カードはどこでも買えないので、空港で買っておかれると良いと思います。中には通常のクレジットカードが使用できる電話ボックスもあります。観光地化されているCHC市街では、大抵の電話ボックスでクレジットカードでも電話がかけられると思います。ちなみに、電話をかける場合は、滋賀県高島郡の場合は(市外局番の「0」を取って)[0081-740-○○-○○○○]となります。だからとても簡単です。国内にかけているのと大差ないほどにスムーズに会話が出来ます。また、携帯に関しては、ボク自身は使ったことはないのですが、オークランド空港でレンタルサービスをしていました。ですから、おそらくはCHCでも、空港内に同じようなレンタルサービスがあるのではないでしょうか。最近では、日本から持ってゆく人も多いみたいですが・・ この件は詳しくありません。

※大聖堂からストレートに歩いて10〜15分くらいで「CHC博物館」に突き当たります。その裏手が広大な植物園です。エイボン川も美しく流れています。ここは必見です。マオリの文化にじっくりと触れてみてください。ニュージーランドがいかに先住民族の文化を尊重しているのかが良く分かりますから・・ これは、オークランドでも、ウェリントンでも同じですが・・ それと、週末にはその周辺でマーケットが開かれます(昔、そこにカンタベリー大学があった場所です。そこにボクがいつも泊まっているYMCAがあるのです。だから、毎日のように植物園を歩きました。とてもにぎやかです)。これも必見です。ですから、土曜日には大聖堂から歩いてみられると良いと思います。路面電車も走っていますが、歩いてもすぐですので・・

※それでは、重ねて何かありましたら、遠慮なくお問い合わせ下さい。
※オーストラリア(ブリスベン)に来て以来、滞在しているホテルからの接続が「一進一退」状態で、安定した送受信ができません。したがって、このメールもスパッと一度で送れるのかどうか分かりません。たまたま、うまく接続できた時にこのメールを開いたのです。ボクはマイペースでノンビリと過ごしています。日本にいる時よりも、はるかにリラックスできます。人間関係が下手なボクには、日本は不向きなのかもしれません。ニュージーランドはいいですよ! さて、ご質問にお答えします。

> やっぱり初めての海外は、喜びと同じくらい緊張感はいっぱいです。
※そうでしたか、初めての海外でしたか・・ 意外でした! ボクはまたなんで急にホームステイ・スタイルでニュージーランドへ出掛けるのかなぁ? と疑問でしたが・・ 

> 今日も「トラベラーズチェック」を買いに銀行へ行ったのですが、出来ません。
※ボクは「○○銀行」で作ってもらいました。30万円分でした。別に必要は無かったのでしたが、あるとき、発行手数料が0.5%だったときがあったのです。通常は1%だと思いますが・・ だから一度も使ったことがありません。あくまでも現金の予備として持っているだけです。

> ニュージーランドドルは、空港で換金して持って行かれていますか?
※日本国内の銀行(例えば関空内にある銀行)で換金すると、きわめて不利です。ですから止めた方が賢明です。だいいち、ニュージーランドに着くまでは不要ですし・・ CHCに着き、パスポートコントロールを出ると、「両替所」があります。すぐに分かります。そこでの換金率がベストです。でも、ニュージーランドの場合は、市内銀行でもほとんど変わりません。ニュージーランドの場合、手数料も、他国に較べて、きわめて低額です。日本円は広く通用していますので、どの銀行でも即座にNZ$に換金してくれます。なお、その際にパスポート提示を求められることがあります。ただ、多めに換金してしまい、出国する際にCHCの空港内で、残りのお金を再び換金すると、やはり不利ですので、当面、使用する程度の額を換金するのが賢明です。ましてや、帰国して関空内の銀行で換金すると、もっと不利です。使い切るのがベストです。残りの小銭程度は、空港内のショップで、絵葉書でも買い物をすれば良いのですから・・ ちなみに、ボクは今回の滞在で、一度も日本円からNZ$へ換金しませんでした。それは、昨年のNZ$が、まだかなり残っていたからでした。それを持っていったのです。それでもなお、今回も残りました。これはまた来年、使います。

