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※ここに紹介するのは、私がかつて学んだ聖書神学校で教えを受けた佐藤陽二牧師の著書類を要約したものです。これによって、聖書学(キリスト教神学)の基礎を学ぶことができるものと思われます。


佐藤陽二著『正典的聖書解釈』の内容要約

<あとがき>より

従来の聖書解釈:
(1)聖書のありのままを素朴に読むことによる解釈
(2)四つの聖書批評(資料批評・様式批評・伝承批評・編集批評)に基づく解釈

*(1)の読み方は聖書の神髄をとらえるために一番良い方法である。しかし困難な箇所に出合うと解釈が不可能となる場合がある。
*聖書批評による解釈は、聖書の構造を分解してしまい、全体としての聖書の姿をとらえきれなくなる危険性(欠点)を有する。
*正典批評(正典的聖書解釈)による解釈は、それらの批評学を足場にしながら、なぜ今のような形で表現されているのかを問題にする。
*したがって、正典的聖書解釈とは、信仰共同体の正体(私たちは何なのか)と、信仰共同体の生活の仕方(私たちは何をなすべきか)との視点より、今の構造そのままの聖書を解釈する。それゆえ、固定性と応用性とを求めて解釈を行なう。


(1)聖書解釈のかぎ

「神は言われた、『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい』」(創世記22:2)
(a)解釈上の三つのかぎ
*聖書を解釈する上で大切なことは、
第一に「その箇所に道徳的評価を加えて説明をしようとせず、ありのままに読むこと」第二に「自分を低いほうの立場に置くようにすること」
第三に「神の側を真剣に取り上げること」である。
(b)神の約束
*アブラハムの行為を道徳的に弁明しようとせずに、神の意図を真剣にとりあげるとき、聖書が示す真理が理解されてくる。それが聖書を正典として読むということである。
(c)神の命令
*アブラハムのように神の命令を第一としながら忠実に従っていく時に、必要なものが与えられ、神の命令の真の意図が理解されてくる。

(2)神の大いなる導き

「モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かたれた」(出エジプト記 14:21)
(a)紅海か葦の海か
*ヘブル語の旧約聖書がギリシア語に翻訳された時に「葦の海」が「紅海」となった。
(b)何が起こったのか
*聖書の表現は矛盾しているように記されている箇所があるが、「神の導きによって古代のイスラエルの民が葦の海を渡り切ることが出来た」という解釈が重要である。
(c)問題の解決
*聖書の記事をありのままに読むときに、神に対する態度と、各人の生き方とを聖書から学び取ることが出来るようになる。また生きた神と出合うようになっている。
*かつてのイスラエルの民を導かれたように、私たちの人生上の困難も、大きな導きによって解決して下さる。

(3)聖書はほんとうなのか

「ろばは主の使いを見てバラムの下に伏した。そこでバラムは怒りを発し、つえでろばを打った。すると主が、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに向かって言った、『わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです』」                         (民数記 27:27〜28)(a)ろばは何語で話したのか
*このような問い掛けで聖書に接するのは正しい取り組み方ではない。
(b)正しい読み方
*聖書はその表現を用いて、何を伝えようとしているのか、と考える態度が聖書に対する正しい取り組み方である。
*聖書の批評的研究を足場にして、その資料がその箇所で用いられている意味を思いながら解釈するのが正しい聖書解釈である。それを「聖書の正典的解釈」と呼ぶ。
(c)神にはできる
*神には不可能を可能とされる、という事実を「ろばは何語で話したのか?」といったレベルではなく、正しい流れのなかで解釈(そのことを通して神が何を伝えようとされておられるのか)をすることが大切である。

(4)心をひるがえして生きよ

「あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか」(エゼキエル書 33:11)
(a)望郷をうたう
*古代イスラエルの民がバビロン補囚となっていた時に、「自分は何者なのか」が中心問題であった。
(b)正典の起源
*正典としての聖書は、信仰共同体の次の問いに答える。
第一に「わたしたちは何者なのであろうか」
第二に「わたしたちは何をなすべきであろうか」の二つである。それが正典としての聖書ということである。
(c)必ず生きる
*神は悪をさばかれるが、しかしその悪に気づき、悔い改めを行なうならば、神はその悪や失敗を恵みに変えて下さる。

(5)同じ聖句も状況によって

「アブラハムはただひとりで、なおこの地を所有した。しかしわたしたちの数は多い。この地はわれわれの所有として与えられている」(エゼキエル書 33:24)
(a)ふたりの説教者
*解き明しを受ける聴衆の信仰的態度の相違によって、説教者の解釈と応用と訴え方が異なってくる。それが正しい聖書解釈であり、生きた説教である。
(b)読み出しと読み入れ
*聖書を読む場合には、「読み出し」と「読み入れ(応用的解釈)」とを正しく行なわなければならない。それは神が現状をどう見ておられるかを読み入れることである。そこに聖霊の働きがある。
(c)正しい預言者
*エゼキエルもイザヤも、そのときの時代背景や民たちの現状に即した預言を行なった。どちらも正しい預言者となった。
*同じ聖書のみ言葉も、現状によっては否となり、然りとなる。解釈者の神の前における現状分析が、その鍵となる。

(6)律法の意味−旧約と新約

(a)正典としての聖書
*旧約聖書と新約聖書とを分けて考えることは間違いである。
*聖書を正典として理解するために律法をどう理解するかが非常に大切である。
*正典(カノン)とは、信仰と生活の規範ということである。
*聖書の記者は、第一に「聖霊の筆あるいは舌として用いられ」、第二に「人間としての限界を有している」ということである。
(b)聖書の解釈
*聖書を解釈するということは、批判的研究によってではない。
*解釈をするということは、今の形にまとめられている聖書から、その本文の意味を読み出すことである。
*したがって、正典としての聖書は、聖書の本文と、一つの信仰共同体との相互関係において理解されなければならない。
(c)律法か福音か
*「トーラー」という言葉は「教え」と「律法」の二つの意味を有している。
*トーラーには、常に福音と教え(律法)の二つの要素が含まれている。
*新約が旧約の完成であると見るときに、新約をよく理解できるようになる。
*私たちが罪あるままで正典としての聖書を読む時に、神の愛を知り、生命が与えられるようになる。そして聖書が私たちの現代生活における信仰と生活の規範となってくる。

