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『・・あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。』(マタイによる福音書 第25章40節)

『・・あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。』(マタイによる福音書 第25章40節)

◇この聖書の箇所は、主イエス様が弟子たちに語られた喩(たとえ)の中でも大変よく知られている箇所です。そしてこの喩は、福祉支援の在り方を考えるうえで重要なまなざしをそこに含んでいます。

◇ここで主イエス様は、「最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」とのべておられます。大きな者や多くの者ではなく、最も小さな者にしたことが、主イエス様にしたことと同じである、と言われたのです。まさにこれこそが福祉支援の本質だと私は考えます。なぜなら、福祉とは、大きな者や多数(つまりは強者)ではなく、常に少数(つまりは弱い立場に置かれた者たち)に心を寄せる働きであるからです。さらに主イエス様は、ただ単に小さき者ではなく、最も小さき者に対することである、と言われたのです。そのことは同時に、主イエス様ご自身が、いつも最も小さき者の中におられるのだ、ということでもあります。主イエス様がルカ福音書において、『神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。』(ルカ17:21)と言われたのは、主イエス様ご自身が、いつも私たちの「ただ中」にいて下さっておられるのだ、ということなのです。

◇さて、私は肢体不自由児養護学校での臨床実践から職業人生を始めました。最初の頃は保護者の人から、「もう限界です。あす、この子を連れて死にます!」などといった切迫した言葉を聞かされるたびに、ひどく心が動揺したものでした。

◇仮に愛ちゃんと呼ぶことにします。愛ちゃんという、当時六歳の重度状態の子どもがいました。愛ちゃんの母親はいつも、「この子は私が母親だということを理解してくれてはいないのです・・」そう寂しそうに語っていました。重度状態のために、認知能力が弱かったからです。愛ちゃんはキラキラ光るものが好きで、スクールバスのなかで、よく私の腕をペロペロと舐めながら私の腕時計を見つめていたものでした。時計が光に反射してキラキラしていたからでしょう。そんな子どもでした。

◇私は毎日のように帰りのスクールバスを見送るのを常としていました。毎日おもいっきり手を振ってスクールバスを見送るのです。なぜなら、それがそのまま最期となってしまった子どももいたからでした。ある日のことでした。私が帰りのスクールバスの中に入ると、愛ちゃんの母親が、わが子に向かってこう語りかけている姿に偶然、出会ってしまいました。愛ちゃんの母親は、愛する我が子に向かって、「愛、長生きして欲しいけれど、あなたはお母さんが死ぬ少し前に死んでね!」そう静かに語りかけていたのです。誰もいないバスの中で、そんなことがありました。そして、それがまるで昨日のことのように鮮やかに思い出されてくるのです。それほど私にとっては衝撃的な出来事でした。そこには「自分が先に死んだら、この子はいったいどうなるのだろう?」といった気持ちがあったことは明らかだったからです。言葉を換えるならば、「この子を残して私は死ねない。この子よりも一日だけでも長く生きたい!」との当事者たちによる悲しみの言葉は、今なお続いているのです。

◇「当事者たちが有する、こうした悲しみや苦しみが少しでも軽減でき、その人が有する特性や状態が充分に尊重され、その人らしく生きることができるようになること。そして当事者ご本人や、その周辺の人たちが安心して生活できるような世の中をつくらなければならない!」「どんな状態の人でも生まれてきて良かった、と心から思えるような社会状況を作りあげるために私自身の微力を尽くそう!」そのとき、まだ二十代であった私自身の生きる姿勢、すなわち軸足がしっかりと定まったような気がするのです。

◇さて、私は大津波による甚大な被害を被った名取市閖上地区の被災住民さんたちに加えて、福島県の飯舘村や浪江町の原発避難者さんたち、さらには南相馬市の大津波と原発による複合被災者さんたちが生活しておられる仮設住宅において、国内外の心ある方々から献げられた外部資金を活用して、みんなで自由に歓談できる場としての「お茶会」を開催しています。この「お茶会」も、間もなく70回を数えます。

◇被災住民さんからお話を聴かせていただき、大津波でそのすべてを失った人たちの悲しみや苦しみとは異なる悲しみに触れました。ご自宅を含めて、目に見える風景はまったく変わってはいないのに、「見えざる恐怖」に追いやられるようにして集団避難を余儀なくされている、といった悲しみであり、苦しみだからです。飯舘村のある住民さんが、私に、「ずっと前に、村にダムができることになり、ダムの底に沈む集落の人たちが悲しそうに村を去って行ったが、今、自分が村に住めなくなってみてはじめて、その人たちの悲しみがよく分かってきた・・」そう寂しそうに語ってくれたことがありました。