> 現金を持ち運ぶのは、避けた方がいいと思うのですが・・
※10日程度の旅ですので、そんな高額を持ってゆかれないと思いますので、心配する必要はありません。国内旅行と同じ感覚で大丈夫です。ボクの場合は、この前、ケンブリッジのスタッフから「カンガルーポケット」と言われてしまったのですが、腰に着用する「ポシェット」と言うのでしょうか、いつもそれを使っています。そこにパスポートや現金やカード等を入れて持ち歩いています。この程度であれば、別に分厚くもならないし、重くもなりません。但し、旅行者に良く見かけるのですが、作りが分厚いものだと目立ちます。ボクのは布製で薄くて軽いポシェットです。かなり便利で、重宝しています。

> VISAカードは持参するつもりですが。
※この国では、日本以上に「カード社会」です。スーパーでの買い物等にも、ごく普通に使います。以前は小切手でしたので、まぁ、レジでも延々と時間がかかったものです。一人あたり5分はかかりましたから・・ 最初は信じられない光景でした。それが今ではカードになったため、かなりスムーズになりました。それでも日本のレジよりは数倍時間がかかります。決して誇張ではありません。いちど体験してみられると面白いかもしれません! 要するに、ニュージーランドでは日常の買い物等でも、ごく普通にカードを使います。カードがなければレンタカーも借りられません。カードが身分証明書代わりともなります。ですから、もちろん[VISA]カードが1枚あれば、ほとんど全ての買い物等に利用可能です。現金代わりと同じ、と考えても、決して過言ではありません。後日、買った時のレートでカード会社から請求されます。日本での買い物と同じです。この請求書をみていると、日々、レートが変動しているのがみれて、とても面白いですよ!

※重ねて何かあれば、遠慮なくお問い合わせください。あ、日焼け止めのクリームと、紫外線防止のサングラスも必要です。夕方の強烈な紫外線を経験してみてください。フロンガスによる環境破壊の恐ろしさが良く理解できます。ちょうど、南極の上がポッカリと空いているのです。この件に関して、日本は、かなりの「加害者」です。いっぽう、ニュージーランドは「被害者」です。
☆メールを受け取りました。今、NHKの前夜の7時のニュースを見終わったところです(ブリスベンでは、朝5時半から前夜のNHKニュースが放映されています)。ニュージーランドでは放映されていません。

> そちらは水が貴重なんですね。
> 洗濯物をしないで済むように多めに着替えは必要でしょうね。

※ニュージーランドで「食器洗いの際のすすぎをしない」と言うのは、長年の「慣習」です。自然に恵まれた国ですから水は豊富です。原発を持たないため、相変わらず電力は貴重ですが・・ ですから、別に着替えを多めに持ってゆく必要などありません。どんどん洗濯をすれば良いのですから・・ 但し、家庭によって、乾燥機があるかどうかは定かではありませんが・・ ちなみに、食器洗い乾燥機は、ほとんどの家庭にあります。それは、この国では食事の後かたづけが男性の役割だからです。きっと楽をしようと考えて、必死に導入したせいだと思っていますが・・ それでは、良き旅を!
☆いよいよ出発ですね! 出発の前にお読みいただけると幸いです。なお、返信は不要です。

◎関空でのチェックインは、出発時刻の3時間ほど前からです。その際に座席をとります。今は全席禁煙となりましたので、とても快適です。もっとも、何かツアーのようなスタイルで行かれるのであれば、座席の確保は誰かが代行してくれるのでしょうが・・ その際に、ボクはいつも「アイルシート」を取ります。要するに通路側です。理由は、トイレに行きやすいのと、動きやすいからです。もっとも、これは好きずきのレベルです。この前、オークランドからブリスベンに飛んできたときに、カンタス航空の機内画面で、いわゆる「エコノミー症候群」への注意をやっていました。ときどきは屈伸運動をしたり、機内を動いたりしましょう、といった注意です。どういったルートで行かれるのか知りませんが、オークランドまでは、直行便でも11時間程度はかかりますので、適度の運動は必要です。特に夜間便の場合は・・ ボクはいつもスリッパを履き、スイミング用の耳栓をします。それから、機内でのアルコールは注意が必要です。あるとき、ワインを飲んだら途端に気分が悪くなってしまいました。もともとが、あまり飲めない方なのに、ニュージーランドに行ける、と思っただけでウキウキして、つい手を出してしまったのが敗因です。あ、ちなみにこれは気圧との関係です。酔いやすくなるのだそうです。