(7)正典的聖書解釈

(a)否と然り
*解釈とは、与えられた本文から意味を読み出すことである。
*聖書を読む場合は、その本文に現在の立場を読み込むことも必要である。
(b)正典としての聖書
*正典としての聖書は、信仰と生活との規範となるように解釈されなければならない。
*正典的解釈には、聖書の本文に書かれているとおりの意味を正統な方法で決定することと、その意味の現代的表現を正統な方法で決定するという二つの基本的作業がある。それが聖書の不変性と適応性である。
(c)聖書批評学と正典的解釈
*このような正典的解釈に到達するまでには、種々の解釈法がなされてきた。
*それが資料批評であり、様式批評であり、伝承批評であり、編集批評である。そして、最後に正典批評である。
*資料批評・・例えば、モーセ五書のJ資料・E資料・D資料・P資料
*様式批評・・これらの資料をさらに小さく分類して解釈する
*伝承批評・・種々の伝承の結びつきに関心を寄せて解釈する
*編集批評・・最終的編集に対して興味を持つ研究方法(例えば、共観福音書の各書の違い等)
*正典的解釈の立場は、ジェームス・サンダース、ブレバード・チャイルズ、ジェームズ・バー等がいる。
*正典としての聖書の働きは、次の二つの質問に答える。第一は「信仰共同体である私たちは、いったい何者なのであろうか」ということ。第二は「私たちは何をなすべきなのであろうか」ということである。聖書は、これらの二つの問いに答えるために、正典として編集されたのである。
*聖書解釈には固定性と適応性の二つがある。
*したがって、資料批評・様式批評・伝承批評・編集批評などの研究方法を用いながら正典的解釈を行なうのが、本来の聖書解釈である。すなわち、それらの批評的方法を用いながら、聖書本文のありのままの意味を読み出し、その意味を現代に適応させることが必要である。


(2)聖書概説」より

【古典と聖書】:聖書は一般の古典とは異なる
【正典としての聖書】:聖書は神の働きの記録と、私たちが神に対応するための触媒の働きがある。
【正典の意味】:聖書が信仰と生活の規範であること
【聖書の内容】:旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻
【聖書の成立】:旧約聖書が紀元1世紀の終わり、新約聖書が紀元4世紀である

c固定と応用
*聖書を「固定的」に、また「応用的」に解釈する。これが聖書を正典的に解釈するということである。
*「固定的」に解釈するということは、いったん聖書の構造や配列が定められ、その内容が決定されれば、それに対して何ものも付け加えてはならないということである(申命記 4:1、ヨハネの黙示録 22:18-19)。
*「応用的」に解釈するということは、今の時代に対して、その本文はどのような意味を持つかを考え、生活に当てはめながら本文を読むようにする、ということである。


(3)正典批評
*正典批評は、前述の四つの歴史批評が、究極的には本文の意味決定には不充分であったことから出発した解釈学である。
*【正典】:信仰と生活の基準。旧約聖書は1世紀に、新約聖書は4世紀に「正典」として今の形に編集された。

正典的聖書解釈の方法には、次の6つがある。
a聖書は神とキリストの働きの記録と、神とキリストに出合うための媒体である。
b正典は「本来の在り方」と「生活の仕方」を求めて編集されたものであるから、解釈者はそうした視点で聖書を解釈しなくてはならない。
c聖書は正典としての構造を有しているのであるから、今ある、ありのままの構造を保持して読むべき必要がある。
d聖書本文の「固定的意味」と、その「応用的意味」を合わせて読み取るようにする。
e聴衆、あるいは読み手の現状に合わせて、本文を本来的な慰めの言葉として読むか、現状を反省するために預言者的な警告として読むかを決定しなくてはならない。
f旧約聖書も新約聖書も、イエス・キリストを中心として、そこからの光で解釈を行なう。


佐藤陽二著:『聖書学』の内容要約

(A)神学とは

(1)神学:信仰を厳密にとらえる学問である。一般の学問に比して、その対象と方法とが異なる。神を愛する心がなければできない学問である。
(2)聖書:神の自己啓示の記録である。

(B)神学の領域

(1)神学の四部門
a第一が「聖書部門」=「聖書神学」
b第二が「教義部門」=「組織神学」
c第三が「歴史部門」=「歴史神学」
d第四が「実践部門」=「実践神学」

(2)聖書神学
*旧約聖書神学と新約聖書神学とに分かれる
【旧約聖書神学】:旧約聖書の信仰と思想とを、新約聖書とイエス・キリストとの関連において組織的に述べる学問
【新約聖書神学】:新約聖書の信仰と思想とを、イエス・キリストとの関連において組織的に述べる学問

(3)組織神学
*教義学、あるは教理学とも称される
*キリスト教倫理学や弁証学も含まれる
【組織神学】:聖書神学によって提供された聖書の信仰と思想とを、現代人にわかる言葉で組織的に述べる学問。聖書の神観、人間観、救い、罪等を明確に分かるように体系づけ、現代人に当てはまる真理であることを明らかにする。
【弁証学】:キリスト教の真理が、哲学や自然科学と矛盾しないことを明らかにする学問
【論争学】:教会内の異端を論破するもの
【キリスト教倫理学】:聖書に示されている真理を信仰によって受けとめ、それを理性で整理する。すなわち、主イエスの十字架による罪の贖いを通して「われら何をなすべきか」(使徒行伝 16:30)を体系づける。

(4)歴史神学
*歴史神学とは、歴史上に存在した教会の信仰を、史的方法で叙述する学問。そのなかには、教会史・教理史・キリスト教思想史(キリスト教美術史やキリスト教音楽史を服務)等がある。
【教会史】:神の栄光と救いの意志とが、歴史上の教会を通してどのように現われたかを体系的に叙述する学問
【教理史】:キリスト教の信条が、いかにして成立したかを叙述する学問
【キリスト教思想史】キリスト教の信条と既存の思想体系との対決の歴史を叙述する学問

(5)実践神学
*聖書の真理を実際に応用して伝道し、牧会し、生活形成していくための応用学問。その中には、説教学・牧会学・礼拝学・教会政治学・牧会カウンセリングがある。
【牧会学】:教会員の魂への配慮に関する学問
【教会政治学】:教会管理や教会運営についての学問
【礼拝学】:礼拝、典礼、儀式の本質と方法とに関する学問
【牧会カウンセリング】:和解と癒しと成長という教会の牧会活動のための、カウンセリングによる方法で、結婚カウンセリング、家族集団療法と交流分析、支持カウンセリング、危機カウンセリング、委託カウンセリング、教育牧会カウンセリング、集団的牧会カウンセリング、対決カウンセリング等がある。
【説教学】:説教の定義、構成、話し方について研究する学問
*説教とは、聖書に記されている神の働きを教え、神とキリストとに出会うように宣言をすること。
*説教の種類には<主題説教><聖句説教><講解説教>がある。
*構成は、起承転結の構造を用いるのが一番良い。
*主題説教の場合は、どの部分に聖句を用いても良いが、聖句説教の場合は、<承>で聖句の説明をし、<転>でその応用を話す。証しの場合は、<転>で聖句を引用する。
*講解説教の場合は、本文から与えられた三つの聖句を中心に、それらを<承>と<転>の部分で話す。
*どの説教の場合も例話を入れる
*明るく、肯定的に、正確に、熱意をもって話すことが重要である。
*与えられた説教の時間は正確に守る


