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※ここにお示しする文章は、アオテアロア/ニュージーランドで私が体験した、さまざまな出来事の中から印象深い出来事をアチコチに書き綴ってきたものの中から、いくつかをピックアップして載録してみたものです。ちなみに、これまでレンタカーを使っての走行距離だけでも、すでに4万qは走破しました。したがって、「もはや至らざる所なし!」といったほどに、レンガ岬からスチュアート島まで、国内の隅々まで訪問したことになります。ちなみに、スチュアート島まで乗ったセスナ機の場合は、舗装された滑走路ではなく、芝生の滑走路にバウンドしながらの離着陸でした。

【服装のこと】

 私がこの国でリラックスできることのひとつに服装のことがあります。すなわち、この国の人たちの多くは、日常的に実にカジュアルな服装をしています。それは教育機関や福祉機関の人たちとて例外ではありません。小中高等学校はむろんのこと、大学でもネクタイにスーツ姿のスタッフは稀で、ジーンズ姿のスタッフもよく見かけます。むろん、当然個人差はありますが。で、を占めることにひどく抵抗を感じている私自身は、この国のこうした習慣がとても気に入っているのです。

 ところで、特別な学習支援ニーズを有する子どもの学習支援にあたっているスタッフや福祉機関のスタッフたちの場合でも、日本のようにジャージ姿で支援活動にあたる人々は皆無です。このことについて、これまで特に聞いてみたことはありません。日本の場合は、介護支援を必要とする人たちは「汚れもの」ではないといった人権的な配慮から、あえて通常の服装で介護業務に当たっている施設職員たちもいます。しかし私の知る限り、どうやらこの国ではそういった観点や配慮からあえてジャージ姿を避けるのではないように私には感じられます。すなわち、善し悪しは別にして、通勤のための服装と仕事のための服装が同じなのです。

 さらに不思議なことに、この国には1日のうちに四季がある、といわれるごとく、ノースリーブの若者たちのそばでコートの襟を立てて寒そうに歩いている人たちの姿もごく普通に見かけます。実に不思議な光景です。また雨が降っても傘をささない人たちも多くいます。ちなみに、雨のことをレインではなく、シャワーと呼ぶ人たちが多くいます。

 ところで、マオリの人たちは入れ墨を入れる習慣を持っています。そのせいかどうか、この国の警察官の中には腕に入れ墨をした警察官も見かけます。習慣や文化というのは不思議なもんだなあとつくづくと思います。


【多文化国家の様相】

 この国の大学やポリテクニックなどのキャンパスを眺めていると、ここがいったいどの国のキャンパスかと思えてくるほどに多文化・他民族の学生たちで溢れかえっています。そのため、飛び交う言語も様々です。逆に言えば、「パケハ(ヨーロッパ系移民を祖先に持つ)の学生たちはどこにいるのか?」と思えるほどの様相を呈している、といったことでもあります。これは、ただ単に留学生の割合、といった意味のみならず、多民族国家であるこの国の現実そのものの姿を示す光景でもあります。特にオークランドでは、その傾向が顕著です。

 こうした、さまざまな人種や国籍の学生たちが同一キャンパス内にいる関係上、そうした学生たちへの学習支援サービスを策定せざるを得なくなります。つまりは、そうした支援サービスと同じラインの中に、機能的制約を有する学生たちへの支援体制も含まれてくることになるのです。つまりは、他民族・多文化国家の構築と、インクルーシヴ社会構築とは同一ラインにある、ということです。この国がインクルーシヴ社会構築のための有利な状況下にある、というこはこうした側面要素も大きく作用しているのです。


【音声入力ソフト】

 この国ではコンピューターを用いての学習が大変さかんです。それは特別な学習ニーズを有する人たちの学校においても同じです。そうした場では、さまざまなコンピューターソフトが、機能的な制約状態を持っている人たちにとって大変有効に作用しています。

 さて、わが国でも養護学校等でこうした福祉機器による学習支援サービスが盛んになりつつあります。しかし、ニュージーランドほどにはさかんではありません。その理由は、何よりも、言語です。すなわち、ニュージーランドでは、英語圏で作られたソフトウエアがそのまま活用できるのに対して、わが国の場合には日本語で動くソフトしか使えないからです。