◎京都から「はるか」で関空へ行かれるのが簡便ですが、今の時期は「自由席」でもガラガラだと思います。改札口を出て、左手が出国カウンター方面ですが、時間にゆとりがあれば右手に行かれてみると良いと思います。薬屋さんや本屋さんなどがあります。もちろん、これは出国ゲート方面にもありますが・・ 日本はスグレモノの国で、大抵のものがここで買えます。たぶん出国税が世界一高い関空ですが、しかたありませんので、出国ゲート近くの自動販売機で出国税カードを買います。出発1時間前くらいにはゲートに入ると良いと思います。そしてパスポートコントロールを通り、無人の電車に1分間ほど乗って、指定された搭乗口まで行きます。この7月から出国カードに記入しなくてもよくなったので、とても簡便になりました。それから、帰国したら宅配便のコーナーがありますので、そこでスーツケースを預けると、翌日には自宅へ届きます。2,000円くらいだったと思います。それで、手ぶらで帰れます。

◎クライストチャーチ(CHC)に到着したら、最初にパスポートコントロール(入国審査)を受けます。その際に、機内で書いた入国審査カードを提出します。帰国便のチケット提示を求められる場合もあります。それで、ポンと3ヶ月滞在許可のスタンプを押してくれてオシマイです。これはほんとに簡単です。その後、便名の指定された荷物受け取りコーナー(Luggage Counter)でスーツケースを自分で取ります。誰も番号札と照合しませんので、くれぐれも間違わないように! そして、機内で書いた申告書を手に、もしも申告すべき物がなければ [Nothing Declare] の方へ行きます。ここで、ときたま「それでは開けてみてください・・」となるのです。今回、ボクもブリスベン空港で何かX線に気になる陰が出たらしくて開けました。それから、日本へ戻る際には、やはり出国税が必要です。22$だったと思います。これも出発ゲート近くの窓口で支払います。そのシールを搭乗券の裏側に貼ってくれます。

◎空港からどうやってホームステイ先に行かれるのか分かりませんが、市内中心部までは車で15分くらいです。一本道で、とても分かり易いです。ボクはいつもそこからレンタカーで行くか、タクシーで行きます。レンタカーを借りていなかった場合は、帰りはYMCAのすぐ近くから空港バスが出ているので、それに乗ります。これも大聖堂がスタートです。そして週末には博物館付近のマーケットを散策し、ビクトリア・スクウェアにあるタウンホールでコンサートに行くのが常でした。毎週のようにステキなコンサートが開催されるからです。平日は、大聖堂のクワイアを聴きに行きます。その周辺には大橋巨泉氏の「OKギフトショップ」等の土産物屋さんが並んでいます。日本食レストランやラーメン屋などもあります。ボクはホームステイはしたことがないので分かりませんが、せっかくの限られた時間ですから、積極的に出歩かれると良いのでは、と思います。大聖堂に戻れば、必ずタクシーに乗れますから、滞在先にも容易に戻れます。あ、大聖堂から博物館までの道の途中に観光案内所があります。ちょうど、橋のたもとです。そこからエイボン川のパント(船遊び)にも乗れます。博物館近くの場所(クライストチャーチ病院そば)からは、自分で借りてボートに乗ることも出来ます。ただ、寒いのと、川ですから上流に向かう場合は力が必要です。

◇まぁ、ともあれ、「何ごと体験」の精神で楽しく過ごして来てください。必ずまた行きたくなる筈ですから!