(C)聖書学とは

(1)聖書学
*聖書から神の言(ことば)を聞くことができるように、聖書を読む指導を行なう学問
*聖書学には、聖書緒論・聖書解釈学・聖書神学・聖書正典学がある。その他の補助課目として、聖書考古学・聖書地理学・古代イスラエル史・写本学・聖書言語学がある。
【聖書緒論】:聖書解題、あるいは聖書各巻概説(著者・著作年代・内容・執筆事情・使信)を指す。聖書概論とも称される。
【聖書神学】:旧約聖書神学と新約聖書神学とがある
【聖書正典学】:現在の旧約聖書39巻と新約聖書27巻とが、いかに正典とされたかを研究する学問。正典とは信仰と生活の規範を意味する。
【聖書考古学】:聖書の世界から発見された古代の遺物を研究する学問。
【聖書地理学】:神の救いの歴史の舞台となった地方の風土を研究する学問。
【古代イスラエル史】:救いの歴史の器として用いられた民族を研究する。
【写本学】:パピルス、羊皮紙、子牛の皮などに筆写された聖書の本文を研究する学問。聖書は1477年に詩篇が印刷されるまでは、すべてが筆写されていた。
【聖書言語学】:ヘブル語・アラム語・ギリシャ語の語学を指す。

(2)聖書概説」より

【古典と聖書】:聖書は一般の古典とは異なる
【正典としての聖書】:聖書は神の働きの記録と、私たちが神に対応するための触媒の働きがある。
【正典の意味】:聖書が信仰と生活の規範であること
【聖書の内容】:旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻
【聖書の成立】:旧約聖書が紀元1世紀の終わり、新約聖書が紀元4世紀である

*以下、新旧約聖書各巻の概説を記す。

旧約各巻

【創世記】【出エジプト記】【レビ記】【民数記】【申命記】【ヨシュア記】【士師記】【ルツ記】【サムエル記上】【サムエル記下】【列王紀上】【列王紀下】【歴代志上】【歴代志下】【エズラ記】【ネヘミヤ記】【エステル記】【ヨブ記】【詩篇】【箴言】【伝道の書】【雅歌】【イザヤ書】【エレミヤ書】【哀歌】【エゼキエル書】【ダニエル書】【ホセア書】【ヨエル書】【アモス書】【オバデヤ書】【ヨナ書】【ミカ書】【ナホム書】【ハバクク書】【ゼパニヤ書】【ハガイ書】【ゼカリヤ書】【マラキ書】

新約聖書各巻

【マタイによる福音書】【マルコによる福音書】【ルカによる福音書】【ヨハネによる福音書】【使徒行伝】【ローマ人への手紙】【コリント人への第一の手紙】【コリント人への第二の手紙】【ガラテヤ人への手紙】【エペソ人への手紙】【ピリピ人への手紙】【コロサイ人への手紙】【テサロニケ人への第一の手紙】【テサロニケ人への第二の手紙】【テモテへの第一の手紙】【テモテへの第二の手紙】【テトスへの手紙】【ピレモンへの手紙】【ヘブル人への手紙】【ヤコブの手紙】【ペテロの第一の手紙】【ペテロの第二の手紙】【ヨハネの第一の手紙】【ヨハネの第二の手紙】【ヨハネの第三の手紙】【ユダの手紙】【ヨハネの黙示録】

(1)聖書の内容
*旧約・新約の「約」とは「契約」ということである。
*それは神と人間との契約を意味している。
*古い契約が「旧約」であり、新しい契約が「新約」である。
*<旧約聖書>・・古代イスラエル民族を通して、神が人類にご自身を示された記録が示されている。すなわち、神は天地の創造者であり、人類がその神の意志に従って生きるときに祝福がある、という約束である。これが「古い契約」である。
*<新約聖書>・・・古代イスラエル民族が、人類に神を示すといった使命を与えられたにも拘らず、それに失敗をした。そこで神は、古代イスラエルの中から救い主(キリスト)を誕生させ、彼を通して全世界に救いの道を開いた。これが「新しい契約」である。

(2)旧約聖書・新約聖書の歴史

(3)聖書の成立
*旧約聖書のヘブル語聖書が完成したのが、紀元1世紀の終わり頃のヤムニヤで開かれた会議で決定された頃である。ヘブル語聖書は、歴史書・預言書・緒書の三つに分けられている。
*新約聖書が成立し、正典とされたのは紀元4世紀(397年)のカルタゴ会議である。新約聖書の最初の書物である「ガラテヤ人への手紙」が書かれたのが、紀元49年頃である。福音書や手紙の大半は、紀元50年〜100年の間に書かれた。その後、紀元200年頃になって、現在のような形をとるようになった。

(4)聖書の配列順序
*現在の聖書の配列は、ギリシア語訳の旧約聖書(70人訳)の配列順序に従っている。*ヘブル語聖書の配列順序は、律法と歴史書・預言書・詩歌を含む緒書の順である。
*ヘブル語旧約聖書とギリシア語旧約聖書の配列順序が異なった理由は、
<第1に>、ダビデやソロモンの時代(詩歌の部分)が、ホセアやイザヤの時代(預言者の部分)よりも早期であったため。
<第2に>、旧約聖書の預言者が、その預言の成就である新約聖書の福音書の直前にくる必要があった。
<第3に>、神の啓示が、まず歴史書という過去において、次の詩歌という現在において、そして預言書という未来において明らかにされていることを示す為、であったため。
*新約聖書の配列は、ギリシア語旧約聖書の配列順序に従い、過去・現在・未来の形の福音書と使徒行伝(歴史書)、手紙(詩歌)、黙示録(預言書)の順序となっている。

(5)聖書の読み方
a心を開く
*「しもべは聞きます。お話ください」(サムエル記上 3:10)の幼きサムエルのような態度で聖 書を読むべきである。
*心から聖書を読むということは、私たちは何者で、何をなすべきか、を問い掛けながら読むということである。

bキリスト中心
*キリスト中心に読む。したがって、新約聖書の福音書から読む。
*旧約聖書を読む場合は、キリストの教えと、十字架と復活の救いの業の「光」で読むことが大切である。
*キリスト教は、キリストの光、つまり新約聖書の光で旧約聖書を理解する。

c固定と応用
*聖書を「固定的」に、また「応用的」に解釈する。これが聖書を正典的に解釈するということである。
*「固定的」に解釈するということは、いったん聖書の構造や配列が定められ、その内容が決定されれば、それに対して何ものも付け加えてはならないということである(申命記 4:1、ヨハネの黙示録 22:18-19)。
*「応用的」に解釈するということは、今の時代に対して、その本文はどのような意味を持つかを考え、生活に当てはめながら本文を読むようにする、ということである。

d本来的と預言者的
*聖書の同じ本文を、ある場合には本来的(文法的−歴史的、正典的)に読み、ある場合は預言者的(読者と信仰共同体に悔い改めを求めるために挑戦し、応答を要求するように本文を解釈すること)に読む、ということである。

e正直と謙虚と余裕
*聖書は、正直に(聖書に書いてあるままに)、謙虚に(聖書に示されている、低い立場に自分を置く)、ユーモアをもって(自分中心ではなく、余裕をもって神を中心にすること)読まなければならない。