 実は、今私はこの文章を、音声入力ソフトを用いて書いています。かなり進歩してきたとはいえ、まだまだ音声入力ソフトの精度はそれほど高くはありません。しかしこのソフトの精度が高まるにつれ、聴覚機能に制約状態を持つ人たちが通常の授業に参加することが可能となるはずです。さらには、音声入力文字をコンピュータを通して拡大文字としてリアルタイムにスクリーンに写し出すならば、視力の弱い人たちも容易に板書が容易になるはずです。その点、わずかに26文字をもって構成されるアルファベットの場合にはそれゆえに音声入力認識ソフトをの精度も高く、こうした福祉機器を用いてのアシスティヴ・テクノロジーが英語圏では非常に発達しているといえます。

 これまでは福祉支援の中でも、直接介護業務に関しては、どうしても人的なサポートが必要とされることが多くありました。しかしこれからは、このようにコンピュータソフトによって必要な学習支援がなされるようになるのではないかと私は思っているのです。


【マオリ文化】

 この国の主要都市では博物館や美術館が整備されています。オークランドにもクライストチャーチにも立派な博物館があります。もちろん首都であるウェリントンにもテ・パパ(Te Papa)と呼ばれる国立博物館があります。この博物館をていねいに見学しようとしたのならば、半日程度はかかってしまうくらいに大きな博物館です。いずれの博物館にもこの国の先住民族であるマオリの文化や歴史を紹介したコーナーか必ずあります。また、改築されたオークランド空港では、出入国者は皆マオリの彫刻によるゲートをくぐります。

 さて、ウェリントンには『ビーハイブ(蜂の巣)』と呼ばれるユニークな形をした国会議事堂のがよく知られています。実際に国会が開催されるのはその隣の建物ですが、そこは毎日決められた時間に館内の無料見学ツアーが行われています。それも、日本の国会議事堂のように、紹介者を通して初めて見学ができるような閉鎖的なものとは異なり、だれもが自由に見学できます。しかも、実際に会議が行われる議場の中にまで入ることができます。翌日テレビを見ていたら、私が入ったその部屋でのやりとりがテレビに映し出されていました。マオリ民族の人たちの議席も割り当てられていますし、さらには、マオリ議員の人たちが使用する部屋もあり、その部屋の内部はマオリ文化によって装飾されています。もちろん、この部屋も見学ができます。

 このように、この国では先住民族であるマオリ文化を正当に評価しようとする努力が続けられているのです。


【オープンドア】

 私は、自分の大学の研究室のドアをいつも開けたままにしています。それは私の勤務先の大学が女子大学であるといった事情もありますが、私がこの習慣を身につけたのは、かつて私がこの国で在外研究をした時の経験によるものです。

 この国では国土の広さの割には人口が少ないために、会社等の職場でも、個室がごく一般的です。したがって、お互いのドアをあけておかなくては仕事にならないのです。そのことは大学でも同様であり、教員たちが研究室にいる場合には、研究室のドアは開け放たれていつのが通常です。
 この国でのホームステイでの笑い話としてトイレのことがよく紹介されます。すなわち、日本の習慣のように、トイレを使った後に閉めておいたままにしておくと、その家の人たちは皆、そのトイレが使用中だとばかりに思い込んでしまい、だれもトイレを使用できなかった笑い話です。すなわち、トイレのドアが開いているということはそのトイレを使うことができる、といったことを意味するからです。

 さて、この国で私がことのひとつに服装のことがあります。大学などでもネクタイにスーツ姿のスタッフといったのはごくまれで、たいていはカジュアルな服装をしています。ジーンズ姿のスタッフも、けっしてまれではありません。さらにはお互いをファーストネームで呼び合うのが日常的です。それは教員どうしてもそうですし、事務系スタッフが教員を呼ぶときにもそうです。私は、自分の大学の同僚や学生たちに私のことをサン付けで呼んでほしい、といつもお願いしています。学生たちの方はすぐに対応できますが、同僚たち、すなわち他の教員たちや職員の人たちは、なかなか私のことをサン付で呼んでくれようとはしません。

 この国で、こうした習慣が日常的なのは、おそらくこの国が平等主義国家をつくり上げてこようとした、といった背景によるものではないかと私自身は推測しています。それに比べて、わが国の場合は、ことさらに上下関係を設定してみたり、権威主義的なシステムを踏襲してみたり、といった悪しき習慣から、なかなか抜け出せないでいるのです。そして私自身は、こうした形式にとらわれないこの国が何よりも好きなのです。


