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 モーセはモアブの平野からネボ山(やま)、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。・・ 主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」 主の僕(しもべ)モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。(申命記 第34章第1〜5節)

◇この聖書の箇所はモーセの最期の様子が書き述べられている箇所です。

◇モーセは80歳になった時に神さまからイスラエルの民を導くべし、とのご命令を受け、囚われの地であったエジプトからの脱出に成功しました。しかしその後、荒野を40年間もさまようこととなり、約束の地カナンを目前にして120歳でその生涯を閉じた人物です。(出エジプト記 第2章)

◇モーセは、かつて同胞であるヘブル人の為にエジプト人を打ち殺した、といった過去を持ち、かつ口下手でもありました。しかし荒野での40年間の中で忍耐の人へとつくり変えられたのでした。

◇さて、40年間にも及ぶ艱難辛苦を経ながら、神さまの忠実な僕(しもべ)としての歩みを懸命に為してきたモーセでしたが、ほんの些細な過ちによって約束の地へと入ることができず、その役割を後継者であるヨシュアに委ねることになったのでした。(申命記 第32章51節)

◇些細な過ちとは、イスラエルの民が水を求めてモーセに不平を言った時に、「岩に命じて水を出すように」との神さまのご指示に対して「杖で岩を2度、打った」出来事を指します。(民数記 第20章)

※これは「メリバの水」(メリバとは「争い」という意味で、民が神さまと争ったことを意味する)と称される箇所です。以前、イスラエルの民たちが、やはり水を求めた際の神さまのご命令が「岩を打って水を出せ」であっため、誤解をしてしまったのです。(出エジプト記第17章)

◇約束の地に入ることができないことを知ったモーセは、次のように神さまに願い求めました。

「・・どうか、私に、渡って行って、ヨルダンの向こうにある良い地、あの良い山地、およびレバノンを見させてください。」と・・。しかし神さまはモーセに「・・もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。ピスガの頂に登って、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたはこのヨルダンを渡ることができないからだ。」さらに「ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼はこの民の先に立って渡って行き、あなたの見るあの地を彼らに受け継がせるであろう。」と・・。(申命記 第3章25〜28節)

◇些細な過ち(メリバの水の出来事)は、直接的にはモーセの責任ではありませんでした。しかし神さまは民の代表であるモーセを厳しく罰せられ、モーセの後継者としてヨシュアを立てられ、ヨシュアが民を連れて約束のカナンの地へと入ることになったのでした。しかし哀れみ深い神さまは、モーセをピスガの頂に登らせ、そこで約束の地をしっかりと見せてくださったのです。モーセもまた、自らに与えられた役割を深く理解するに至り、約束の地を目の前にして静かに死んだのです。

◇私たちがこうしたモーセの生涯を考える時、いったい彼の役割は何だったのだろうか? との想いに至ります。神さまから一方的に召し出され、80歳を過ぎてから120歳で死ぬまでの間、艱難辛苦の連続の40年間でした。しかも約束の地を目前にしながら、その地へ入ることが許されなかったといった、まことに報われる事なき歩みでもありました。

◇先ほど私は、この1年あまりの、ささやかな活動について報告いたしました。私の働きは、仮設住宅での生活を余儀なくされておられる人たちが以前の生活を取り戻すに至るまでの間の一時的な働きにすぎないことを自覚しています。それまでの間、「寄り添い・支え合い・分かち合い」のまなざしをもって、必要と思われる働きを為すだけです。

◇人は誰しもが最終ランナーとなって栄光のゴールテープを切りたいと願うものです。しかしモーセの歩みから示されるように、私たちにとって大切なことは、神さまから自分に与えられている役割(召命:コーリング)を静かに受けとめつつ、希望のまなざしを持って淡々と歩む、ということなのではないかと思うのです。まさにモーセの生涯は中継ぎであったと思うのです。それゆえ私たちもまた、たとえそれが中継ぎ的な役割であったとしても、神さまの御声に忠実に聴き従ってゆく者でありたいと思うものです。

◇お祈りを献げましょう!  恵み豊かなる愛なる神さま。今朝はモーセの歩みを通して、中継ぎ信仰について学ぶことができましたことを感謝いたします。今回の大災害によって、今なお激しい痛みや悲しみを抱えながら歩んでいる被災当事者の方々を、愛の御手をもってお支えくださいますように。そして苦しみや悲しみの中にあっても、希望を抱きつつ歩むことができるために、私たち一人ひとりが、それぞれの立場で果たし得る役割を具体的にお示し下さいますように。この祈りを、尊き主イエス・キリストのお名前によって、信じてお祈りを申し上げます。ア〜メン!