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『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。』(ヨハネによる福音書 12:24 新改訳聖書)

◇昨年秋に,私は東京都東村山市にある「国立ハンセン病資料館」を訪れました。そこは,「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」、「ハンセン病入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」前文および第1条(趣旨)、第11条(名誉の回復等)に基づき,国が実施する普及啓発活動の一環として、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による,偏見・差別の解消,及び,患者・元患者の名誉回復を図ることを目的として運営がなされている資料館です。

◇ハンセン病は,らい菌による慢性の感染症です。有効な治療薬がない時代には,治ったとしても重い後遺症を残す場合があったために,外見的な理由によって,激しいまでの偏見や差別を受けてきました。しかし現在では,有効な治療薬が開発され,早期発見と早期治療とにより,後遺症を残さずに治るようになりました。

◇さて,わが国の社会福祉分野を代表する実践家であり,また優れた研究者でもある人物に,阿部志郎という人がおられます。以下は,その阿部先生が1977年に講演で語られた内容です。その講演の中から必要な部分をピックアップしながら,ご紹介したいと思います。

 子どもの頃,私は夢を持っておりました。大きくなったら実業家になりたい,と。実業家とは,お金持ちを意味していました。それで,賢明なのか,愚かなのか,私の夢を実現するいちばんの早道は経済学を勉強することだと思い,大学では経済学を専攻しました。・・

 大学を卒業する前の年の夏休みに,静岡県の御殿場でアルバイトをしました。その帰りがけに,御殿場の少し先,沼津寄りに歩いて約四十分のところにある神山という村を訪ねました。そこには復生の園というカトリックのライ(ハンセン病)の療養所があり,そこへまいりました。・・

 まだプロミンという薬ができる前のことで,療養所は悪臭に満ちていました。私は逃げて帰りたい気持ちになりました。初めてライにふれて,ショックを受けたからです。

 小さな治療室に案内されました。中に入りますと一人の患者さんと,一人の看護婦さんとが向かい合って,患者さんが左手を出し看護婦さんがその手を持って包帯をまいていました。包帯交換は当時のライ療養所では大きな作業でありました。毎日うみが出ますから毎日包帯を換えなくてはなりません。その包帯交換をしているところに私が入っていったわけです。二人が私を見て目礼をしてくれました。私も黙っておじぎをしました。見ますとその患者さんの鼻も耳も半分落ちて,ありませんでした。

 私は胸をつかれました。二人はハミングで(聖歌でありますが)歌を歌いながら,包帯交換をしていたのです。

 私はその時の看護婦さんを見て,美しいと思いました。きびきびした包帯交換の作業と,平和で穏やかな美しい顔との見事なコントラストにふれて私は非常に深い感動におそわれました。その時,私の中に聖書の一節がうかんでまいりました。キリストの言葉であります。これらのいと小さき者の一人になしたるは我になしたるなり−この小さい者の一人にしたのは私にしたのである,という言葉です。その中にある「一人」という言葉の意味が理解できたと思えたのです。・・

 その時,私が学びましたことは,社会は多数によって支配されているが,その中にいる「いと小さき者の一人」の幸せが確保されないかぎり,全体の福祉は存在しえないであろう,ということです。いと小さき者の一人の幸せが欠ければ全体の幸福も成立しない,と考えました。

 私にとってそれは衝撃的な出来事でありまして,その時から,私もこの一人の看護婦さんのように,いと小さき者の一人と共に生きたいという気持ちを持つようになり,実業の世界に出ることをあきらめ,社会福祉の仕事に入ったのです。一人の看護婦さんによって,私の人生は転換をさせられたのです。(阿部志郎「福祉の心」海声社 1987年 3〜7頁)

◇ここで阿部先生が語られている「一人の看護婦さん」とは,井深八重さんのことです。ちなみに,阿部先生が訪れた病院は静岡県御殿場市にある「神山復生(こうやまふくせい)病院」でした。

◇この神山復生病院は,1887年(明治20年)に,パリ外国宣教会のテストウィド神父が伝道の道すがら一人の女性ハンセン病者と出会い,社会で放置されたハンセン病患者の救済を思い立ち,御殿場市街に家屋を借用して6名の患者を保護したことから始まりました。その後,ハンセン病院として歩んできましたが,やがてハンセン病は特殊な病気ではなく一般病院で治療を受けるようになったこともあり,2002年4月に施設の再整備を行い,療養型の病床40床と,ホスピス病棟20床の計60床の病院として再編成されて運営がなされています。