(2)聖書解釈学
*聖書から神の言(ことば)を聞くように、種々の手段を用いて、聖書を解釈していく方法の こと。注解:本文および字句の意味を決定すること
【解釈】:本文の固定的意味のみならず、現代的応用の意味も含まれているもの。
<文法的聖書解釈>・・聖書本文の字句の意味と文法的意味を決定する。
<歴史的聖書解釈>・・本文の歴史的背景を見ながら、テキストの意味を考える(すなわち「聖書批評学」のこと)。
<聖書批評学>・・資料批評・様式批評・伝承批評・編集批評がある。そして統合的なものとして正典批評がある。「批評」とは「厳密」という意味であり、「聖書を批評する」といった意味ではない。
*これらの五つの批評学に対して「本文批評」が存在する。これは聖書の本文を決定する最も基本的なものである。そしてこれは「下層批評」とも呼ばれている。それに対して「高層批評」が先の五つの批評学である。
【資料批評】:モーセ五書が異なる資料(J・E・D・P)で編集されたと主張する。
【様式批評】:資料をさらに細かく分類し、それらがどのような場面で用いられたかを研究する。
【伝承批評】:種々の伝承がどのようにして今のように結び合わせられたのかを研究する。【編集批評】:旧約聖書と新約聖書の最終編集の神学的意図に興味をもつ

(3)正典批評
*正典批評は、前述の四つの歴史批評が、究極的には本文の意味決定には不充分であったことから出発した解釈学である。
*【正典】:信仰と生活の基準。旧約聖書は1世紀に、新約聖書は4世紀に「正典」として今の形に編集された。

正典的聖書解釈の方法には、次の6つがある。
a聖書は神とキリストの働きの記録と、神とキリストに出合うための媒体である。
b正典は「本来の在り方」と「生活の仕方」を求めて編集されたものであるから、解釈者はそうした視点で聖書を解釈しなくてはならない。
c聖書は正典としての構造を有しているのであるから、今ある、ありのままの構造を保持して読むべき必要がある。
d聖書本文の「固定的意味」と、その「応用的意味」を合わせて読み取るようにする。
e聴衆、あるいは読み手の現状に合わせて、本文を本来的な慰めの言葉として読むか、現状を反省するために預言者的な警告として読むかを決定しなくてはならない。
f旧約聖書も新約聖書も、イエス・キリストを中心として、そこからの光で解釈を行なう。
*以上、これらすべての解釈法を用いる仕方を「解釈学」と称し、それらの解釈学によって本文の固定的意味と応用的意味を決定することを「解釈」と称する。


佐藤陽二著「キリスト教とは何か」の中の『使徒信条』と『主の祈り』について

使徒信条

 中世以後になって諸教会において用いられた基本信条の中で、第一番に置かれる信仰告白文であり、第二世紀の後半にまとめられた。

(1)全能の父なる神

「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」
(a)何をどう信ずるか
「あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って・・」(テサロニケ第1 5:23)
*この聖書の言葉は「霊性」「知性」「体力」に置き換えることができる。
*現代人は、「霊性」に対して無関心である。
*「宗教心」の欠如は今日の社会問題にほかならない。
*神や神々を信じる人々は多いが、その神をどのように信じるかが大切である。
(b)天地の造り主
*神は「天地の造り主」であると信じるのがキリスト教である。
*神を信じることと、神に喜ばれるような生活をするのとは異なっている。
*成熟した信仰とは、神を中心とした信仰をさす。
*同じく、成熟した健全な教会とは、成熟した信仰者の多い教会である。数の問題ではなく、質の問題である。
(c)全能の父なる神
*神の創造の意図を、人間が理解できる状況に達した時に、神は預言者と祭司とに霊感を与えられた。そしてその創造の目的を明らかにされた。
*神の愛の対象として、神の愛の中に生き、神の栄光を現すように、人間は創造されたのである。
*神の全能とは、神が意志されたことはすべて出来ることを意味している。
*神のみ心を、神が、すべて行なわれると信じること。矛盾したような出来事であったとしても、忍耐をもって行動すること。
(d)四つのP
*私たちは、神の意志を第一番に考えて、み心に従って生きることを、心に言い聞かせることが大切である。
*アル・エンデルスは、人生においては神を賛美することと、四つのPが大切であることを述べている。それらはプレーヤー(祈り)、プランニング(計画)、パーセヴィランス(不屈の精神)、ペーシェンス(忍耐)である。

(2)我らの主イエス・キリスト

「我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず」
(a)つまずきの石
*キリスト教では、神と言った場合に必ず「主イエス・キリスト」が出てくる。
(b)その独り子イエス・キリスト
*「その」とは「父なる神の」であり、「独り子」とは「神から生まれた唯一の方」を意味する。
*無限の神を、有限な人間に知らせるために、神は先在の独り子に有限なる形をとらせ、地上に誕生させられたのである。
*したがって、イエス・キリストは「神の啓示者」と言われている。
(c)我らの主
*「我らの主」とは、私たちの全存在を支配される方のことである。
*「我らの主イエス・キリストを信ず」とは、イエス・キリストが私たちの全存在を支配される方として信じることを意味する。
*それが人間本来の在り方であると聖書は告げているのである。
(d)真の秩序の回復
*イエスを「主」とした時に、この世の真の秩序が回復されてくる。

(3)おとめマリヤより生まれ

「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ」
(a)聖霊によりてやどり
*医者であったルカがこの出来事を記している。
*一回限りの歴史的な出来事は科学ではない。したがって、科学的には説明できない。
(b)考え方と信じ方
*聖書に記されている奇跡は、信じるか信じないかの二つである。
*たとえその出来事が、現時点においては理解できずとも、それを誤りとせずに、今後の理解に期待をつなぐことが大切である。
*聖書は創造についての現象を説明しているのではなく、その本質を語っている。
(c)処女マリヤより生まれ
*神による再創造のみわざが主イエスの誕生である。
*人間の救いのために「神性」と「人性」の両方の立場を有する者ある必要があった。それがマリヤから生まれた主イエス・キリストである。
(d)救いのための誕生と新生
*全き神性と人性とを有する主イエスは、神の啓示者であり、人間の贖罪者となり得る。*神の聖霊が働いたとき、人は新生の体験をする。