【カボチャスープのこと】

 レンタカーで見知らぬ田舎道を走っていたときのことでした。お昼時になったので、いつものように小さなティールームに立ち寄ってみました。この国では道路沿いに、よくこうした小さなティールームがあるのです。パン付きのスープを飲みたかったのです。しかしメニューにはありませんでした。私が「スープを飲みたかったのになぁ・・」と残念そうに言うと、いかにも気のいいといった風情のオバちゃんは「そうか、それじゃ、少し待ってなさいョ!」と言いました。やがて待つことしばし。オバちゃん特製のカボチャスープが出てきました。私は嬉しくてたまりませんでした。

 またあるときのことです。やはり海辺の田舎道を走っていて、夕方近くになったので、おジイさんが細々とやっている4部屋しかないモーテルに泊まることになりました。荷物を下ろし、近くの海岸まで車を走らせました。静かな海辺に車を止め、お気に入りのの歌を聴いていると、運転の疲れと、波の音に混じったステキな音楽とで、いつの間にかうたた寝をしてしまいました。しばしの眠りから覚めた私は、とっても幸せな気分を感じました。

 私自身が北海道の田舎育ちだったせいか、田舎の風情が数多く残るこの国は、いつも私の心を和ませます。しかも人情味あふれた田舎です。だから私はこの国のことを敬愛を込めて『偉大なる田舎国家』と表現しているのです。この国には「大きくなったらファーマーになるんだ!」と答える子どもたちが多くいます。第一次産業こそが、人が生きてゆくための重要産業です。


【車の転落事故のこと】

 1ヵ月半あまりのNZ(ニュージーランド)滞在を終えて戻ってきました。この時期、NZは冬から春への移行の季節です。したがって、私はセーターを着て過ごしました。週末には、よく近くのワインガロにある野外温泉に入るためにドライブをしました。今回のコワ〜イお話は、このとき起こりました。

 近くの丘でノンビリと草を食べているヒツジの姿を見ながら、ユッタリとした気分で温泉につかり、とても満足した私は、そこからタスマン海に面したレグランという海辺の町へと山道をドライブしていました。その道路は最近、新たに造られたジャリ道でした。

 以前の経験から、この国のジャリ道はとても滑りやすいことを知っていた私は、慎重に運転していました。そんなこともあり、狭いジャリ道の下りの急カーブにさしかかった時に、「こんな時に対向車が来るとイヤだな・・」と、フト思いました。その瞬間、突然ワゴン車が目の前に現われました。慌ててハンドルを切りました。しかし私の左側はガケです。そこでハンドルを切り直すと、ものの見事に車は左右にスリップをし始め、アッと言う間もなく車は左側のガケに滑り落ちてゆきました。そのとき私は「アア、これで自分は死ぬのかな・・ ここで死ぬと多くの人たちに迷惑をかけるな・・」と思いました。記憶があるのはそれまでです。

 フト気が付くと、私の頭上に助手席のドアがありました。私は「もしもこれが開かなければオシマイかな・・」と思い、「神サマ!」と祈ってドアを押すと簡単に開きました。まるでマンホールから地上に出るように車から脱出しました。ガケから5〜6メートル下でした。なぜか車の方向が逆向きになっていました。見ると、牧畜用のフェンスが私の車を受けとめていました。つまり、これがクッションの役目を果たしてくれたのでした。もしもこれがなければ・・ と考えるとゾッとしました。

 道路に這(は)い登った私は助けの車を待ちました。あまり車が通らない山道でしたが 、幸いスグに車が来て、止まってくれました。そして、またまた幸いに、その人は近くの牧場主でした。彼は自分の家(と言っても、広大な丘陵地帯の丘のうえに彼の家がありました)に私を連れてゆき、レンタカー会社に電話をしてくれました。事故処理のスタッフが来るまで、「新鮮な空気を吸えば気持ちが落ち着くから・・」と言いながら、散歩に誘ったり、お茶を入れてくれたりしながら、彼は私の相手をしてくれました。やがて一時間ほどして、事故処理の車が到着し、車をガケから引き上げました。もちろん、車はメチャメチャに壊れていました。それを見た人々が、不思議そうな表情で「どこもケガはしていないのか?」と私の姿を見ながら訊ねました。それでも、後でシャワーを浴びると、アチコチにスリ傷やアザができていました。