◇さて,井深八重さんは,1897(明治30)年10月23日台北市で生まれ,1918(大正7)年に同志社女学校専門学部英文科を卒業した後,同年4月に長崎県高等女学校に英語教師として赴任をしました。しかし,翌年夏にハンセン病と診断され,神山復生病院に入院することになったのです。しかし,やがてこれが誤診であることが判明したため,当時の神山復生病院の病院長であった,ドルワール・ド・レゼー神父より退院を促されました。しかし極貧の神山復生病院において,レゼー神父が患者のために献身する姿に接していた井深八重さんは,そこに残る決心したのでした。当初は医師を志しましたが,医師免許状を取得するまでには長い年月を要するため,速成科の看護婦の道を選び,卒業後の1923年9月に神山復生病院に戻ってきたのでした。そのとき井深八重さんは27歳でした。それ以来,歴代の院長を助け,戦中戦後の困難を乗り切り,ハンセン病患者さんの支えとなって60有余年をおくり,1989年5月15日に92歳で召されたのです。

◇こうした井深八重さんの歩みについて,阿部志郎先生は,別のご著書において,次のように書き述べておられます。

 若き日に,井深さんは数奇な運命に見舞われた。長崎の女学校で教えているとき,ハンセン病として神山復生病院に送られた。本人は,そのときはじめて患者であることを知らされ,衝撃を受け,ただひとり置き去られたあと,数日泣き明かした。「一生の間に流す涙を一週間で出しましたから,もう泣く涙を持っていません」と井深さんは言う。

 突然いなくなった教師を慕う教え子からの手紙が,束になって回送されてくる。でも,返事をしたためることができない・・。社会と家族からまったく隔離された,うら若い女性の悲しみの深さをうかがい知ることができようか。入所した日から,名前も仮名に変わっていたのである。
 療養生活の一年が過ぎ,病気に疑いをもった院長のレゼー神父の勧めで東京で診断を仰いだところ,ハンセン病でないことが判明した。家に帰るように勧められたとき,井深さんが思いをはせたのは,悲惨な患者を見捨てるに忍びず「同僚の皆さんと交際できなくなる日が来るかもしれませんが,最後の恩典として,私の愛するライ患者と生死を共にするご許可をひたすらお願い申し上げます」と,百年前に病院開設を司教に嘆願したテストウィド神父のことだった。

 「もし許されるのならば,ここにとどまって働きたい」と申し出て,井深さんは看護師となり,文字通り病者と生死を共にして七十年−。
 不治の病に侵され,家族に去られ,地域から忌み嫌われれば,世をはかなみ人をうらむのが常であろう。それなのに,レゼー,岩下壮一両神父の影響もあろうが,ナイティンゲール賞,朝日福祉賞,母校から名誉博士号を受けるなど,高く評価される人物へと高められたことに注目したい。米国の『タイム』誌は,マザー・テレサに続く「日本の天使」と紹介した。

 私は,1948年に,井深さんの優しく気高い看護の姿に心打たれて福祉の道を選んで以来,敬慕の念を抱き続けてきた。誰しも井深さんの清冽な人格に出会えば魅せられたに違いない。

 井深さんは,人の徳を讃えて,自らを語らぬ人だった。受けた多くの栄誉や自分の功績を誇ったことがない。この人が口にするのは,人の徳を讃える言葉のみである。厳しく自己を抑制しながら,患者も訪問客も分けへだてなく,いつもニコニコと温かく包み込み,美しく上品な言葉で接した。人に優しく自分に厳しいアスケシス(自己抑制)が井深さんの人生を豊かにした。

 「お世話になりました。神様の待っておられるよいところに行きます。喜んで・・」と言い遺して1989年5月15日夕に,井深八重さんは微笑を浮かべているかのように安らかに生涯を閉じた。そして,さきに天に召された患者とともに病院の墓地に葬られた。(阿部志郎「福祉の哲学」誠信書房 1997年 27〜29頁)

◇「ガラテヤの信徒への手紙 第2章20節」には,『生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。』と記されています。さらに,同じ「ガラテヤの信徒への手紙 第5章 22・23節」には,『霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。』と記されてあります。

◇まさに自らに与えられた摂理に従って忠実に歩んだ井深八重さんの歩みは,この御言葉,すなわち聖書の言葉が示している歩み,そのものであったと言えるのではないかと思うのです。

◇最後に,本日,示された聖書の言葉を,もう一度,拝読したいと思います。
『・・一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。』(ヨハネによる福音書 第12章24・25節)

◇お祈りをいたしましょう。
 恵み豊かなる愛なる神さま。今朝は,その生涯をハンセン病患者さんと共に歩んだ井深八重さんを通して,神さまの深き摂理について学ばせていただくことができたことを感謝いたします。私たちの生涯においては,予期せぬ激しい試練や困難に出会うことがあります。しかし,そうした苦しみや困難は,自らの人生を本当の意味で豊かに導いてくれるための,愛なる神さまからのご配慮であることを井深八重さんの歩みから学ばせていただいたことを感謝いたします。どうか神さま。今年一年,この学舎(まなびや)に集う,すべての学生たち,および教職員たちの歩みを豊かに導いてくださいますよう・・。苦しみや悲しみの中にあっても,愛なる神さまのご配慮を信じつつ,歩むことができますように・・。この祈りを,尊き主イエス・キリストのお名前によって,信じてお祈りを申し上げます。ア〜メン!