(4)キリストの苦難

「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府下り」(a)身代わり
*主イエスは人間の罪を一身に背負って十字架にかかられた。そのことを信じるとき、その人は神の前にある罪を赦され、その罪から解放されるのである。
(b)十字架につけられ
*紀元27年か28年に十字架にかけられ、罪のない神の子が人間の権力者から苦しみを受けた。
*神によって、罪ある者のように裁かれた。それは「あがないの供え者」(ヨハネ第1 4:10)となるためであった。
(c)陰府にくだり
*「陰府」とは死者の待合所という意味である。
*<ペテロ第1の手紙 3:19〜20、4:6>にそのことが記されてある。
(d)すべての人への福音
*すべての人々が福音に接する機会が与えられている。その後で、神の最後の審判が行なわれ、神の国が完成する。

(5)イエス・キリストのよみがえり

「三日目に死人のうちよりよみがえり」
(a)恐れと不安
*現代人の思想と感情とを支配する二要素は「死の恐怖」と「希望の喪失」である。
*イエス・キリストのよみがえりが、これらの不安を克服可能とする。
(b)復活に関する証言
*復活に関する聖書の言葉は、次の箇所にみられる。
<ヨハネ2:19、マタイ16:21、マタイ27:62〜、マタイ28、マルコ16、ルカ24、ヨハネ20、コリント第1 15:5〜6、使徒1:22>
(c)目撃者の証言
*主イエスの復活の出来事が事実であったと断言できるのは、弟子たちの証言による。
*主イエスの復活は、第一に弟子たちの変化、第二に教会の誕生、第三に新約聖書の誕生、第四に安息日が日曜日となったこと、である。
(d)私たちへの意味
*十字架の意味が分かり、主イエスのよみがえりが分かる。次に、死についての理解が与えられる。第三に、希望の喪失を克服できる。

(6)神の右に座したまえり

「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」
(a)天に昇り
*主イエスが天に昇られたのは地上の姿そのものではなく、復活の体においてである。
(b)全能の父なる神
*「天」とは人間を越える世界、神の住居をさしている。
*「父」とは神の本質をさしている。
(c)神の右
*「神の右」とは、全能の父なる神に次ぐ座、権能の座をさしている。
(d)主イエスは今
*復活の主は、第一に天において、父なる神に、神の子として人間のためにとりなしをされておられる。
*第二に、天より「助け主」(パラクレートス)を送っていて下さる。

(7)再臨と審判

「かしこより来たりて生ける者と死ぬる者とを審きたまわん」
(a)主イエスの未来の働き
*主イエスは、我々の未来を導いていてくださる。
(b)かしこより来たりて
*主イエスの再臨のときに、世の歴史は終わり、神の最後の審判が行なわれる。
(c)審きたまわん
*神による最後の審判が、人類に最後の希望を与えてくれる。
(d)大いなる慰めと喜び
*主イエスの再臨と審判とは、十字架による罪の赦しを信ずる者には、大いなる慰めと喜びとなる。

(8)聖霊を信ず

「我は聖霊を信ず」
(a)ツキということ
*聖霊の働きを説明することは難しい。それで「信じる」ことが必要になってくる。
(b)聖霊とは何か
*聖霊とは神の霊であり、またイエス・キリストの霊である。
*聖霊の働きは、第一に「神と救い主とを私たちに教える」、第二に「私たちへ罪を知らせ、罪からの救いを知らせる」、第三に「私たちの生活を導き、支える」。
(c)聖霊の働き
*聖霊の導きにより、不思議な出合いを体験することができた、といったケース。
(d)聖霊の受け方
*聖霊を受けるために必要なことは、第一に「祈り求めること」、第二に「謙遜な思いになること」、第三に「具体的に罪を悔い改めること」である。

(9)聖なる公同の教会

「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」
(a)エクレシア
*エクレシアは「カレオー」(呼び出して集める)からきている。
(b)教会とは
*教会とは「神によって召し集められた者たちの群れ」のことである。
(c)教会の使命
*教会の使命とは、第一に「聖書のみ言葉を聞き、それを教えること」、第二に「宣教すること」、第三は「悪霊を追い出すこと」である。
(d)完成の器
*絶えず聖書に聴き従い聖霊によって癒され、十字架による罪の赦しを信じ続けることによって、私たちは福音を伝えることができる。

(10)罪の赦し

「罪の赦しを信ず」
(a)明るさと暗さ
*本質的に人間は、暗さと消極的思いと否定的な考えを持っている。それは「原罪」のゆえである。
(b)人間の罪
*聖書の罪(ハマルティア)とは「的はずれ」という意味である。
(c)キリストのあがない
*罪なきキリストによるあがないによって、罪から救われたのである。
(d)神へのおそれ
*主イエスの十字架を信じるとき、罪から解放され、明るく積極的で肯定的な人へと変えられる。

(11)身体のよみがえり

「身体のよみがえりを信ず」
(a)その後は
*肉体の死は果たして終わりを意味するものであろうか?
(b)聖書の証言
*「死はすべての終わりではない」と聖書は証言をしている。
(c)どのような身体で
*聖書は「霊のからだ」(コリント第1 15:44)でよみがえる、と言っている。
(d)復活を信じたとき
*人は十字架と復活を信じたとき、永遠の命が与えられ、最期の時まで積極的に生き続けることが出来る。

(12)永遠の命

「永遠の生命を信ず」
(a)霊魂不滅とは異なる
*聖書が問題にしているのは、この世の生命(今ある霊魂)ではない。
(b)第二の死
*最後の審判による死、すなわち肉体の死後における霊魂に対する裁きの死が「第二の死」である。
(c)私たちにかわって
*主イエスの十字架の死を、私たちの贖いのための死と信じないときは、まだ神による最後の審判がその人に対して残されていることを知るべきである。
(d)いつ与えられるか
*主イエスを信じたときに、永遠の命(ゾーエー)が与えられる。
*その命はパラダイス(天国)に入ることができる。この命の獲得が、人生の最後の目標でなければならない。


主の祈り

 イエス・キリストが弟子たちに対して、祈りの模範として教えられたもの
(1)天の父

「天にいます我らの父よ」
(a)大切な祈り
*主イエスは「くどくどと祈るな」と教えられ、この祈りを示された。
(b)祈り心
*祈る心は大切であるが、祈る対象を間違ってならない。
(c)祈りの対象
*祈りの対象は「天地の創造主なる神」である。