 私がこの事故を通してお伝えしたいことは、「人は皆、生かされている存在である」ということです。私の場合は、幾重(いくえ)もの幸運によってカスリ傷程度で済みまし た。しかし不運が重なれば、おそらくは大惨事となったことでしょう。ガケ下に向かって落ちてゆく車の中で、私は為す術(すべ)もなく、ただ恐怖にかられていました。それだけしかできませんでした。

 「生・老・病・死」、これは何人(なんぴと)といえども避けることのできない、人としての運命(さだめ)です。そして、老いや病(やまい)、さらには死が避けられないのであれば、そうした状況を、いかにして心豊かに自分のなかに受容しつつ生きるか、が大切なのではないかと思うのです。遠い南半球の地で、今回、私はそのことに深く想いを寄せたのでした。


【羊の国のクリスマス】

 一昨年と去年、私は同じ場所でクリスマスの時を迎えました。それはニュージーランドの南島にあるテカポ湖畔です。そこに『善き羊飼いの教会』という、日本からの観光客が必ず立ち寄る、石造りの小さな教会があります。

 テカポ湖の水はブルーとグリーンとの中間のような、実に美しい色をしています。昨年のクリスマスから年末にかけて、私はその湖畔のロッジで、ただひたすらテカポ湖を眺めながら過ごしました。最高のゼイタクでした。この写真は、その『善き羊飼いの教会』で行なわれたミサ(カトリックの礼拝)の様子です。窓の向こうにはテカポ湖の湖水が美しく広がっているのが見えます。

 ニュージーランドのクリスマスは質素ですが、とても楽しい出来事です。12月に入ると、救世軍というキリスト教のグループが北島のハミルトン市にある大きな市民会館でクリスマスコンサートを開きます。そして参加者全員でクリスマスソングを歌うのです。南島のクライストチャーチでは、その街を代表する大聖堂で、聖歌隊によるクリスマスキャロル・コンサートが三夜連続で開催されます。スバラシイの一言(ひとこと)です。そして12月25日の夜には、ビクトリア・スクウェアという大きな広場で、YMCAの主催による野外クリスマスコンサートが開催されます。何千人もの人々が、手にロウソクを持ちながらクリスマスソングを合唱するのです。その様子はテレビで全国中継がなされます。

 これに較べて、ハワイのクリスマスは驚くほどに静かでした。普段が活動的な分だけ、クリスマスは静かに過ごすのでしょうか。しかし赤道直下のシンガポールは、これとは逆でした。国際的貿易都市であるシンガポールのクリスマスは、それはそれは華やかで、デパートへ行っても聖歌隊がクリスマスソングを歌って迎えてくれるような雰囲気です。気温が30度を越すかのような中でのクリスマスというのも、何だか妙な気分がしたものでした。しかし、教会のバルコニーで歌われた、聖歌隊による美しいハーモニーのクリスマスソングを芝生に座りながら聴けたことは実に素晴らしい体験でした。

 さて、面白いことに、南半球であるニュージーランドでは、12月は当然、夏です。そのため、7月には「ミッド・クリスマス」なるものが行なわれるのです。「中間クリスマス」とでも表現するのでしょうか。お祭り好きのこの国らしいと思います。今年の7月にニュージーランドに滞在していたとき、ホワイトクリスマスのメロディーが流れるのを聴いて、「どうやらクリスマスは、やはり北半球が主流らしい・・・・」と感じたものでした。北欧のフィンランドのロヴァニエミという街にはサンタクロース村があることが良く知られています。以前、何とかそこへ行ってみたいと試みましたが、ついに果たせず、スウェーデンのストックホルムまでしか行けませんでした。新たな目標ができました。

 何だか、今回は旅行体験記のようになってしまいましたが、北海道育ちの私にとっては、やはりホワイトクリスマスが一番ピッタリきます。粉雪が舞い散る零下20度の北国の田舎で、ロウソクを片手に教会のメンバーたちと、街角でクリスマスソングを歌ったことが忘れられません。どうか、良きクリスマスをお迎えください。