◇私が飯舘村や浪江町の被災者たちに関わることを願ったのは、学生たちの保育・教育実習の関係で、ときおり訪問してきた地域だったからです。「日本には、まだこのような牧歌的なところがあるのだなぁ・・」と思えるような、実にのどかな地域でした。そうした豊かな自然に恵まれた地域で平穏に生活していた人びとが、突然の原発事故で翻弄(ほんろう)され、地域社会が崩壊状態に陥ってしまったのです。やがて除染作業が終わり、自宅に戻れたとしても、子育て世代が戻る可能性は薄いのです。地域崩壊により、先が見えない状況に追い込まれてしまっているのです。実に気の毒です。

◇私たちは当事者たちの辛さや悲しみを代わって担ってあげることはできません。私たちは、ただ静かに悲しみに寄り添うことしかできない場合が多くあります。それでも、かぎりなき受容的・共感的理解のまなざしをもって静かに寄り添いつつ、悲しみを共有したい、そう願うのです。

◇ところで、私がこうした支援活動を行ってゆく中で、深く教えられ、気づかされ、そして反省させられたことがあります。それは、先ほどの御言葉に示されているように、私たちは皆、等しく最も小さい者のひとりである、といったまなざしです。それゆえ、ゆめゆめ強者的発想、つまりは、「自分が支援をしてあげるのだ!」などといった高慢な姿勢を持ってはならない、ということです。私たちは神さまの前においては、皆等しく罪人の一人にしか過ぎません。ただ主イエス・キリストの十字架上の贖(あがな)いを信じる信仰をもってのみ、歩みを赦されている存在に過ぎないのです。そうした愛なる神さまからの一方的・絶対的なご恩寵を忘れてはならないのだと思うのです。

◇主イエス様は「強き立場」つまりは強者のまなざしをもって人々に関わられたことはありませんでした。ご自身は神の、御ひとり子でありながら、常に弱き人びとと同じ地平で歩まれました。そしてついにはその窮(きわ)みともいえる、あの十字架上で死なれたのです。

◇私たちは「いと小さき者と共に」といったまなざしをもって歩みを為してはなりません。なぜなら、こうした表現は、一見いかにも美しい響きですが、これは「強き立場」、つまりは強者の論理なのです。そうではなく、皆等しき「いと小さき者」としての歩みを為さなくてはなりません。そして『あなたの隣人(となりびと)をあなた自身のように愛する』(マタイ19:19 、レビ記19:18)歩みを為さねばならないのだと思うのです。

◇人は弱き人びとと歩むことを願ったときに、自らの立ち位置を明確に確認できるような気がするのです。突如として起きた悲劇によって激しく傷つき、弱り果てている人たちの傍(かたわ)らに心を込めて寄り添うことに自らの想いを定めたとき、人は確かなる基軸(生きる座標軸)をそこに確認することができるのではないかと思うのです。そして、同じ地平で歩むことの大切さを教えられるのです。

◇人は皆、不完全な存在であり、そうした不完全なる自らを健全に受け容れている者こそが他者の在り方をも受け容れることができるのだと思うのです。弱き自分なればこそ、同じく弱き他者の在り方を受け容れることができるのではないかと思うのです。時には呆然とした想いで立ち尽くしつつも、それでもなお悲しみの深き淵に沈んでいる人たちの傍らに静かに寄り添い、支え、仕え、そして苦楽を分かち合おうとするまなざしを持つことができるのではないかと思うのです。

◇世の中は、心あたたまるような出来事ばかりが起こるわけではないことは承知しています。むしろ心がすり切れるような、辛く悲しいことも数多く起きます。それでも、と思うのです。もしも「心あたたまる」を「愛」、「心がすり切れる」を「傷」と譬(たと)えるならば、お互いの愛で、お互いの傷を包み込むような人間関係や社会が構築できたらどんなに幸いだろうかということを・・。お祈りをいたしましょう・・。

 恵み豊かなる、愛なる神さま。今朝のチャペルを感謝します。私たちは皆、等しく「もっとも小さき者」です。そうしたまなざしをもって、お互いをみつめ、仕え、支え合うとき、それが、すなわち神さまに対することであることを教えられましたから、ありがとうございます。今日一日、そして今週の歩みが護られますように。とりわけ、悩み・悲しみ・苦しみの想いで歩んでいる人たちを、お支えくださいますよう・・。この祈りを、尊き主イエス・キリストのお名前によって、信じてお祈りを申し上げます。ア〜メン!