(2)みな・み国・みこころ

「ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、み国を来たらせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ」
(a)神への信頼
*筋ジスで召された石川正一兄弟の神への全き信頼の姿勢。
(b)神第一
*天の父である神に祈り求めることは大切であるが、最初に「み名があがめられる」ことを祈らなくてはならない。それが第一である。
(c)み名のための目標
*次の四つのことが重要である。第一に「目標を公けに発表すること」、第二に「達成の道は必ず存在することを確信すること」、第三に「目標実現のためのプランを考えること」、第四に「予期しない方向から助け手が現われてくることを信じ続けること」。

(3)日用の糧

「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」
(a)私たちのための祈り
*キリスト教の信仰は、思想の知的理解ではなく、具体的なものである。
(b)日用の糧
*この世的な祈りは、パンや、その他、生活に必要なものをたくわえるための祈りであるが、聖書の祈りは必要な分を「今日」与えてください、という祈りである。
(c)そうすれば
*主の祈りは、人が神を第一として生きるときに、神がその人に必要なものを備えて下さるという祈りである。

(4)罪のゆるし

「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」
(a)審判
*神の審判は必ずあるのであるから、主イエスの十字架を信じることによる罪の赦しを得るべきである。
(b)ゆるし
*自らの赦しと同時に、他者の負債に対する赦しも必要である。
(c)祈りの力
*「主の祈り」は神が示して下さった祈りであることを信じて祈るときに、祈りは力となるのである。

(5)救い

「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」
(a)祈りは聞かれる
*神の力を知った者には悪魔はあらゆる手段をもって攻撃してくる。
(b)誘惑と試練
*誘惑は悪魔より出てくるものであり、試練は神から出てくるものである。
(c)悪に勝つ道
*悪魔は言語中枢を足場にして働いてくる。したがって悪魔に勝利するには、第一に言葉に気をつけること、第二に神の武具で身を固めること、である。

(6)国とちからと栄え

「国とちからと栄えとは限りなく、なんじのものなればなり」アーメン
(a)大国の横暴
*国と力と栄えとは、本来、神によってつくられ、神から出たものである。
(b)神の所有物
*「なんじのもの」とは、神のもの、神の所有物のことである。すなわち、すべては神の所有物である。
(c)賛美と平安
*本当の栄誉は、神から与えられるものである。
*そうしたときに、「国と力と栄え」の正しい用い方ができるようになる。


佐藤陽二著:『聖書学』の内容要約

聖書概説
(1)古典と聖書:聖書は一般の古典とは異なる
(2)正典としての聖書:聖書は神の働きの記録と、私たちが神に対応するための触媒の働きがある。
(3)正典の意味:聖書が信仰と生活の規範であること
(4)聖書の内容:旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻
(5)聖書の成立:旧約聖書が紀元1世紀の終わり、新約聖書が紀元4世紀である

*以下、新旧約聖書各巻の概説を記す。

旧約各巻概説

【創世記】
著者:不明
年代:バビロン補囚後の、紀元前5世紀
内容:人間の罪と、そこからの救いのため、アブラハムが召し出される
使信:人間のあるべき姿と、今ある姿

【出エジプト記】
著者・年代:創世記と同じ
内容:エジプトからの解放、葦の海からシナイ山へ、シナイにおける宗教的組織、幕屋礼拝のための指令
使信:エジプトからの脱出と、神の民としての改造

【レビ記】
著者・年代:創世記と同じ
内容:犠牲について、祭司について、浄と不浄の規定、大贖罪の日、神聖法集
使信:「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」(19:18)

【民数記】
著者・年代:創世記と同じ
内容:シナイの荒野からの出発、カデシ・バルネアへの旅、カデシからモアブの平野へ
使信:神の愛の訓練

【申命記】
著者・年代:創世記と同じ
内容:モーセの説教(1〜3回)、モーセの死と埋葬
使信:神の律法の「再解明」

【ヨシュア記】
著者:不明
年代:紀元前6世紀ごろ
内容:パレスチナ征服、12部族への土地の分割、ヨシュアの最後の演説、シケムにおる契約更新の儀式
使信:「強く、また雄々しくあれ、あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない」(1:9)

【士師記】
著者:不明
年代:紀元前6世紀
内容:パレスチナ征服、士師時代の出来事、士師について、士師時代の補足的出来事
使信:背教、圧迫、悔い改め、解放、という周期の繰り返し

【ルツ記】
著者:不明
年代:紀元前6世紀ごろ
内容:ナオミとルツの信仰的決断、ルツの信仰による冒険と報償
使信:信者となりたい人を拒否してはならない、ということ

【サムエル記上】
著者:不明
年代:紀元前6世紀
内容:サムエルについて、サムエルとサウルについて、サウルとダビデについて
使信:サウル王が神への信頼よりも、民衆の態度に関心を持ちはじめ、神から離れた

【サムエル記下】
著者:不明
年代:紀元前6世紀
内容:ダビデ王朝の成立、ダビデ統治の黄金時代、ダビデ治世の末期
使信:高慢になったダビデが、預言者ナタンの忠告により悔い改めを行ない、神からの赦しと祝福とを得た、ということ

【列王紀上】
著者:不明
年代:紀元前600年〜550年までの間
内容:ダビデの晩年、ソロモン王の生涯と事業、分裂王国
使信:「イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた」(11:9)

【列王紀下】
著者:不明
年代:列王記上と同じ
内容:北イスラエルのアハジャ王から北王国の最後、南ユダの単独王朝、エルサレムの没落の日、破滅と捕囚
使信:神は歴史の出来事を通して語られる、ということ

【歴代志上】
著者:不明
年代:紀元前350年〜300年までの間
内容:アダム以来の系図、ダビデの治世
使信:正しい神礼拝が世界を正しく存続させる、ということ

【歴代志下】
著者:不明
年代:歴代志上と同じ
内容:ソロモンの治世、ユダの王たち
使信:ソロモン王の高慢によって、南ユダ王国が破滅の道を歩みはじめたということ

【エズラ記】
著者:不明
年代:歴代志と同じ
内容:第一次帰還と神殿再建、第二次帰還と律法の強行
使信:神殿再建が中断したのは、神への正しい態度を有していなかったことによる

【ネヘミヤ記】
著者:不明
年代:紀元前350年〜300年の間
内容:城壁の再建、律法の再建、布告、実施
使信:歴史は神礼拝の態度によって決定される、ということ

【エステル記】
著者:不明
年代:紀元前478年〜300年までの間
内容:アハシュロス王が王妃ワシテをしりぞける、エステルが王妃に選ばれる、ハマンのユダヤ人への陰謀、モルデガイとエステルの活躍、プリム祭の制定、ユダヤ人の繁栄
使信:神の見えざる手が、神を信じる者たちにどのようにして働くのか

【ヨブ記】
著者:不明
年代:紀元前600年〜300年の間
内容:序曲、三人の友人の見解、エリフの見解、神の解答、終局
使信:神と出会ったヨブが、理由が分からないままに苦難の問題が解決し、やがて全てが回復したということ

【詩篇】
著者:不明
年代:紀元前300年まで
内容:神に対する祈願、神の恵みに対する讃美、神に向かってなされた質問、人々の会話実生活上の独語
使信:神讃美のすばらしさ(特に23篇)

【箴言】
著者:不明(ソロモンの箴言もある)
年代:紀元前350年頃
内容:序、中心部分、長い箴言、補足追加、中心部分への補足、アグルの箴言レムエル王の言葉、賢い婦人について
使信:「主を恐れることは知識のはじめである」

【伝道の書】
著者:不明
年代:紀元前4世紀〜3世紀頃
内容:人生のむなしさ、人生の意味の探求、すべてに時がある、人生の不公平、労働の空なること、死の確かさ、人の本分
使信:神を恐れ、その命令を守ることが人の本分である、ということ

【雅歌】
著者:未知の人
年代:紀元前300年頃
内容:愛し合っている男女の歌、若者を愛している娘の思い、ソロモン王の行進と娘を愛している若者の歌、失った愛を求めて病み煩っている歌、愛し合っている男女への讃美
使信:人間は神を忠実に愛さなければならない

【イザヤ書】
著者:第一イザヤ(紀元前8世紀)、第二イザヤ(紀元前6世紀)、第三イザヤ(紀元前 5世紀)
年代:紀元前4世紀
内容:第一イザヤ:審判の預言
   第二イザヤ:慰めの預言
   第三イザヤ:回復のための悔い改めの必要性
使信:メシヤ誕生の預言、主イエスの十字架による罪の贖い、平和の君の預言

【エレミヤ書】
著者:預言者エレミヤ
年代:紀元前626年〜586年まで
内容:エレミヤの召命、ユダ王国に対する預言、エレミヤの活動、諸国民への預言、エルサレムの崩壊
使信:神は諸国家の全ての主であるということと、南ユダの罪の特質、偶像礼拝と道徳的乱れからの悔い改め

【哀歌】
著者:未知の人
年代:不明
内容:エルサレムの崩壊、神の裁き、将来の希望、刑罰の正当性、回復の祈り
使信:神の審判の正当性、および神がイスラエルをお見捨てになられなかった、ということ

【エゼキエル書】
著者:預言者エゼキエル
年代:紀元前6世紀
内容:エゼキエルの召命、陥落直前のエルサレムの状態、南ユダの近隣諸国に対する神の審判の預言、回復したエルサレムの描写
使信:皆、等しく悔い改めが必要である、ということ

【ダニエル書】
著者:後代の未知なる人
年代:紀元前2世紀頃
内容:ダニエルの生涯、ダニエルの預言
使信:迫害を受けている人々に向かって、主なる神への信仰に堅く立つように励ましを与える

【ホセア書】
著者:ホセア
年代:紀元前750年〜720年まで
内容:ホセアの召命と結婚の象徴的意味、イスラエルの罪と罰、託宣と勧告、イスラエルの回復
使信:ホセアが神の愛によって、不貞の妻を受け入れるといった悲劇から学んだこと

【ヨエル書】
著者:ヨエル
年代:紀元前500年〜350年の間
内容:いなごの災害と神の審判、来るべき主の日、悔い改めへの招き、神の恵み、諸国民への神の裁き
使信:不幸と呼ばれるものを通して神を思うこと。これが信仰である。

【アモス書】
著者:アモス
年代:不確か
内容:主なる神の主権、裁かれるべき国民、審判の幻と託宣、預言者の希望の記録
使信:神を思い起させるための助言と神への責任

【オバデヤ書】
著者:不明
年代:紀元前587年のエルサレム陥落後
内容:来たるべきエドムの崩壊、その理由、警告、神の民を解放する主の日
使信:悪がそれ自身、自ずから罪を招くということ

【ヨナ書】
著者:不明
年代:紀元前5世紀頃
内容:ヨナの召命と逃避、ヨナの悔い改め、ヨナの預言の結果、ヨナの怒りと教訓
使信:神の人類救済の成就をだれも妨害できない、ということ

【ミカ書】
著者:ミカ
年代:紀元前735年〜687年の間
内容:イスラエルとユダへの警告、審判と回復、民の刑罰と神のあわれみ
使信:「へりくだってあなたの神と共に歩むこと」(6:8)

【ナホム書】
著者:ナホム
年代:紀元前615年前後と推測される
内容:神の正義の宣言および実証、ニネベの罪悪
使信:神の信頼を裏切り、神の愛を踏み躙るとき、必ず神の審判があるということ

【ハバクク書】
著者:ハバクク
年代:紀元前625年〜612年の間
内容:悪の問題について、アッシリア人を呼び起こす、神は悪の協力者か、神を信ぜよ、邪悪は滅ぼされる、主なる神への讃美
使信:「義人は信仰によって生きる」

【ゼパニヤ書】
著者:ゼパニヤ
年代:紀元前621年以前
内容:審判である主の日の告知、諸国民を裁かれる神、エルサレムに対する非難、真の残れる者による王国の建設
使信:神は必ず審判を行なわれるが、救いは神の審判をとおして実現されるということ

【ハガイ書】
著者:預言者ハガイ
年代:紀元前520年
内容:神殿再建の遅れを非難、神殿再建の奨励、来るべき神の祝福の保証、ゼルバベルへの神の祝福
使信:国民の生活が改善されないのは、神殿を再建して神を正しく信じないことにある

【ゼカリヤ書】
著者:ゼカリヤ
年代:紀元前520年〜518年の間
内容:序論と幻、大祭司の戴冠、補足的預言、神の国への託宣、エルサレムへの託宣
使信:世界は神の計画に従って動きつつある、ということ

【マラキ書】
著書:不明
年代:紀元前450年〜430年の間
内容:祭司が職分に不忠実、離婚と雑婚、道徳的懐疑、神殿に対する民の無関心
使信:主なる神は突然に出現される、ということ




【マタイによる福音書】
著者:マタイの資料をもとにした編集者
年代:紀元80年頃(以下、同じく「紀元」)
内容:ユダヤ人のキリスト信者へ向けた内容
使信:主イエスがイスラエルへの神の約束の成就者であることを示す

【マルコによる福音書】
著者:マルコ
年代:65年間もなくの頃
内容:主イエスの教えと行動、および受難の出来事
使信:ネロ皇帝の迫害に耐えられるように、主イエスへの信仰を明確に説いた

【ルカによる福音書】
著者:ルカ
年代:75年頃
内容:異邦人キリスト信者へ向けた内容
使信:「人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(19:10)

【ヨハネによる福音書】
著者:使徒ヨハネの弟子の、長老ヨハネ
年代:80〜90年頃
内容:神の言(ことば)としてのキリストによる啓示
使信:主イエスを信じて、主イエスの名によって命を得ること

【使徒行伝】
著者:ルカ
年代:80年頃
内容:ユダヤ人、異邦人、小アジア、ギリシア地方、ローマへの伝道
使信:聖霊によって主イエスの復活の証人として立ち上がった弟子たちの伝道記録

【ローマ人への手紙】
著者:パウロ
年代:57年頃
内容:純粋な福音の説き明かし
執筆事情:パウロが自らの伝道計画を援助してもらうために書いた
使信:「福音とは何か」を伝える

【コリント人への第一の手紙】
著者:パウロ
年代:55年頃
内容:信者間の党派争い、不品行問題、結婚問題、献金問題、等
執筆事情:コリント教会の問題に答えるため
使信:「イエスは主である」との告白は聖霊による

【コリント人への第二の手紙】
著者:パウロ
年代:56年頃
内容:パウロの役割を明確に示す
執筆事情:問題を起こした人が教会から処罰されたことを聞いて書いた
使信:神にある慰め(1:4)によって苦難を乗り切るべし

【ガラテヤ人への手紙】
著者:パウロ
年代:48〜49年
内容:信仰による義と実践
執筆事情:ユダヤ教主義者たちに対して、十字架の福音を説くために書かれた
使信:神に喜ばれるものは「愛によって働く信仰」(5:6)である

【エペソ人への手紙】
著者:パウロ
年代:61年頃
内容:教会とその信仰、信仰の奥義、キリスト信者の生活と倫理
執筆事情:エペソ付近の異邦人教会のために教えと勧めを書いた
使信:教会の戦いは悪魔との戦いである、ということ

【ピリピ人への手紙】
著者:パウロ
年代:62年頃
内容:信仰のすすめ、キリスト信者の生活
執筆事情:ピリピ教会からの使者への感謝のために書かれた
使信:主を信じることによる「喜び」

【コロサイ人への手紙】
著者:パウロ
年代:60〜62年
内容:キリストの人格、異端への警告、生活の実践倫理等
執筆事情:神知学に対して、キリストが誰であるかを明確にするために書かれた
使信:私たちに必要なもの全ては、主イエスのうちに充満されている

【テサロニケ人への第一の手紙】
著者:パウロ
年代:50年
内容:患難について、キリストの再臨と死人の復活
執筆事情:テモテを通して、迫害に対する教えを書いた
使信:日常生活における「霊性」「知性」「からだ」を健全にすること

【テサロニケ人への第二の手紙】
著者:パウロ
年代:50〜53年頃
内容:再臨の意味、再臨予告の出来事、再臨を望む者の生き方等
執筆事情:再臨に関しての誤解を解くために書かれた
使信:キリストの再臨によって、神の国が完成する

【テモテへの第一の手紙】
著者:パウロの弟子
年代:90〜100年頃
内容:信仰の指導者の心がけ、指導者として教えること等
執筆事情:若い牧師に助言を与えるため
使信:キリスト者の品性・行為の基準を確立し、使徒の教えを守るように

【テモテへの第二の手紙】
著者:パウロの弟子
年代:90〜100年
内容:パウロの信仰、消息と依頼
執筆事情:テモテが良き指導者となるように、との目的で書かれた
使信:「真理の言葉(聖書)を教えること」の勧め

【テトスへの手紙】
著者:パウロの弟子
年代:90〜100年
内容:長老の資格、にせ教師への警告、健全な教え
執筆事情:テトスに長老を任命してもらうため
使信:長老と監督とは、信仰の子どもを持つ誠実な人であるべきである

【ピレモンへの手紙】
著者:パウロ
年代:60年頃
内容:ピレモンへの感謝の祈り、オネシモへのとりなし
執筆事情:信者となったピレモンの奴隷のオネシモの善処を問う
使信:新しい真の人間関係は、主イエスに対する信仰によって生じる

【ヘブル人への手紙】
著者:パウロの弟子のアポロ
年代:63年頃
内容:主イエスによる神の啓示、大祭司としてのキリスト、信仰の実践的訓戒
執筆事情:ユダヤ人キリスト者たちを信仰によって励ます意味で書かれた
使信:キリストによる、時期を得た助けを得るために、ためらってはならない

【ヤコブの手紙】
著者:主の兄弟ヤコブ
年代:62年頃
内容:試練と誘惑、信仰と行為、信者としての言葉の抑制、高慢の克服
執筆事情:自由の風潮を戒め、信仰生活の基準を示し、無節操な人々を正しく導くため
使信:良い行いを生むような信仰だけが、神によって正しいとされる

【ペテロの第一の手紙】
著者:使徒ペテロ
年代:63年頃
内容:キリスト信者の祝福、信仰者としての生活、苦難に処する道
執筆事情:暗黒の時代に、信仰による希望のともし火を燃やし続けさせるために
使信:キリストは「獄に捕われている霊どものところに下って行き」ということ

【ペテロの第二の手紙】
著者:教会のある指導者
年代:150年頃
内容:基本的信仰のすすめ、にせ教師たちへの警戒、世の終わりとキリストの再臨
執筆事情:にせ教師たちに対する強い警戒をうながすため
使信:神の約束に従って、主の日がくるまで信仰に堅く立つこと

【ヨハネの第一の手紙】
著者:使徒ヨハネの弟子である長老ヨハネ
年代:90年頃
内容:福音のあかし、キリストの命、内と外との戦い、信仰の勝利
執筆事情:「物質は悪であり、霊は善である」とのグノーシス信仰への反論
使信:キリストを中心とした神との交わりと、人の交わりが重要である。

【ヨハネの第二の手紙】
著者:「第一の手紙」と同じ
年代:「同上」
内容:神の戒めどおりに歩む、キリストの理解について、反キリストの力への態度
執筆事情:偽りの教えに影響されていたので、さらに強く訴えた
使信:神を喜べないところには、真の平安がない

【ヨハネの第三の手紙】
著者:「第一の手紙」と同じ
年代:「同上」
内容:真理に従う生活の喜び、巡回伝道者への厚遇、対照的な二人の人物
執筆事情:デオテレペスが中心を占めようとした騒動が起こったため
使信:キリスト信者に大切なのは、品性である。

【ユダの手紙】
著者:ヤコブの兄弟ユダ
年代:70〜80年
内容:実例引用の警告、異端者たちによるそしり、にせ教師の放縦な生活、等
執筆事情:忠実な信仰者たちが異端者たちにおびやかされていたため
使信:神の恵みを放縦な生活に変え、主イエスを否定してはならない、ということ

【ヨハネの黙示録】
著者:エペソ教会の有力な指導者「見者ヨハネ」
年代:95年頃
内容:7つの教会で今あること、今後に起こるべきこと、等
執筆事情:迫害にあっている教会の信者を励まし、力づけるために書かれた
使信:主イエスは「神の国」へ私たちを招いておられる